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19歳、多分そろそろ儚くない

2024年7月20日
産まれてから0から数えて19年が経ったらしい。
"少女"としての寿命は多分もうすぐで、実際に頭の中も暮らしも、全盛期だと思っている頃と比べると驚くほど落ち着いてしまった。

↑多分全盛期

閉鎖病棟に入院したのも児童相談所に保護されたのも結局17歳の時が最後で(後者は年齢的にこれから入ることはないけど)メンブレすることはあっても大きな希死念慮を持つことは少なくなった。
というかわたしの場合は、これまでの問題行動が未成年故の制約の厳しさから来ていたものなので、去年に18歳で成人してからは苦しむ要因が減ったことが大きいんだと思う。そういうことも含めて、多分もう"少女"じゃない。

一方でひとつ分かったこととしては、誕生日を迎えても数値上の年齢が上がるだけで急に大人になるとか、全てが大丈夫になる訳ではなかった。
ASDで対人関係や社会と繋がることは未だ苦しいままだし、実家を出るために15歳で入った施設を中途半端に逃げ出してからは生活保護を受け続けてかれこれ1年近い時間が過ぎた。
生活保護になった当初はたった1年半でフルタイムのバイトを3つ辞めた挫折感と疲れが大きすぎて、このままずっと働かずに資格の勉強をしたり文章や絵を書いたり音楽ゲームの腕を磨きながら平穏に過ごしたい気持ちが大きかったが、最近はこのままでは何か、取り返しのつかない物を失うような焦燥感に取り憑かれている。

結局、せっかく何もしなくてもいい状態になったわたしは、何もしないということができなかったのだ。
就労してお金を稼ぐ行為をしなくなったところで、働きたくないと言いながらも履歴書に書けば有利そうな資格の勉強をしているし、ゲームも文章もお絵描きも、一般的に見れば遊びとカテゴライズされる事柄に対しても、目標を決めて向上心を持って取り組んでいる。
もしもわたしが頑張りたくない、疲れたくないと思っているなら今やっていることは矛盾だし、本当の自分の気持ちがわからない。

約2年の施設暮らしで知り合った友人たちも、結局住む場所が離れ離れになればSNSで連絡を取り合うことはあっても会わなくなった。
当時見えていた世界の全てを語り合い、4畳半の狭い個室に集まり雑魚寝していたのに、インスタのストーリーで何となく近況はわかっても、どこで何をして何に苦しんでいるのかはわからなくなった。
施設にいた当時は施設内の人間関係すらも負担で良かったことばかりじゃなかったはずなのに、あの頃の日々は頭の中でいい感じに思い出になっているし、当時は今の自分から見れば小さいことを、まるで世界が終わる問題かのように泣いていたように思える。
あれだけ大人になりたかったのに、どうやってもなれなかったのに、時を待てば勝手にステータスは大人に変更され、自由が増えて苦しみが減った。

施設時代の心残りがあるとすれば、わたしが施設にいた2年弱の中で3ヶ月だけ隣の部屋にいた1つ年下の女の子が実家に戻った後に16歳で自殺してしまったことだ。
お互いに施設を出てから会うことはなかったけれど、あの子がまだ生きていたときに一度だけ一緒に死のうと連絡が来たことがあって、当時のわたしはそれを軽くあしらってしまった。
友達から心中の誘いが来て断ったら1人で死なれたことにずっと囚われていると言えば聞こえはいいが、本当はあの子にとって相手など誰でもよく、わたしが流されやすく押しに弱い性格だから誘ってきたことも含めて、"少女"ではなくなりかけているわたしは理解してしまって、そんなわたしとは対照的に、16歳で死んだあの子はわたしの中で永遠に"少女"になった。
あの子は次の誕生日が来てもそれからもずっと16歳なのに、これからはわたしだけが歳を取って、1つしか違わなかった年齢も離れていって、当時の彼女の尊敬していた部分を大人になっていくわたしはわからなくなってしまうんだと思う。
死なないで欲しかった、みたいな綺麗事は言えないし、今心中を誘われた日に戻れたとしても、あの日とは別の行動を取れる自信はない。
あの子が生きていたとき、わたしが力になれることはなかったのだ。
選択肢、世界線、可能性……もう何を閃いたって遅いのに。

登校することができず、退学して社会と大きくズレる勇気もなくて半年休学した高校も結局卒業できそうだ。
狂うなら最後まで狂い切りたかったのに全部中途半端で、多分死ぬまで何も成し遂げることはできなくて、ずっとそれが嫌だったけど、最近はそんな空っぽな人生でも、自分が幸せだと思えればそれでいいと考えるようになってきた。そういうところまで"少女"から"大人"に切り替わっていく。

自分が変わること、成長することでそれが自分じゃなくなっていくことが、今のわたしが居なくなるような感覚がして少し怖い。
でもじゃあ今のわたしは一体いつから今わたしだったのかなんてわからないし、数年前の自分も今の自分とは少し違ったと思うから、これからわたしはもう少し時間をかけて新しいわたしにバトンを渡して、完全に"少女"ではなくなる。
とはいえ本当の"大人"は誕生日にこんなnoteなんか書かないと思うから、こういうことを書いているうちはまだ、儚い少女で居られるのかなあ。

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