アーク・オッニョ

アウトプットの練習/がんばります

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【令和最新版】自己紹介

最後に自己紹介を書いたのが2年前だったので、最新版の自己紹介を書いていこうと思います(今日更新すれば5週連続らしいので……) 誰ark_onyo(アーク・オッニョ)です。アークさんとかおにょちゃんとかで呼ばれています。 名前はFFが考えてくれました。とても気に入っています。 よく聞かれますが本名とは1文字もかすっていません。本名は本名で気に入っているので、どこかで使いたいです。 そだち 小1からまともに学校に行ったことがありません。 中学時代は児童精神科病棟と実家を行っ

    • 3年半かけてN高を卒業した

      休学を挟んで辞めかけていた通信制高校を卒業することができたので、一般的な高校生よりも半年長かった高校生活を振り返ってみる。 高校生時代の生活の部分は年度末にnoteにしているので、今回は中学校不登校&精神状態や家庭環境に難アリならではの視点から、良かった面・苦労した面をメインに書いてみる。 わたし自身に興味を持ってくれた方はもちろん、これからN高をはじめとする通信制高校を検討している人の参考になれば嬉しい。 受験期〜入学 特別支援学級不登校の中学生だったわたしにとって、パ

      • 更新が止まってますわね🌀

        • 19歳、多分そろそろ儚くない

          2024年7月20日 産まれてから0から数えて19年が経ったらしい。 "少女"としての寿命は多分もうすぐで、実際に頭の中も暮らしも、全盛期だと思っている頃と比べると驚くほど落ち着いてしまった。 ↑多分全盛期 閉鎖病棟に入院したのも児童相談所に保護されたのも結局17歳の時が最後で(後者は年齢的にこれから入ることはないけど)メンブレすることはあっても大きな希死念慮を持つことは少なくなった。 というかわたしの場合は、これまでの問題行動が未成年故の制約の厳しさから来ていたものなの

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          13本
        • アーク・オッニョについて
          10本
        • 閉鎖病棟の話
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        • 児童相談所の話
          3本

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          ネカフェから高校行ってみた

          登校が苦痛なので通信制高校を選んだのに年数回の登校日があり、自宅でできる課題提出はこなせたものの登校日の遅刻と早退が多すぎて学校側から休学を勧められ、卒業に3年半かけることになった。 休学中も身分は高校生を名乗れるため、今年1月から6月までの半年間はストレートにいけば大学1年生の代なのに、嘘の高校生として学割を駆使して平日の昼間のカラオケに通い詰めたり(歌広場プラチナ会員になった)この歳で漢検3級を受験しに行ったりと、プライドを捨てて割と楽しんでいたと思う。 そんな感じで

          ネカフェから高校行ってみた

          親のいない実家に帰郷した

          近いうちに今住んでいる家から引っ越して東京を離れることになりそうなので、平日の昼間の親が仕事で居ないタイミングで実家に置いたままだった私物を取りに戻りたくなった。 わたしがまともに実家で暮らしていたのは中学1年生までで、それ以降は閉鎖病棟に入院したり、退院して数ヶ月でまた再入院を繰り返していた。 15歳で施設に入ってからは両親と連絡を取ることも無くなって、それから2年後に施設を出て今のマンション型のグループホームに移るまでの2ヶ月は一時的に実家に戻ったけれど、そのときは"実

          親のいない実家に帰郷した

          CBTで受けた漢検3級に受かってた

          先日受験したCBTの漢検3級の結果が返ってきた。 ↑受験までの経緯 漢検には年3回の会場受験・任意のタイミングで受験日を選べるCBT受験(PCとペンタブを使用)があり、自分の体調が直前までわからないという理由から今回はCBT受験を選んだ。 全てPCで完結するので問題用紙は貰えなかったものの、設問の何を間違えたかまで載っている検定結果が合格証書と一緒に届いた。 受験前に数回分やった過去問では大体160点〜170点台だったので、本番で過去問以上の点が取れていたのは意外だった

          CBTで受けた漢検3級に受かってた

          10歳のわたしと3DSのお姉さん

          学校に行かなくなって、親同士の仲が良いというだけで一緒に遊んでいた同級生たちにもいまいち心を開けない当時10歳のわたしの世界はネットに繋いだ3DSがすべてだった。 平日の昼間に親が買い物やランチに行くとこれ幸いと2つ折りのゲーム機を開き、どうぶつの森のリアルタイムチャットで似たような状態の友達と遊んだり、後にTwitterにハマるきっかけとなるニンテンドー専用の掲示板に張り付いていた。 前述した通り不登校で子ども同士の友人関係といったものを経験したことがなかったり、たまに学

          10歳のわたしと3DSのお姉さん

          児童相談所とか閉鎖病棟、もう二度と入りたくないのは確かなんだけど、今これまでで1番最高で幸せな生活を送っているのにそれに強制的にピリオドを打ってくる人が居ないのが不思議だ

          児童相談所とか閉鎖病棟、もう二度と入りたくないのは確かなんだけど、今これまでで1番最高で幸せな生活を送っているのにそれに強制的にピリオドを打ってくる人が居ないのが不思議だ

          CBTで漢検3級受けてきた

          年始に立てた目標の一環で漢検を受けてきた。 義務教育をまともに受けていない状態では小学校後半の漢字も怪しかったので、ドリルは5級から始めた。 勉強を始めたのは2023年6月頃からなので、今からちょうど1年で小6〜中学卒業までの漢字を覚えたことになる。想定よりもペースが早くて嬉しい。 字が上手くなったかはわからないけど、日常的にノートとペンを使う人の字にはなったと思う(不登校の頃から半年シャーペン持たないとかはザラだったので……) 試験予約 漢検には会場受験(紙)とCB

          CBTで漢検3級受けてきた

          施設よりトー横を選んだともだち

          施設に入っていたときに知り合った友人のひとりが、17歳のときから多分今もホテル暮らしというか路上生活というか住所不定をやっている。Kちゃんとしよう。 Kちゃんの暮らしは側から見ても楽ではない毎日だと思うけど、本人曰く今の生活は施設にいて自由がないことと比べると幸せということだった。 施設に入る前のKちゃんは、精神疾患の両親の離婚に振り回されたり、母親と弟妹たちとの夜逃げ先をKちゃん自らが探し回ったりなどと、高校1年生ながら自由が多いというより責任のある立場だったらしい。 そ

          施設よりトー横を選んだともだち

          数字としてのnote

          これまでnoteで数字(スキ、ビューなど)は全く気にしていなかったんだけど、ものは試しとして意識してみたら、思った以上の変化があった。 画像1枚目は数字を意識してから少したった頃の月間ビューで、2枚目はこの記事執筆時点のもの。 スクショ撮ってなかったけど何も考えずに投稿していたときは毎月1500〜1800くらいで安定していた気がするので、1週間ちょっとの細工でこれまでの平均+1000弱を取れたのは嬉しい誤算だった。 一方で、数字を意識してnoteを書いていると内容はもちろ

          児童養護施設の道具屋さん

          厳密には養護施設ではないけど、15歳から2年半施設で暮らしていた。 最近は年齢上限が撤廃されたらしいけど施設にいるほとんどの子が未成年だったので、契約行為ができない。 バイトや学校などで保護者の承諾が必要な場面では施設長が代理人になってくれていたけど、令和のJKの必需品であるスマホは支払い能力があっても本当の親を挟まないと契約ができなかった。 そもそも親との関係が良好であれば基本的に施設に来ることはないので、当時施設にいた未成年の半分くらいはsimあり(キャリア通信ができる

          児童養護施設の道具屋さん

          施設から閉鎖病棟に入ってきた女の子

          中学時代の1/3は入退院を繰り返しながら閉鎖病棟で過ごしたんだけど、施設から病院に入院してきていた子がいた。 わたしがいた児童精神科病棟は基本3ヶ月で退院させられる急性期病棟と違って、実質1つの施設として機能していても良いくらい長期入院している子が多くて、入院するほど精神に問題がありそうな子は少なかった。 だったら病院より施設にいた方が、常にエレベーターホールの前が施錠されている閉鎖的な空間にいるより健全だと思うんだけどそういう訳にもいかないらしい。大人の事情……(社会的入院

          施設から閉鎖病棟に入ってきた女の子

          小学校の支援学級が神だった

          支援学級に籍を置いていたのは中学からなんだけど、通っていた小学校には週に1回だけ通う支援学級があった(通級という場所で、わたしが卒業した数年後には制度ごと無くなっていた) 親の意向で診断がつく前に複数の精神科に転院を繰り返していたため(バックれてるので初診?)小5までその支援学級に通う資格はなかったんだけど、学校内でのわたしの様子に見かねた支援学級担任の善意で体験という形で入れてもらえることになった。 支援学級内では学校の教科の勉強はせず、学年はバラバラの複式学級で給食を

          小学校の支援学級が神だった

          中途半端ってつらいよね

          自分の能力や環境に関して、中途半端に運が悪かった。 小学生の時は発達障害グレーで周囲にはついていけないが支援学級では持て余していた。 施設に入るにしては家庭環境が良い方だったので、事情を知っている施設職員からの当たりが強かった。 障害も育ちも悪ければ悪いほど大変なのは理解しているつもりである。 悪い中でも恵まれている苦しみは自分が一番わかっているはずなのに、恵まれているように見える状況で苦しんでいる人に嫌悪感を抱いてしまう。 自分がされて一番苦しかったことを他人にやってい

          中途半端ってつらいよね