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明るく澄んだ舞踊曲 -ブラームス交響曲第2番の美しさ

音楽は目に見えないものだけど、強烈な雰囲気と力をもっていて、まるで色がついているかのように情景を描き、感情を揺さぶるものでもあります。
 
そうした音楽の中で、「透明な音楽」とは何かと聞かれたら、私はその中の一つに、ブラームスの交響曲第2番を挙げると思います。それは同時に、幸福な音楽でもあります。透明で明るくて、同時に踊れるくらい軽やかな音楽であり、何度聞いても幸福感を与えてくれます。


 
ヨハネス=ブラームスは、1833年ハンブルク生まれ。交響曲第2番は、1877年、彼が44歳の時の作品です。交響曲第1番を、ベートーヴェンの交響曲にも匹敵するものを、と難渋して取り組んで、21年もかけて完成させたのに対し、なんと、それから1年あまりで、第2番を初演しています。

しかも、1877年の6月、オーストリアの風光明媚な避暑地に出かけて集中して作曲し、9月にはほぼ完成したというから、かなりの速書きです。勿論、ある程度は準備を済ませていたのでしょう。しかし、この作品には、インスピレーションの赴くままに、風が吹くまま任せて進んでいるような印象があります。

40歳頃のブラームス
後年印象的な髭は
まだ生やしていない



 
第1楽章は、低い弦の響きと、管楽器の対話から、明るい日差しが差し込むように始まります。時折哀愁漂う旋律も奏でられますが、決して耽溺することなく、弦のざくざくと刻むリズムと共に、音楽は推進していきます。
 
第2楽章は、緩やかな弦の暖かい旋律から始まり、ピチカートと木管の絡まるパートも含め、緩徐楽章なのにカラフルで、それでいて上品にまとまっています。決して嘆いたりしていない。
 
第3楽章は、カッコウの啼き声のようなユーモラスな木管のソロから始まり、その啼き声をゆったりと引き延ばしていくかのように。弦の長い旋律が歌います。啼き声は何度も繰り返され、変奏されては、静かに消えていきます。
 
第4楽章は、華やかなフィナーレですが、ところどころ、今までのようなゆったりとした旋律も交差し、決して、聴く人間を圧倒するようなものではありません。停滞することも咆哮することもありません。ひたすら美しい旋律が絡まってはほどけるように進み、自然と気分が浮き立つようにして終わります。

(伝説の指揮者ギュンター=ヴァントと、北ドイツ放送交響楽団による、軽やかで素晴らしい演奏)


 
どうしてこの音楽が、透明に思えるかというと、ある一つの感情に囚われていないからです。それはつまり、メロディが強すぎない、ということでもあります。
 
音楽において、感情に強く直結するのはメロディだと思っています。ポップスの「エモい」メロディ、演歌やブルースのこぶしのきいた「泣きの」メロディ。こうしたものによって、感情が揺さぶられるのは、音楽の醍醐味の一つでしょう。
 
クラシック音楽にもそんな素晴らしいメロディの曲はあります。ベートーヴェンの『運命』、バッハの『トッカータとフーガ』、モーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』。そうしたキャッチ―な旋律は、いつ誰が聞いても、反応できます。
 
しかし、こうしたメロディは、あまりに優れているため、私たちの頭の中に強く残って、一つの雰囲気を創りあげてしまいます。『運命』のあの悲劇的な雰囲気のメロディは、パロディ的に沢山使われてきました。つまり、非常に「色」がついているからこそ、その場の空気を染めるのに最適なのです。


 
ブラームスの交響曲第2番で、『運命』に匹敵するメロディはあまり思い出せません。第3楽章の木管くらいですが、短いパッセージで、しかも、それが何かのドラマに結びついたりしません。美しいメロディが浮かんでは、あぶくのように消えていくのを、私たちはそのまま受け取ります。
 
それこそが、この音楽が透明な理由です。何かが突出することなく、しかも、変幻自在に姿を変えて、それでいて、ある種の親密な雰囲気を保ったまま進んでいく。

悲劇や喜劇といったスパイスで感情に色を付けることなく、結果として透明な水晶のような音楽になっているのです。それが、私たちの感情を解き放って、心地よさを生み出しています。
 
まるで、明るい森の中を流れる澄んだ小川のせせらぎを眺めているようです。その光景は、決して単調ではなく、時間が経つにつれて光と影の戯れによって、変化していく。
 
そうした光景の中に、時折、華やかな舞踏会を思わせる旋律が紛れて、かつての若い頃の喜びを思い出すかのよう。まさにこれは、回想の中で、胸ときめかせる踊りを楽しむための、空想の舞踊曲なのです。


 
こうした舞踊を楽しむために、私が愛聴しているのは、クルト=ザンデルリング指揮、ベルリン交響楽団の1990年のブラームス交響曲全集(プロフィル盤)です。

まさに森の中からこだましてくるような、弦の鄙びた深い響き。遅めのテンポでゆったりとどこまでも伸びては絡まる旋律も素晴らしい。この曲のポテンシャルを最大限まで引き出していると思っています。


 
もう少しメジャーなところでは、カラヤン指揮1965年のベルリン・フィルの演奏(グラモフォン盤)も、非常に伸び伸びとした美音で聞きやすい良い演奏。録音も優れており、お薦めです。どちらもCDは探しやすいですし、サブスクでも聞けます。

ブラームスのサイン入り肖像写真
56歳頃




心地よい、親密な音楽というものは、ただ明るい和音やメロディを続けて出しておけば出来るというものではありません。どんなに明るくても、単調な音が持続すると、人は圧迫感を感じてしまいます。
 
親密さには、自分にとって喜びを伴う変化も必要です。単調な毎日の繰り返しではなく、時折喜びと驚きのある人生が、振り返った時に、素晴らしい人生となるように。
 
一つのメロディや雰囲気、感情に囚われず、複雑かつ自然に変化して、私たちに幸福感を与えるブラームスの交響曲第2番。まさに珠玉の透明な音楽であり、それはまた、人生に似て美しい音楽と言えるのかもしれません。


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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