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疾走する若さ -傑作映画『出発』の美しさ


 
 
【木曜日は映画の日】
 
 
青春映画の美しさの一つは、「期限」があることだと思っています。
 
終わりは決められている。終わりを分かっているからこそ、そこまでの時間が大切で、甘美に感じる。
 
ポーランドの映画監督、イエジー・スコリモフスキが、ベルギーで撮影した1967年の映画『出発』は、そんな時間の甘美さと終わりの痛切さを鮮烈に描いた作品の一つです。


『出発』


ブリュッセルの美容師見習いの青年マルクは、カーレーサーになることを夢見ています。車は持っていないので、夜な夜な店長のポルシェを無断で使用しては、深夜の街を疾走して腕を磨いています。
 
彼の目標は二日後、街の近くで開催のレースで優勝して、プロになること。

しかし、レース当日に店長のポルシェを使えないことが発覚。どうにかして一日だけでも車を手に入れないといけません。
 
友人を富豪に扮装させ、騙そうとして失敗したり、鬘を届けに行った先で女の子ミシェルと仲良くなって協力してもらったりと、駆けずり回ります。
 
しかし、車を手に入れられないまま、刻一刻と、レースの朝は近づいてきます。。。


『出発』




この作品の素晴らしさの一つは、マルクを演じたジャン・ピエール・レオーの存在の魅力です。
 
とにかく車を求め、物凄い勢いでまくしたててては、相手に食って掛かり、焦燥に駆られて疾走して、垣根を飛び越え、と縦横無尽に駆け抜けます。

まったく後先考えていない、その勢いこそ、若さの発露と言えるでしょう。
 

『出発』
マルク(ジャン・ピエール・レオー)


レオーは、フランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』で、監督の分身の少年「アントワーヌ・ドワネル」役でデビューし、トリュフォー、ゴダールに愛されて起用されたヌーヴェル・ヴァーグのアイコンと言うべき存在。
 
やや童顔で、殆ど無声喜劇映画の俳優のような百面相と、全く勢いが途切れない、その喋りのスピード感は、圧倒的に映画を輝かせています。




どうしてポーランド人のスコリモフスキが、レオーを使えたのか。それはこの作品の製作過程に起因します。
 
スコリモフスキは、ポーランドで大傑作『不戦勝』等を撮って、外国から注目され、ベルギー人のプロデューサーから話を持ち掛けられます。
 
当初、別企画の脚本を書き、ホテルのお金を前借していたものの、全く進まず、期限間際になって、レーサー志望の青年の話を思いついて、執筆。ようやく映画製作に入ります。
 
プロデューサーは旧知の仲だったカメラマン、ウィリー・クラントを呼びます。彼は直前にゴダールの『男性・女性』を撮影しており、その主演俳優だったレオーと、共演したカトリーヌ・イザベル・デュポール(ミシェル役)を、そのまま借りられることになったということです。


ゴダール『男性・女性』




こうした慌ただしい製作過程のためか、映画全体に即興的な勢いがあります。
 
マルクたちが忍び込むモーターショーの場面は、実際に開催されていたところに、カメラを隠しながら参加しています。ブリュッセルの端正な街並みも、ドキュメンタリーのような生々しい魅力に溢れています。
 
監督がフランス語ができないのもあって、レオーも即興で喋ったらしく、アフレコの際に台詞を思い出すのに苦労したとのこと。こうしたものによって、画面から青春の薫りを漂わせて、主人公たちは加速していくのです。


『出発』




しかし、それはいつかは止まらなければなりません。
 
この映画の驚くべきラストについて、監督は「橋が焼け落ちて、戻れないということ」といった意味の説明をしています。
 
詳細は是非、映画を観て確かめていただければと思いますが、力を燃やし尽くして、全てが宙吊りのまま、止まってしまうこと。それはまさにこの映画にふさわしく、また青春の終わりにもふさわしいと言えるでしょう。


『出発』




よく考えると、ここまで明確に期限が区切られた映画は、意外と珍しいかもしれません。
 
例えば、夏休みだとか卒業までの間に、親友と旅行に行って、色々な経験をして、青春の終わりを実感するという映画は結構ある気がします。しかし、『出発』ほど切迫感を持っているものは多くない。
 
おそらくそれは、マルクが車をまだ手に入れられていないという焦燥感からくるものでしょう。
 
自分の夢を叶えるため、そしてここから抜け出すためには、このままでは駄目で、しかも絶対的なデッドラインがある。
 
スラムやヒップホップを題材にした、ある種の「成り上がり」を描く青春映画にもあるような切迫感が、レースの日によって、明確に浮き彫りになっているのです。
 
監督自身の、脚本の締切への焦燥が、この勢いを創り出したのかもしれません。




と同時に、この映画には疾走がふと止まる瞬間もあります。
 
それは端的に言うと「恋」です。車を手に入れようとする傍ら、ミシェルの気を惹こうと、マルクは全力で彼女を連れ回します。
 
スクーターに乗って路面電車のミシェルを追いかけるシーンの美しさ。夜のモーターショー会場で、光の中で見つめ合う神秘的なシーン。お金を工面するために、姿見を一緒に持って街路を歩くシーンの瑞々しさ。
 
こうした場面では、焦燥感が途切れて、ミントのように爽やかで甘い時間が流れます。


『出発』




レーサーへの夢と女の子への恋。その両面は、音楽によって象徴されています。
 
前者は、ポーランドの夭逝の天才ジャズ作曲家クシシュトフ・コメダが手掛けた、白熱するジャズ演奏です。車の疾走シーンに重ねられ、熱気を煽ります。
 
後者は、麗しいストリングスを伴ってシャンソン歌手が歌う『わたしの周りはいつも虚ろ・・・』という甘くブルーな歌に因っています。

この二つの音楽が、対立するのではなく溶け合いながら、あのラストへと燃え上がっていくのです。





興味深いことに、スコリモフスキは、その後、この二つの面に導かれるように作品を創っています。
 
女性への無我夢中な恋は、イギリスで撮った『早春』(1970)や、ポーランドに戻った『アンナと過ごした四日間』(2008)に現れています。
 
主人公の彷徨は、正体不明のムスリムの兵士が敵から逃げ続ける『エッセンシャル・キリング』(2010)や、サーカスから連れ出されたロバ(!)の流浪を描く最新作『EO』(2022)までモチーフになっています。


『EO』


ただし、『出発』に観られたような厳密な期限と、まだ何も手にしていない焦りは、これらの彷徨にはあまり感じられません。




おそらく『出発』は、スコリモフスキ自身の作品の中でも例外的な、彼にとっても、青春のような作品だったのかもしれません。
 
様々な偶然が混ざり合い、彼の作品の中で、ただ一度、全てに追われながら無我夢中に駆ける瞬間が生まれた。それは、きっと誰もが人生で一度は持っている瞬間です。
 
青春とは、まだ何も手にしていないことを自覚して生きる、締切までの焦燥に満ちた時間のことなのでしょう。
 
年齢には関係なく、望みを手に入れようとして、一度だけのその時間を疾走すること。それこそが、若さなのかもしれません。
 
 


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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