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赤ら顔のおっちゃんたち
とんでもなく若いころ、大手を振って、プータローをしていた私は、大きなギターケースを抱え、ぷらぷら大阪天王寺駅をさまよっていた。停車していた夜行バスが目に入り、何を思ったのか気付いた時にはバスに乗り込んでいた。
着いた先は鹿児島。
何の考えもなしに来たものだから、着替えもなければ地図もない。
ポケットに手をやると夏目漱石が二人グシャッと可哀そうな姿で現れた。
とにかく腹が減っていた。
「商店街は何処だ」と街ゆく人に聞きもってようやく、商店街に辿り着く事が出来た。商店街は思いのほか賑やかに活気づいていた。
一軒の店に人だかりができている。近づいて見ると「薩摩揚げ」の専門店だった。大阪ではさつま揚げのことを「てんぷら」と言う。「てんぷら屋かぁ」独りごちながら店内に足を進めた。店の中は人でごった返していた。野菜、魚介類と様々なものが練り込まれたさつま揚げが、ところ狭しと押し並べられていた。何とも言えない香ばしい匂いが店内を満たしている。
「なんと!」思わず声が出てしまった。各種試食付き!!薩摩人の心意気に感謝しつつ、すべての種類のさつま揚げを制覇して、店を後にした。
少し喉が渇いたところで、赤十字の看板発見!!生血と交換で缶ジュースを貰い、喉を潤した。
一息ついた所で手ごろな空間を探す。噴水前でギターを取り出し、「お金入れてくっださーい!」と言わんばかりに大きなギターケースの口を開く。簡易武道館の出来上がりである。独りよがりコンサートが開幕し、頼まれもせんのに歌いまくる。気がつけば日はどっぷりと浸かっていた。「ストリートは日が落ちてからが勝負だ!」と、ピックを持つ手に力が籠る。ジャカジャカと騒音にしか聞こえないギターを掻きならす。
酔っ払いのおっちゃん達が「兄ちゃん関西か」と曲の途中でもお構いなしに話しかけてくれる。
野次を飛ばしながら、千円もギターケースに入れてくれた、おっちゃんもいた。
「宿がないのやったら家で止まっていけ」
(これを鹿児島弁で)
と、手を無理やり引かれ牛小屋で泊めて貰ったり。
旅は、愉快で温かい人たちとの出合いにこと欠かなかった。そんな旅が楽しくて、何年もそんな生活をしていた。今思えば、若い頃の突拍子もない旅で得た思い出や、出会いが今の私を支えている。
今でも古ぼけた赤提灯を見ると「兄ちゃん、関西か?」各地で出会った、赤ら顔のおっちゃんたちの笑顔を思い出す。
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