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施設よりトー横を選んだともだち

施設に入っていたときに知り合った友人のひとりが、17歳のときから多分今もホテル暮らしというか路上生活というか住所不定をやっている。Kちゃんとしよう。
Kちゃんの暮らしは側から見ても楽ではない毎日だと思うけど、本人曰く今の生活は施設にいて自由がないことと比べると幸せということだった。

施設に入る前のKちゃんは、精神疾患の両親の離婚に振り回されたり、母親と弟妹たちとの夜逃げ先をKちゃん自らが探し回ったりなどと、高校1年生ながら自由が多いというより責任のある立場だったらしい。
そんな中で追い込まれたKちゃんが自殺未遂を図ったことから、施設に入ることになったと、施設で出会って割と早いタイミングで打ち明けてくれた。
自分が施設に入ることによってこれまで支えてきた家庭環境が心配だと話していたKちゃんは、フルタイムのバイトが決まるとすぐに公立の通信制高校を受験し、合格していた。
一度入った高校を辞めて施設に来る子のほとんどは高校にまた入りたいと言いながらもなかなか有言実行できない環境の中、数ヶ月で将来までの計画を整えるKちゃんは施設内では珍しく向上心が高く、自分の将来に前向きだった。このときはまだ……。

施設というシステムがKちゃんをそうさせたのか、それともわたし含む施設内児童の人間関係に染まったのか、責任感が強く行動力も大人びていたKちゃんは"染まって"しまった。
誰よりも早く起きて早朝からバイトに出掛けていたのに、時給1000円がばからしいと買春を始めた。
それまで施設のルールを守り職員にも気に入られていたのに、売春で得たお金でわたしから飛ばしスマホを買って夜通しツイッターの男と通話をしてバイトに遅刻するようになった。

↑飛ばしスマホの話

こんな感じでKちゃんは徐々に悪い方向に向かいながら、入所から半年ほどでバイトも高校も全て辞めて施設を脱走してしまった。
Kちゃんが施設から消えアンダーグラウンドな場所で生活を始めてからもわたしは定期的に連絡を取っていたけど、2ヶ月経たずに補導されて児童相談所から別の施設に移ることを繰り返していた。

1年半で合計3箇所の施設を転々としたのち、Kちゃんは最終的に福祉に頼らず住所不定、仕事は夜職を選んだ。
家族と暮らしていたときは病気の親の世話をしたり、下のきょうだいを守ったりと必要以上の責任感と強さを持って生きてきたKちゃんにとって、今更子ども扱いをしてくる児童福祉はよほど居心地が悪かったのだろうか、たまに連絡を取ったときには口癖のように「大人は信用できない」と話していた。

早生まれのKちゃんが18歳の誕生日を迎えたあと、タイミングが合い会って話す機会があった。
ショッピングモールの寒いフードコートでKちゃんの成人するまでの直近数ヶ月の苦労話をたっぷり2時間聞いたあと、わたしの現状(生活保護を取りながらほぼ無職の状態で通信制高校を卒業できそうなこと)を話し、路上生活から脱却して生活を立て直すことを提案したけれど、Kちゃんはやっぱり「大人は信用できない」と一蹴し、その後次に会う約束をしたけどそれがなんとなく流れてしまってからは、今はどうしているのかわからない。

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