思考を届けるために -J・S・ミルの自伝の面白さ
【水曜日は文学の日】
自伝というのは、面白いジャンルだと思います。
当然ながら自分の全生涯の全行動を書くわけにはいかない。あらゆる伝記と同様、取捨選択が必要になる。
その選択をする人間が自分自身の場合、他人が書く伝記とはまた違った選択があり、興味深い記述になる場合があります。私の好きな哲学者の一人、J・S・ミルの自伝は、そんなサンプルの一つです。
ジョン・スチュアート・ミルは、1806年、ロンドン生まれ。父親ジェイムズは、『英領インド史』等を書いた著述家、思想家です。ミルは、学校に通わず、この父親の元で独自の教育を受けます。
その内容はとんでもなく、ギリシア語やラテン語の学習、ギリシア哲学の講読、算数や実験、作文は勿論のこと、12歳にして、父の『英領インド史』の校正を手伝っています。
更に、父との散歩時に、経済学の古典、リカードの『経済学及び課税の原理』の講義を受け、それを帰宅してレポートにまとめて翌日提出と、とても年齢に見合っているとは思えない、高度な教育でした。
父ジェイムズは「最大多数の最大幸福」で有名な哲学者ジェレミー・ベンサムと知合いで、彼の弟の招きでフランスに留学したりもしています。1823年には、17歳で父の紹介で東インド会社に事務員として就職し、その後35年以上働くことになります。
と同時に、執筆活動も開始。多くの政治論説を新聞に発表し、評論家として活躍します。1843年には最初の大作『論理学体系』、1859年には、『自由論』を発表。
特に後者は、『自由之理』という題で明治時代にも邦訳されています。自由民権運動にも大きな影響を与えた、民主主義の古典のような名著です。
東インド会社解散後は、3年程下院議員になったこともありましたが、執筆をメインに、大学の教授等になることもなく在野での活動を続け、哲学のみならず、政治学、論理学、経済学、教育学と多岐に渡って活動を続けました。
ミルは1873年、66歳で亡くなっています。『自伝』は死後すぐの1873年に、遺稿から出版されたものです。
ミルの思想は、「功利主義」と呼ばれます。
これについては、優れた解説書も数多く出版されているので、ここで紙幅を割いて解説はしません。
ただ少しだけ言うなら、彼の「功利主義」は「個人が自分勝手に己の利益を追求して最大限の快楽に浸ることが、社会にとっては、結果的に利益になる」という考え方ではありません(ミルの生前からこの誤解はあり、彼は何度も否定しています)。
最大限の幸福というよりも、最大多数の原理(人間なら追求するところの「利益」)に従う、ということであり、それは社会にあてはめると、寧ろ「利他の原理」になるということが、重要です。
利他、他人を尊重して認めることが、自分の幸福につながる。
利他の方法の具体的な例として、社会福祉・代議制等をしっかりと打ち立てなければいけない。そのうえで、他人の権利を侵害しない限り、何びとも、最大限自由は尊重される。それが社会全体の利益に繋がる。
こうした思想をその著作で説得力を持って浸透させた意味で、彼は現在の民主主義の基礎を築いた思想家の一人でした。
ミルの『自伝』の面白さは、基本的な流れが、彼の思考の発展にのみ沿った記述だということです。
つまり、少年時代の父親の教育から、会社勤め、精神的な危機を経て、何の本を読み、何に影響を受けて、どんな思考を発展させたかの流れが出来ていることです。
例えば、トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』を称賛し、その要点を掴んで解説し、自分がどのようにそこから「中央集権」や専制の問題点があるかを確認し、当時のミルの政治的な活動にどう影響を与えたかを、淀みなく記述していきます。
彼が少年時代に習得した「学習・思考・行動」の流れが見事にできており、その滑らかさ、余計なものを削ぎ落したスピード感が、ある種の快感になります。
そして今読むと、そこに「書かれなかった」事実も、興味深いものです。
多くの論者が指摘していることですが、『自伝』には、ミルの母親が一切出てきません。
ミルの母親ハリエットは9人の子供を産み、1854年、ミルが48歳の時に72歳で亡くなっています。その母がどんな性格だったのか、どんな会話を交わしたか等の記述が、本当にないのです。
だからといって、彼が女性嫌いだったというわけではないでしょう。
彼は24歳の時に人妻ハリエット・テイラー(奇しくも母親と同じ名前です)と出会い、親密になっています。
ハリエットは、単なる男女の仲としてでなく、議論を重ね、思考を築き上げる良き相談相手となった、大変知的な人でした。出会って二十年後、夫のテイラーの死後、二人は結婚しています。
『経済学原理』や『自由論』、そして『女性の隷従』といった著作が、彼女との議論から生まれた著作であると、『自伝』第7章には丁寧に説明されています。ミルは、男女同権主義者でした。
そうしたことを考えてみると、一層、母親の影がないことが不思議に見えます。父親から受けた思想的な影響については、事細かに書いているのに。
いや、そう思って読み返すと、父親に関しての記述も、どこか変です。
父がどのような思想の持ち主で、どのようにミルを教育して、どのような著作を書いたかの説明はあっても父の生活は見えてこない。
第六章では、母親と違って、1836年の父親の死が記されます。しかし、そこでも、彼が肺結核で亡くなったことを書くと、彼の業績、彼がいかに優れた人間だったか、整然と論理的に説明されるだけです。
つまるところ、男女関係なく、肉親との生活ですら、日常を蒸留して、自身の思考の成長の糧になった流れのみを抽出しているため、感情が全く見えてこないのです。
他人に向けた感情のほぼ唯一の例外が、長年の付き合いを経て結婚して、亡くなった妻への哀悼の言葉です。
抑えてきた感情が一瞬溢れ出て、この冷徹な思考機械にも、心があったのだ、と不思議な気持ちになります。
その悲しみも一瞬で消えて、また彼女の業績を説明する、見事な思考と論理の記述に戻るゆえに、印象的な箇所です。
つまるところ自伝というのは、自分の生涯を使い、人に何かを与えるものなのでしょう。
自分を知ってほしい、自分が見てきた美しいものを差し出して、誰かの心に残したい。
ミルの場合はそれが、彼が少年時代のスパルタ教育からひたすら築き上げてきた「思考」でした。
私の思考こそが、私そのものだから、貴方にその流れを届けるためには、私のちっぽけな感情や人生は排して渡そう。
その「最大多数の読者」のための「利他の論理」は、彼の「功利主義」に沿っています。
彼の自伝は、自身の思想の論理に貫かれているがゆえに、彼の哲学書と同じ流れを持ち、自伝としては、変わった面白さを持っていると言うべきでしょう。
そして、自伝とは「そこに書かれなかったもの」を含めることで完成される。私たちの人生が、周囲には知られていない、誰も知らない「私自身」を含んでいるように。
そんなことをも考えさせてくれる面白い本なのです。
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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