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3年半かけてN高を卒業した

休学を挟んで辞めかけていた通信制高校を卒業することができたので、一般的な高校生よりも半年長かった高校生活を振り返ってみる。
高校生時代の生活の部分は年度末にnoteにしているので、今回は中学校不登校&精神状態や家庭環境に難アリならではの視点から、良かった面・苦労した面をメインに書いてみる。
わたし自身に興味を持ってくれた方はもちろん、これからN高をはじめとする通信制高校を検討している人の参考になれば嬉しい。


受験期〜入学

特別支援学級不登校の中学生だったわたしにとって、パンフレットや公式サイトで見るN高はとても魅力的なものだった。
オンライン学習、プログラミング、VR、インターン……魅力的な単語が続々と並んだ宣伝動画を見ながら、半年後の未来に期待を抱いていたと思う。
当初は通学コースに通うつもりだったので受験があったが、代々木のキャンパスで簡単な作文と面接を終え希望のコースに合格することができた。

入学式の日に児相送り

高校生活を振り返るnoteでも触れたけど、受験後の自殺未遂による家庭環境の悪化で通学予定だったキャンパスの入学式当日に児童相談所送りになってしまった。
入所した保護所では一時保護中でも単位取得に支障の出ないように学校と交渉して自由時間に課題に取り組む制度はあったものの、N高はすべての学習がオンラインで完結しているため不可能だった。
わたしは入学当初と合わせて高校在学中に合計2回一時保護になって提出が遅れてしまったけど、一時保護所でインターネットを使うのはまず無理なので、家庭環境起因で学校と繋がることが難しくなる可能性がある場合はレポートが紙提出の高校を選ぶと良いのかもしれない。

1年目:通学に苦戦

環境要因でレポートの提出が間に合わなかったと先述したけど、N高の課題提出は毎月の締切日に間に合わなくても年末にある最後の締切日までにすべて終わらせれば進級・卒業が可能なため、少なくとも年単位で幽閉されることはなかったわたしにとっては大きな問題にはならなかった。
それよりも個人的に大変だと感じたのは年数回あるスクーリングで、高校1年生当時は児童相談所を出て施設に入所してからは時間固定のフルタイムで工場のアルバイトをしており、日程を合わせることが難しかった。
事前に希望すれば調整してもらえるのかもしれないが、基本的にスクーリングの日程・時間割が決定するのが当日の5日前とかで、バイト先との調整がつかず中途半端に出席したり休んだりで年5日行けばいい所を10日くらい行った記憶がある。
単位取得に必要なレポートは好きな時間に取り組めるものの、通信制高校の卒業にはスクーリングが必須なため突然の日程調整に融通を効かせることが難しい場合は登校日が週1など固定されている通信制高校の方がスケジュールやリズムが管理できるような気がする。(ちなみにN高の通学コースは"学校"と定義されていないため、例えば週3回通学したとしても全国各地に指定されたスクーリング用のキャンパスに指定日数通う必要がある)

2年目:落単(落胆)

勘の鋭い読者の方々にはお気付きの方もいるかもしれないが(言いたかっただけ)高校に入学して最初の1年は環境をはじめとする自分を取り巻く変化が多すぎて、高校受験期に夢見ていたキラキラN高コンテンツを何一つ消費することができなかった。VR機材は箱を開けてすらいなかった。
施設のドアが透けて外から様子が丸見えの面会室を借りて辛うじてPC部のzoomに数回出席したけれど、施設にいる限り活動にガッツリ取り組めるN高生たちと同じ生活をすることは叶わないことに気づいてからは、進級に必要な最低限のレポート提出以外のSlackをはじめとするN高関連の物事には自然と目を逸らすようになった。

↑右上のドアが透けていて、常にPC画面を覗かれる環境でしかインターネットを使えなかった

今思えば環境のせいにするのは甘えで、その中でもできることを模索するべきだと思うのだが、当時の自分にそんな強さはなかった。
高1のときフルタイムでバイトしていた工場は高2に上がる直前で鬱になって辞めていて、皮肉にも無職になって施設内で時間ができた結果(自由とは言っていない)スクーリングと単位認定テストを受けることができ無事フル単で進級することができた。
高2の1年間はバイトを2回はじめて2回辞めた関係で国民健康保険に4回出たり入ったり(精神科の受給者証の手続きが毎回面倒だった)児童相談所に入ったり閉鎖病棟に入ったりと学業どころではないくらい色々あり、結論からいうと数単位落とした。
唯一の救いだったのはスクーリング会場が近かったので体調不良で遅刻早退が多くても何とかなったことだけど、翌年度からキャンパスが都内の自宅から片道1時間半くらいの過疎地に移転となり通学の難易度が格段に上がった。

ビジュアル全振り高等学校

3年目:退学を検討

高3の春に施設を出ることができて、2ヶ月だけ実家に住んでその後マンション型のグループホームに入居した。
実家にいた2ヶ月は特に働きもせずに施設で貯めた貯金を食い潰しながらメンヘラ彼女と理解のある彼くんの20年後バージョンみたいな両親を眺めたり、10年だけ一緒に暮らした性格が良すぎる弟とマリオしたり、家族全員が出勤通学したあとの誰もいない実家で昼寝したりとN高3年目にしてようやく通信制高校生らしい?生活を送っていた。施設側の手違いで学費を払い忘れていた(!?)のでレポートやスクーリングといった学校関連のイベントもなく平和に時が流れて、グループホームの空きが出てからは念願の一人暮らしが始まった。ちなみに実家を出たあとすぐに平和は終わって、戦争を経てから冷戦が1年以上続いている……。

グループホームに入ってからは無理な労働はしなくてよくなったし、高1の夏前から色々なものと引き換えに得た貯金を使い切ってから生活保護を受けたので時間的余裕はたくさんあった。100万近くあった貯金がゼロになり何もせずとも国から毎月10万円が入金されるようになったとき、これまでの2年で何をしたかったのかが全部わからなくなった。
あれだけ欲しかった、足りなかった時間は全部あるはずなのに何も手に付かなくなって、でもそんなことは過去の自分から見れば怠惰でしかなくて、やけに豪華になったキャンパスでのスクーリングもいつでも使えるようになったパソコンでのレポートも適当なまま数ヶ月を過ごした。ちょうど1年前に施設で一緒だった子は全員高校を辞めていたし3ヶ月だけ部屋が隣だった子は自殺したし、生活保護になった自分が一番恵まれていることが苦しかった。

環境とか労働とか物理的な制約はなくなったはずなのに勝手に病み散らかして、与えられたものをこなす努力ではなく頑張らない理由を探す日々が続き、レポートは滞納し、スクーリングは欠席した結果、ストレートで卒業が難しいという電話が担任からかかってきた。自分がなにもできなかったししなかったN高にもうお金を払いたくなかったので退学するつもりでいたが、休学なら無料でできるという情報を教えてもらい、数ヶ月休んだところで意味があるのかと半信半疑ながらも半年休学することを選んだ。

3年半目:本気(マジ)の卒業計画

休学直前までは環境とか格差とか教養とか友達とか命とか自分1人で何を閃いても全く意味のない万象に対して全力で悩んでいたはずなのに、半年休んだら大丈夫になった(ちょろい)
レポートは休学前にすべて提出していたので、残りは数日のスクーリングとテストをこなすのみだった。本気(マジ)で全授業を完走するために学校付近のネカフェに泊まり込み、宣言通り授業とテストを全通し、卒業が確定した。

高卒無職として

大変幸福なことに個人的な価値観で「†高卒†」は高学歴として分類されているので、最終学歴特別支援学級だった自分が高卒無職となったいま、将来の不安より達成感の方が大きい。
もっと人生に危機感を持った方がいいとよく言われるし、自分でもそう思うけど、結局将来へ希望が持てるかどうかって個人の価値観次第であって、全日制高校を卒業しても低学歴である自負が拭えず苦しんでいる人もいれば、中卒でも人生楽しくやっている場合もある。
わたしの場合運良く3年半かけて高校を卒業できた訳だけど、それは結果的に得ることができたステータスであって、仮に高校を途中で辞めていても、これから進学や就労ができるようになったとしても、自己肯定感に多少の上下はあってもわたしがわたしであることという事実そのものが変わることはないと思っている。


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