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通信制高校生活3年間をふりかえり!

休学したので卒業してないんですけども、高校3年間の間にあった出来事を振り返っていこうと思う。
学校要素は殆どなく、施設・アルバイト・病気などに全力を捧げた3年間でした。
(今回は長いので目次付きです)


・〜受験まで

不登校だった&&それとは関係なく中3の夏まで児童精神科病棟に入院していたため、進路の選択肢は通信制しかなかった(一瞬国立高専に行きたかった時期があったけど、内申ないし5年間体調を安定させるのは無理だったので行かなくて正解だった)
最初は某通信制高校の通学コースを受験したが、施設に行くことになってしまったので1回も通わず終わった。

・高校1年生1学期

入院&&一時保護

受験直後に再び精神科病棟に入院してしまい、学年が変わる4月は病院で迎えた。
入学式があった日に一時保護所に入ることになったので、学校関連のことはなにもせず終わった。

↑一時保護所関連

施設入所

一時保護所で2ヶ月弱過ごし、5月の終わりに施設入所が決まった。
地元(東京郊外)から23区内へ引っ越したため、通学コースには行けなくなってしまった。距離的な問題が解決しても金銭面(学校にいる間は働けない)がネックになったので、仕方なかったのかもしれない。

バイト戦士に転生

15歳以上が入れる施設だったので自分以外全員年上な環境に戸惑いながらも、入所から1ヶ月経たないうちにフルーツ加工の工場でバイトを始めた。
1年前は不登校か病院暮らしで1日の大半をベッドの上で過ごしていたのに、フルタイム労働で保険に入って年金を納めていたので人生何があるか本当にわからないと思った。
働き始めた頃は所持金もなく(必要な物品のみ施設から借金して買っていた)スマホも外出も禁止だったため、高校の課題をやるために使用が許可されていたパソコンでTwitterを見るのが唯一の楽しみだった。

・高校1年生2学期

相変わらずバイト戦士

時給1013円で働き、毎月約15万稼いでいたので貯金は割とスイスイ貯まり、念願のスマホを持つ。
遊ぶお金にも余裕ができたので、毎日夜7時にバイトが終わってからゲーセンでチュウニズムに直行したりとめちゃくちゃ元気だった。

学業が疎かになる

世間的に言えば夏休みが始まった辺りから、バイトと趣味(インターネットと音ゲー)に明け暮れて学業が疎かになってきていた。
スマホを手に入れたことで高校の課題をやるという名目でパソコンを使う時間もなくなり、レポートは徐々に滞納していった。
加えてバイトはシフトが固定だったため有給が出るまでスクーリング日に休みがとれず、既に単位が危うい状態になっていた。

鬱(1回目)

当時は完全に元気で、生活習慣を正したら鬱病が治った!!みたいなことを5000文字も書いてnoteに投稿していたが(恥ずかしすぎて削除済み)義務教育のほとんどを不登校だった人間が突然フルタイム労働を続けることができる訳がなく、鬱病になる。
バイトを当日欠勤する回数が増えるものの、なんとか生きている状態が4ヶ月ほど続く。

・高校1年生3学期

学業が疎かすぎる

鬱でバイトに行けない日は増えるものの、休んだ日を学業に充てる訳ではなかった。
気力がなかったこともあるけど、これは施設のシステムが悪くて、バイトを休んだ日はスマホは没収、外に出ることも隣の部屋の子と話すことも許されなかった(施設の中でのスマホのルールは結構厳しくて、でもみんな没収されてもいいように2台目3台目を持っていた)
当然課題目的であろうがパソコンを使う許可も降りず、というか勉強する元気があるなら働けというスタンスだった。
社会的養護の大学進学率が低い理由がわかった気がした。

退職(1回目)

最後の3ヶ月くらいはかなり休みがちになりながらも続けたバイトを、高1が終わるタイミングでついに退職した。休みすぎて次に行くタイミングをなくして逃げるように辞めたけど、工場長は優しかったので許してくれた。
退職手続きに同伴してくれた施設職員に菓子折りの渡し方を習ったが、それから数ヶ月後にその職員は鬱で突然辞めた。他の職員の話によるとその時菓子折りは無かったらしいのが個人的にウケた。

施設で人がめっちゃ飛ぶ

前述した通り施設内はわたしが入った時は年上しかいなかったし、中には成人している子も数人いた。
施設のルールが嫌になったとか仕事を辞めたかったとか男ができたとか理由は色々あるっぽいけど、無断で人がめっちゃ飛ぶ。
もちろん施設側はその度に警察を呼んで捜索願を出すが、捕まっても一時保護所に戻ったり成人だと夜職に行ったりと大抵帰ってこなかった。

なんとかフル単

バイトを辞め、本来ならスマホ禁止&&外出禁止だったけど、このままだと単位を落とすので学校側が施設に電話で話し合ってくれたお陰で、無職期間に滞納していたレポートを出すことができた。
入院からはじまり労働に明け暮れ鬱病で終わった高校1年生だったけど、なんとかフル単で進級することができた。

・高校2年生1学期

新しいバイトが決まらない

施設にいる限りはバイトをしてお金を貯めなければいけなかったため、工場のバイトを退職した直後からバイト探しが始まった。
工場のバイトはとりあえず働きたくて選んだ末の失敗だったため、長く続けられるように興味のある仕事を選んで応募していたが、全く決まらない。
施設に入ってからは忘れるようにしていたが本当はIT業界に入りたかったけど、未経験の高校生を長期で雇ってくれるところなんてなかった(学生向けインターンの収入じゃ施設側のOKが出ない)

何故か接客業で働く→鬱(2回目)→退職(2回目)

ITも事務職も応募したところは全てダメでバイト探しに難航していたとき、何を思ったのか近所の某イタリアンレストランに応募したらあっさり受かってしまった。
発達障害の印象は減点式というけどまさにその通りで、面接の時の印象が良かったのかその店舗に人が足りているのにわざわざ別の店舗に推薦され採用となった。
が、当然採用先でボロが出てその店舗の店長には嫌な顔をされるし、年齢の近いバイト仲間とも上手くやれずに3ヶ月目で限界が来た。
何もかもが嫌になり施設も飛ぶ形でばっくれたので警察沙汰になり、文字通りパクられる形で一時保護所送りとなった。

一時保護所(3回目)&&閉鎖病棟(4回目)

一生に一度の高2の夏は一時保護所と閉鎖病棟で過ごした。
一時保護所は3回目(高校入学前に入ったのは2回目で、中学の時1日だけお世話になった)だったけど、個室に隔離されていて発狂していたためnoteに書けるような思い出はなかった。壁を蹴るより拳で殴った方が良い音が出ることを学んだ。
発狂しすぎで閉鎖病棟に送られた後は、同世代の友達もできて虚無ながらも楽しいこともあった。
保護所と病院で丸2ヶ月過ごしたため、ほとんど夏の暑さを感じることもなく夏が終わった。
わたしがこれまで見てきた中で施設から飛んで戻ってきた人は見たことがないけど、帰る場所がなかったので退院後は結局施設に戻ることになった。わたしの夏は何だったんだ?

・高校2年生2学期

施設の治安が悪くなっている

2ヶ月ぶりに帰った施設では職員からの冷たい視線が辛かったけど、わたしの居ない2ヶ月の間に入所した子が5人もいた。
成人年齢が変わった関係からか年上は少なくなり、18歳未満の未成年が中心で同い年も一気に増えた。
施設に入ってからの1年で施設内の人間関係はほとんどなかったものの、次のバイトが決まるまで暇だった(この時は隠し持っていたスマホも全て没収されていたため本当に何もなかった)こともあって初めて友達ができた。
同世代の人間関係が苦手なりに頑張った。
だけどこの時関わり始めた子達は治安があまりよくなくて、所謂トー横系でカバンにはいつも煙草が入っていたしパパ活も当たり前だった。
それまでの1年間施設の中ではいい子ちゃんで通してきたこともあって(バレないように色々やってはいたけど)無断外泊から出戻って早々にそういう子たちと関わり出すわたしは職員の中で更に煙たがられた。

施設職員が飛ぶ

工場のバイトを退職した時に同伴してくれた職員が突然飛んだ。
このnoteを書いたときにはまだ詳細がわからなかったけど、後から精神的な要因だったと風の噂で知った。
わたしの精神科受診に同伴するはずだった日から来なくなったので、少し責任を感じている。

障害者雇用

施設に入ってから2回もバイトが変わっていること、障害者手帳を取っていたことから一般就労は厳しいと判断し、ハローワークに通い障害者雇用でバイトを始めた。
これまでの経緯を説明するとハローワークの人からは就労移行支援やA型作業所を勧められたが、一刻も早く働かないと施設の中で自由を得られないことを理由に手当たり次第に求人に応募した。
障害者雇用といってもピンキリで、最終的にわたしが受かったバイト先は他に障害者はおらず内容も他のバイトの人とほとんど同じだった。
障害をオープンにして働いてはいるものの、週30時間の労働は精神的な重荷となった。
加えて入院で夏に全く学校関連のことをすすめることができなかったことや、施設内で人間関係を作ったことから起きたトラブルの対処でまた警察沙汰になったり、やりたいことが多すぎて睡眠時間が5時間切ってしまったり、挙げれば数えきれないほど色々なことがあった3ヶ月だった。
働くこと、施設にいること、生きること、全部がよく分からなくなり、年末に自殺未遂をしたことをきっかけに、仕事を辞めて施設から出る決断をした。

・高校2年生3学期

空虚

施設を出るといっても、未成年で行き先があるわけでもないためしばらくは施設でバイトをしていない人と同じ扱いを受けることになった。
外出禁止、スマホ所持禁止、朝に施設内の掃除と夕方に調理の手伝いの義務ができたが、没収されているスマホとは別のスマホを持っていたのでインターネットがない苦しみはなかった。
わたしと同じように皆限界が来たのか、わたしが全てに疲れてテザリングによるWi-Fiの提供を辞めたせいなのか理由はわからないけど、当時仲が良かった施設内の友人3人が同時に飛んだ(残りの2人は数ヶ月前に飛んでいるため、施設内で話せる人はこれで実質0人になった)
正直人間関係にも負担を感じていたし、お互いに秘密を握り合って仲良くする関係(裏切ったら裏切るような)だったため、友達のいない寂しさは全くなかった。そのことが寂しかった。

グループホーム入所待ち

施設に入ってから実家とはほとんど関わっていなかったため、このままの状態で実家に帰るのは不安があった。
というか元々は入院先で親子関係が嫌になって施設に来たので、ここで帰るとここまでの2年間の努力が無駄になることが怖かった。
児童相談所の福祉司から提案があって、本来18歳から入れる精神障害者用グループホームに特例で未成年のまま入れることが決まった。
ただ、すぐに空きが出るわけではないため、数ヶ月はこのまま施設で何もせず何も自由はなく、掃除と料理の手伝いをする生活が続くことがわかった。

鬱(3回目)

バイトを辞めて労働による苦痛がなくなったとはいえ、周囲が働いたり遊んだりしている中で自分だけが何もないことが辛くて施設に入って3回目の鬱になった。
働いている子でも本来23時以降は職員室で預かられるスマホを隠し持って朝方までインターネットをしていたため、生活リズムはめちゃくちゃ、メンタルもおしまいになっていた。人生で初めてリストカットに手を染めた。
わたしも施設側もこのままでは良くないと思っていて、両親と面会があったときにそのことを伝えるとグループホームに空きが出るまでの間実家で暮らして良いことになった。

・高校3年生1学期

3年ぶりの実家

学年が変わったタイミングで、実家に帰宅することになった。
何かあれば施設に戻る約束で籍はそのままだったため、施設で寝た最後の夜はあまり"最後"感がなかった。寝る直前までNEEDY GIRL OVERDOSEやってたし。
3年ぶりに戻った実家は懐かしいというより、新しかった。
家族全員が3年前とは全く状況が違っていて居心地がよかったし、最初からこうだったら施設に行く必要はなかったような気もした。
父親が突然豹変して家族総出で閉庁後の児童相談所に凸することになったりと小さな(小さな?)トラブルはあったものの、グループホームの入所日は予定通り決まり、実家暮らしは2ヶ月で終了した。

一人暮らし開始(グループホーム)

限りなく一人暮らしに近いグループホームを選んだため、突然与えられた全ての自由に困惑しながらも生活が始まった。
周期的にも躁状態で、何をしても楽しかった。
新しい人生が"始まった"気がした。

・高校3年生2学期

生活保護

施設にいた時は数ヶ月ごとに職を転々としながらも無職の時以外はまとまった収入があったため、グループホームに入る直前には100万近い貯金があった。
だけど今後働く予定も、働いたとして仕事を続ける能力がないこともわかっていたため、貯金がなくなり次第生活保護を申請した。
グループホームに入っていることもあるのか保護の審査は案外通り、毎月10万円弱の現金が何もしていないのに入ってくる。
家賃や医療費の分を考えると明らかにフルタイムでアルバイトをしていた時代より生活水準が上なことに気付き、働くことの意味を見失ってしまった(後に始まる鬱とも関連していると思う)

資格試験の勉強

最低賃金フルタイムバイト戦士よりも生活保護受給者の方が生活水準が高いことに絶望しながらも、元気と時間に余裕があったので資格試験の勉強をした。
実際に試験に足を運んだのは情報セキュリティマネジメントだけだったけど、漢字検定の参考書を3ヶ月で5級(小6)から準2級(高校)まで終わらせた。勉強に対するコンプレックスがあったので、達成感があった。

鬱(4回目)

躁鬱の診断は降りていないはずなのに、明らかに元気な時と体調悪い時が周期的に来てしまう。
実家から施設に環境を変えても、施設から自由度の高いグループホームに環境を変えても変わらなかった。
暇な時間に勉強を続けて資格をたくさん取ろうと意気込んでいたはずなのに、鬱になってからはそれらにも全く手がつかなくなってしまった。

・高校3年生3学期

休学確定

年末に課題はなんとか全て提出できたものの、鬱すぎてスクーリングとテストを受験できず休学することになった。
普通の高校生なら余裕であろう"学校に登校して席に座る"行為ができない自分が憎かった。
予定では6月に復学して9月には高卒になれるらしいので、がんばります……。

鬱(5回目)

2学期に引き続き、動けないことが多かった。
これまでの傾向から春頃には体調も上向きになることが予測されるので(根拠0)元気になれる日を信じてひたすら寝ている時間が長かった。

・まとめ:案外いろいろやっていた

思い出せる限りで高校生活(まだ終わってないので、実質直近3年間だけど)を振り返ってきた。
記憶や記録に残ってないこととかここでは書けないこととか他にも色々思い出はあったけど、久々にmacと2時間半向き合って振り返ってみると、うつ病なりに、何もしてないなりには結構書くことがあったことに気づいた。あと環境的な変化が多すぎた。
次の節目は正式に高校を卒業した時と、二十歳になった時だと思っているけど、肩書きが中卒から高卒になったからといって、年齢が節目を迎えたからといって、突然成長したり上手くいくことはないと思っている(絶望ではなく、現実を見据えている)
それでも、なにもしていないと思っていても、こうやって書き出していくと日々小さい動きはあることに気付いたし、幸いなことに書くことは好きなので、あまりプレッシャーを背負わずに生きていこうと思います。
精神面が成長したのか以前よりも"何者かにならなければいけない焦り"に襲われることは少なくなったのが嬉しい。
今日が高校3年生1学期(2回目)の初日です、よろしくお願いします。



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