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ネカフェから高校行ってみた

登校が苦痛なので通信制高校を選んだのに年数回の登校日があり、自宅でできる課題提出はこなせたものの登校日の遅刻と早退が多すぎて学校側から休学を勧められ、卒業に3年半かけることになった。

休学中も身分は高校生を名乗れるため、今年1月から6月までの半年間はストレートにいけば大学1年生の代なのに、嘘の高校生として学割を駆使して平日の昼間のカラオケに通い詰めたり(歌広場プラチナ会員になった)この歳で漢検3級を受験しに行ったりと、プライドを捨てて割と楽しんでいたと思う。

そんな感じで休学期間を過ごした後の7月に入ってすぐに、復学証明書が届きスクーリングの日程が組まれた。
日程が3日連続だったこと、通学時間が片道2時間と微妙に長いこと、そこそこ高いネカフェ代を出せば(気持ち的に)無理にでも出席できるのではないかという考えから、1日目と2日目の夜はキャンパスのある付近のネカフェに宿泊して3日間のスクーリングを乗り切ろうという考えに至った。
結果から言うと早退することも保健室でヘラることもなく無事に全ての授業に全通することができたので(3年半の高校生活でこれが初)今回はそんなネカフェ泊限界登校をした3日間を振り返ってみようと思う。

1日目

1日目は授業が午後からだったので家から直接電車で学校へ向かった。
リュックひとつに2泊分の着替えと薬、筆記用具、iPadを突っ込んで向かったので荷物が重かった。メイク道具は入らなかったので2日目以降はすっぴんマスクで過ごすことになった。
初日の授業は4コマしかなくて、うち2コマはグループワークだった。
他者とのコミュニケーションは苦手なはずだけど、学校に到着した直後にデパスを服薬した影響で躁状態になり同じ班だった女の子数人とインスタを交換した。

18時頃に下校し、サイゼリヤでパスタを食べてからネカフェに向かった。
終電逃した以外でネカフェに泊まったのは初だったので割とワクワクしていた。

↑様子

シャワーと服薬を終え23時頃には寝ようとしたが、2時間弱寝たところで一度起きた。
完全個室のネカフェではドリンクバーを部屋に持ち込めないため、明るい漫画コーナーでリアルゴールドを飲んでいたら完全に目が覚めてしまった。
眠剤が入っているので記憶が曖昧だが、スリッパのまま2回コンビニで夜食を買っては食べても眠れず、多分空調の影響で体調が最悪になり、明け方になってから吉野家をテイクアウトして部屋に持ち帰り血糖値を上げて気絶した。

2日目

牛丼のドカ食い気絶後に目が覚めると8時半で焦った。
急いでタオルケットを片付け、ゴミを捨て、荷物をまとめてネカフェを出た。学校には余裕で間に合った。到着した瞬間にデパス服薬。
2日目は朝から夕方まで授業が詰め込まれていたが、体育館で卓球するだけの時間が2時間もあり飽きずに、メンタルも崩すことなく終わった。
デパスが入った状態だと社交的になるのか、卓球で同じグループだった女の子とインスタを交換した。

17時頃下校し、サイゼリヤでラムを食べてからネカフェに向かった。
通された部屋は1日目の倍くらいの広さがあり快適だったが、出した荷物を片付ける必要がなくなった結果一晩で部屋が散らかった(発達ムーヴ?)
チェックイン後、特にやることもなかったのでネカフェ近くのスーパーに外出し惣菜を買って食べながらツイッターをしていた。
ドリンクバーを部屋に持ち込めないことがわかったのでペットボトルの水を多めに買い、夜中起きてもトイレ以外で部屋を出なくていい環境を作った。
ネカフェ睡眠にも慣れてきたのか、服薬後割とすぐに就寝に成功しまとまった睡眠を取れた。

3日目

6時半に目が覚め、服薬後に二度寝したら8時だった。
前日と同じように学校に登校し、デパスを服薬した。
3日間のスクーリングの中ではこの日は内容が一番つまらなかった。
座学が多くて、特に2コマ連続の地学ではプリントもなく先生が永遠と喋り続けているだけで辛かった。
座って40分間話を聞くことがただただ辛かったので、黒板の右上にあるデジタル時計を見ながら1分ちょうどを当てるゲームを脳内でやっていた。
2コマ目は更にデパスを飲んでから同じことをしたら体感時間がバグって面白かった。

そんな感じで地学を乗り越えた後はまたグループワークがあったり、恐らく留年か休学生だけの数学の授業がありそれらは楽しかった。
関東が豪雨で学校が一瞬停電するなどのアクシデントはあったけど、3日目も無事終了して電車で帰宅した。

統括

ネカフェ泊限界登校により休学の原因だったスクーリングを完遂できて、高卒できる道が開けてきた。
ネカフェ代、食費、交通費etcで結構お金は掛かったけれど、またひとつ2024年中の目標が叶いそうで嬉しい。おわり。


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