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小学校の支援学級が神だった

支援学級に籍を置いていたのは中学からなんだけど、通っていた小学校には週に1回だけ通う支援学級があった(通級という場所で、わたしが卒業した数年後には制度ごと無くなっていた)

親の意向で診断がつく前に複数の精神科に転院を繰り返していたため(バックれてるので初診?)小5までその支援学級に通う資格はなかったんだけど、学校内でのわたしの様子に見かねた支援学級担任の善意で体験という形で入れてもらえることになった。

支援学級内では学校の教科の勉強はせず、学年はバラバラの複式学級で給食を食べたら解散、午前中の4時間を使って体育・グループワーク・SSTなどをやっていた。朝の会に1時間丸ごと使っていた。
ほとんどの子が小1から毎週通っているようだったけど、いかにも"問題がある子"ばかりで、逆に残りの曜日に通常学級に通えていることがすごいと思った。
NHKの某教育番組に出ている子と1年だけ一緒なったけど、授業中に突然走り出すパワー系でテレビで見る姿とギャップがあった。

体験後に様子を後ろで見ていた母からは、"そういう子(発達障害)が通う場所だからアーク・オッニョが行くのは違う"と言われたけど、元々わたしは発達障害だったので小5からの2年の間でも学ぶことが多かった。
教科の勉強がないとはいえ初めの頃は週1回4時間登校するだけで大変だったので、まず体力がついた。
場面緘黙症でほとんど喋れなかったけど、グループワークで喋る順番が明確に決まっている状態なら喋れるようになった。
最初は食べられなかった給食も、小5の後半にはおかわりができるようになった。
(こう書くと結構ASD重かったのでは??)
最後まで相手の顔を見て喋ることはできなかったけど、健常者ポイントは確実に上がったというか、できるようになったことが明らかに増えた。
小1から通うことができていたら今は……みたいなタラレバを考えてしまうことはあるけど、過去のことは変わらないし当時からすれば今より最悪な未来も容易に想定できるので、仕方ないと思うことにする。

ちなみに当時授業中に教室を逃げ出しまくり、暴言暴力しまくりだった子たちは中学に入る頃には大抵落ち着いて、服薬も通院もせず全日制高校に入り、何事もなかったように進学や就職をして社会に溶け込んでいる。
知能に問題がない発達障害に早期療育は大事……(手帳持ち就労不可並の感想)

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