アーク・オッニョ

アウトプットの練習

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最近の記事

†習慣化†

継続は力なり💪みたいな意識高いことをしようとしたわけではないのに、Duolingoを毎日続けて連続記録が50日を超えた(サムネは1ヶ月くらい前のもの) スマホは毎日平均7時間使うので目に入るところにウィジェットを作ったらアプリを起動するまでのフットワークが軽くなり、いつのまにか毎日Duolingoを開いてレッスンをこなすのが習慣化されたのだと思う。 ASDの特性もあるだろうが、いちど習慣が身に付くと毎日続けることはほとんど苦痛にならなかった。 実際にDuolingoをやって

    • 通信制高校生活3年間をふりかえり!

      休学したので卒業してないんですけども、高校3年間の間にあった出来事を振り返っていこうと思う。 学校要素は殆どなく、施設・アルバイト・病気などに全力を捧げた3年間でした。 (今回は長いので目次付きです) ・〜受験まで不登校だった&&それとは関係なく中3の夏まで児童精神科病棟に入院していたため、進路の選択肢は通信制しかなかった(一瞬国立高専に行きたかった時期があったけど、内申ないし5年間体調を安定させるのは無理だったので行かなくて正解だった) 最初は某通信制高校の通学コースを受

      • 土曜日の児童相談所

        2021年4月某日 当時15歳のわたしは北新宿の児童相談所内にある一時保護所に収容されていた。 入所してまもない頃は非日常で異常で特別に感じたこの場所での生活も、1ヶ月弱繰り返せば日常化して退屈になる。 日中は教員免許を持った先生が来て授業をしたり体育館でランニングをしたり、担当の児童福祉司が面会に来たりと何らかの日課がある平日と比べると、世間は休日で保護所に出勤する職員の数も少ない土日はわたしたち入所児童にとっては退屈でつまらない週末だった。 あと何回、ここで週末を過ごす

        • 閉鎖病棟にいた小学生

          中学生の時に2回、一番長かった時で8ヶ月児童精神科病棟に入院していたんだけど、その病棟には小学生もいた。 本来なら家庭で生活し学校に通っているはずの年齢の子が、精神科の閉鎖病棟に入院するほどの事情ってどういうことだろう。 当事者の立場だし本当の事情はわからないけど、入院中に出会った小学生の子の中でも特に印象に残ったAくんの話をしようと思う。 1回目の入院で最初に仲良くなったのが、当時小学3年生になったばかりのAくんだった。 退屈な毎日の繰り返しである入院生活では新規入院者は

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        • アーク・オッニョのエッセイ
          57本
        • 児童福祉施設の話
          8本
        • 閉鎖病棟の話
          11本
        • 児童相談所の話
          3本
        • アーク・オッニョについて
          9本
        • 日記
          8本

        記事

          時間に対する価値観を変えたら幸せになってきた

          施設にいた関係で高1からの2年間をほぼアルバイトに費やしていたからか、時間を無駄にすること≒損失という価値観が常にあった。 当時時給1013円で働いていたので、自分の1時間の価値は1013円であり、1時間1013円に満たない行動は無駄で、すべて損だと思っていた。 実際の時給は自分の時間に対する価値ではなくて、行った労働に対する対価だったのだけど。 アルバイトを辞めて施設を出て生活保護で暮らすようになってから、当時とは比べ物にならない程時間とお金に余裕ができた。 初めのうちは

          時間に対する価値観を変えたら幸せになってきた

          恐怖が増えてきた

          ほとんどの物事が怖くなってきた。 日常的な支障として、特に対人関係が怖い。 コミュニケーションに難があるのは今にはじまったことではないが、以前は好んでやっていたツイッターさえも忌避するようになってきた。 人と会えない。 誰と会うのも怖い。 今年に入って唯一会った施設時代の知り合いからはわたしがルポライターだったら本1冊書けるくらいの重い話を散々聞かされ、3日に一度は心中の誘いをされるようになった。 今のメンタルではたえきれない。 現状維持以上の生活が苦しくなってきた。

          恐怖が増えてきた

          2024年にやりたいこと

          noteを眺めていたら「2024年にやりたいこと」というタグがあったので、便乗してリストアップしてみることにする。 年始に立てた抱負なんて半年を過ぎる頃には忘れているのがオチだけど、自分がやりたいことを把握するには良い機会だと思う。 1.高校卒業 これを書いている2024年1月時点でわたしは通信制高校3年生で、本来であれば年度末に卒業できるはずだった。 だけど精神の不調や自己管理能力の欠乏、怠惰とかが重なって退学と留年は免れたものの休学することになり、来年も高校生をするこ

          2024年にやりたいこと

          年が明けてから振り返る(前編)

          2023.12.31 Xとなってしまったツイッターランドでは、タイムラインでフォロワーたちがこぞって1年間の出来事を振り返っていた。 特に逆張りというわけではないのでわたしもそれにならって振り返ろうとしたところ、たまたま頭のコンデションが悪かったのかBADに入ってしまった。 その間に年は明け、三が日もとっくに終わってしまったけれど、今更2023年を振り返ってみようと思う。 1月 施設で2度目の年越しだった。 2022年には悲しいことがたくさんあって、年末に自殺未遂をした

          年が明けてから振り返る(前編)

          関東例会に参加して

          ※この記事はサークルクラッシュ同好会アドベントカレンダー22日目の記事です。 自己紹介 アーク・オッニョ(Twitter:@ark_onyo)と申します。 HNはフォロワーに考えてもらったのですが、響きが良くて個人的にも気に入っています。 アークさん/オニョちゃんなどと呼ばれることが多いです。 どちらが名字なのかは自分でもわかってません。 関東例会に参加して サークルクラッシュ同好会という存在はTwitterで見かけたことがある程度で、具体的にどのような活動が行われて

          関東例会に参加して

          めでたくない卒業

          通信制高校を3年で卒業できそうにない現実から逃避するために、わたしのこれまでの卒業に対する経験を文章化してみる。 学校の卒業式に出たことがない。 正確には幼稚園と小学校の卒業式には出たんだけど、親の意向で当日だけ参加した行事以外のほとんどを休んだため特に帰属意識はなく、感動も思い入れも覚えなかった。 中学はそもそも中1の最初以降全く通っていない上、自殺未遂をして入院したまま卒業式の日を迎えたので何もわからない。 そして春に卒業すらできない通信制高校は、年数回のスクーリング以

          めでたくない卒業

          【日記】2023-12-08

          ペイディのカードを申請したらすぐ通って枠が思ったより多かった。 枠が多いというだけで、根本的な収入が増えた訳ではないことは忘れないようにしたい。 だけどいざとなったとき使えるお金の桁がデカいのは安心感がある。 クレジットカードはセキュリティ面で美しいとは言えないけれど、スマートでハイテクな生活に憧れはあるので、これを機にクレカ決済をメインに支払いをしたいと思う。 クレカ決済を主にすると小銭が発生しないので、唯一続いた百円玉貯金のようなことができなくなるのは気がかりだ。 そも

          【日記】2023-12-08

          日記帳のエッセイスト

          2021年春。 当時15歳だったわたしが収容されていた、北新宿の奥地にある児童相談所では、毎晩夜7時に始まるその日当直の先生によるありがたいお話が終わった後に日記を書く決まりになっていた。 「オッニョさんの今晩の日記が楽しみです!」 初めて見たときは入所中の中学生かと思ったくらいには童顔で化粧っ気がない、でも一人称はしっかり"先生"の女性保育士にある日日記を配られるタイミングでこう言われた。 表紙に花の写真が描かれた緑色の日記帳に書く内容は、その日の出来事に限定しなくても

          日記帳のエッセイスト

          【日記】人の目を見れない

          対面でのコミュニケーションで、相手の目を見て話せない。 相手の目を見なすぎて、そもそも健常者(主語)がコミュニケーションにおいてほとんどの場合相手の目を見ているということに気づくのに時間がかかった。 目を見て話さないのが通常だと思っていた。 怒られることが怖かった。 怖かったので、1秒でもその時間を短くする方法を考えていた。 ひとが怒るとき、大抵の場合は声で怒る前に顔で怒ることに気が付いた。 それならば、日頃のコミュニケーションから相手の顔を見ないでおけば、怒られている時

          【日記】人の目を見れない

          場合分け

          年単位で鬱病をやっているということで、とにかくとりあえず、嫌なことがあれば希死念慮を持つことで解決していた。 すぐに死にたくなることは、健全な思考ではないはずだ。 だけど悪いことばかりではなかった。 希死念慮を抱えると自分の命を嫌いになるけれど、その他の負の感情を持つことはなかった。 だから自分以外を責めたり、嫌いになったり、人間関係を壊すといった他害は少なかった。 躁鬱の周期的にマシになったタイミングで、なんとなく死にたくなるのを辞めてみた。 それでも死しかないときは死

          救われてないのに救うな!

          わたしには人助けとかをできるほどの器が無いのだなあ、と思う。 施設にいた頃、自分も救われていないのに、人を救おうとしてしまったことがあった。 わたしもわたしで終わっていたけど、それより終わっていた子にたすけてと求められ、わたしもわたしで頼られたのが嬉しくてお姉さんぶりたくて、救おうとした結果、救えなかった。 色々やって、良いことも悪いことも本当に色々やって、結局救えなかった。 わたしには人助けとかをできるほどの器が無いので救えなくて当然だったんだけど、救えていたら救えていた

          救われてないのに救うな!

          北新宿の児童相談所

          15歳で施設に入る前、2ヶ月くらい児童相談所の一時保護所に入所していた。 特に新宿区民というわけではなかったから(なんなら実家は郊外だったし)どうして新宿で保護されることになったのかはわからない。 初日は児童福祉司(児童相談所の職員)と入院していた閉鎖病棟からタクシーで高速道路に乗って新宿に移送された。 メーターが3万近くて驚いたし、支払いがタクシーチケットで行われていてすごかった。芸能人? 新宿は東京の中心なので、新宿児童相談所は東京のトップの児童相談所ということだった。

          北新宿の児童相談所