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卒業旅行中に決まった就職先と、新生活のこと。

いつだって旅は、私の世界を変えてくれる。

この春大学を卒業した。途中2年休学して6年間、やっとの思いで卒業したこともあり、大学と馬が合わなかったこともあって特になんの感慨もなかった。呪詛を吐きながら試験勉強していた私を見ていた母が卒業を知って「良かったね」と言ってくれたが、自問しても「良かった」という感覚は特になかった。

もう大学に行かなくて良いのは「良かった」。さらに学費がかかることがないのも「良かった」。試験に無事受かって、単位の計算も間違っていなくて「良かった」。

それはそうなんだけど、でも母が言う「良かった」とは違う気がした。

卒業したから何?って感じだったし、それより「この先どうするか」ってことで頭いっぱいだった。

完全に煮詰まってしまったので旅に出ることにした。
折しも卒業旅行シーズン。
「3日後に出かけるね。たぶん最初は東京に行って、あとは適当に考える。1週間とか10日とかくらいで帰るかな〜まあまた連絡する!」
とかのたまって準備を始めた私を、両親はいつも通り「楽しそうだね」とかなんとか言って送ってくれた。

高知へ

どこに行ってもいい、という状況で頭に浮かんだのは「高知」。2年半前に初めて滞在したときの感覚が忘れられなくて、毎年1,2回は呼ばれるように足が向く土地。何が良いの?と問われると説明が難しいのだけど、私には高知にいるときにしか使わない「声のトーン」がある気がしていて。

桂浜から太平洋を眺める龍馬さん


それはゲストハウスで「おかえりー」と声をかけてくれるオーナーさんや、道を歩いていたら焼き鳥をくれたトラックのおっちゃん、みかん収穫のアルバイトでお世話になった農家さんたちと話す中で自分の中に培われていったもので、普段よりぐっと低い、お腹から出る声。
いつも高知に着いた初日にはなかなかそんな声が出なくて、都会用の高いか細い声で喋っては聞き取ってもらえなくてタクシーで違う場所に連れて行かれたり「なんか私の声だけか細い気がする…」と悩んだりしたのだけど。私が勝手に高知の「地声感」と呼んでいるそれを、今の私は欲している気がした。

出発

いつものスーツケースは脇において、押し入れから引っ張り出した登山用のバックパックに最低限の着替えを詰め、東京で一泊してから高知へ向かう。宿も行き先もその場で決めるつもりで、1週間くらい宿をとり適当に周辺を散策する。
朝食を食べた喫茶店でマスターにこの春卒業したのだと話すと「それはおめでとう」と言ってくれた。大学のある土地でも実家のある場所でもなく、高知に来て初めて卒業を祝われたのが何となくおかしかった。そうか卒業はめでたいことなのか、と思う。

モーニング。コーヒーの淹れ方もいろいろ教えてもらった


「卒業したものの就職してないんですよね、高知に住みたいと思ってるんですけど働く場所ありますか?」と聞いてみる。「裏の花屋さんがアルバイト募集してるし、ウチでも週2なら入れるよ」とか言われて、住みたければどうにでもなりそう、という心強さをもらった。
その後も居心地の良い場所を求めて移動し、その場所で「家と仕事ないですかね〜」と聞いてみる。言ってみると案外見つかるもので、住む場所も職場も3つずつくらい見つかった。卒業を祝う言葉もたくさん頂いた。どうにか暮らしていけそうである。

ゲストハウスのおじちゃんと飲みながら。
シベリア鉄道の話が面白かった。

とりあえず今週末働いてみない?と誘いを受け、旅館で働く機会も。お給料をもらう上に宿泊先と美味しすぎるご飯、お酒まで頂いてしまった。

魚もお酒も美味しい!

観光もしながら地元の人と会い、ご飯を食べ、海を眺めているうちに「高知で生活したい」という気持ちが自分の中で固まっていくのを感じた。4月からの予定は真っ白、仕事も住む場所もどこでもいいなら、高知がいい。

とはいえ高知で何する?問題。「やりたいことは何?」と聞かれると、「これで生きていきたい」という確固たるものが特にない私には自信がない。ただ自分の今のアンテナは「生活」に向いていて、この土地に住み、土地のものを料理して食べ、土地の人と話して生きていきたいのだということはわかっていた。働きたい気持ちはあるし生活の軸となる仕事がほしいけど、仕事に塗りつぶされる日々は嫌。そんなざっくりした希望をよく行くゲストハウスのオーナーに相談してみると、ゲストハウスで住み込みで働く事もできるよ、と言ってもらった。

職場兼住むところとして最高の環境

それであっさり4月からの居場所が決まったのだった。

とはいえ新しい土地に飛び込むのはワクワクと同程度の怖さがある。旅で好きだった土地を住んでき有りになるのが一番嫌だ。そんな「怖さ」に震えながら、自分の「ここで暮らしたい」感覚を信じると決めたのだった。

その後青春18きっぷを手に大阪→東京→宮城→福島→東京、とぐるっと旅をして実家に戻る。

1人で5日分使うのは初めてだった。

最後の東京、4月1日に好きなアーティストのライブに参加して、そこで最後の学割を使った。6年間ありがとう学生証。学割をフルで使い切ったように、大学もやりきったのだという感慨が湧いてきた。

日食なつこ「蒐集大行脚」

旅先で出会った人や友人たちに卒業を祝ってもらい、「あれ大学生だったっけ?」とか「そっか今年卒業なんだねー」とか声をかけてもらったのも気持ちの変化に影響している気がする。彼らが私を心配してくれていたこと、面白がってくれていたこと、卒業を喜んでくれていることが伝わってきて、卒業したこともそれを伝えられる人がいることも有り難くてめでたいことなのだと思うようになった。名ばかりの「卒業旅行」だった1人旅は、名実ともに「卒業旅行」になり、1つの区切りになった気がする。

家も仕事も見つかり、私の記憶を、世界を、またひとつ明るくしてくれる。やっぱり旅は最高である。


その後、実際に高知で新生活を始め、はや3週間が過ぎた。楽しいだろうと思っていたゲストハウスでの仕事は思っていた以上に楽しくて、刺激的な毎日を送っている。宿泊のお客さんにこの地域の魅力を伝え、夜一緒に飲みながら喋ったり、外国からのお客さんに英語の特訓に付き合ってもらったり。自分で思っていたよりずっと「人と話すことが好き」な自分に気づけたのは大きな収穫だったし、英語を話すことについても不安を楽しさが上回って、勉強のモチベーションが倍増している。

洗濯物干してるだけで幸せになる晴れた日

自分が今まで訪れる側だったゲストハウスの、今度は迎える側になるというのも新鮮。自分はここに拠点を持って旅人の話を聞くという、その楽しさは今まで知らなかったものだった。また、この街に来て間もない者として、街のイベントや農作業、海や山の散策に参加できるのも楽しい。商店街の小さなお店でお母さんとお茶を飲みながら喋ったり、旬の野菜や果物や魚を頂いたり。仕事の合間に海に行ってボーッとしたり、市場で野菜を買ってきて料理したりするのも求めていた「生活」の形で満足している。

近くの果樹園で文旦の受粉作業をさせてもらった
自転車で行ける海

「ここで暮らしたい」というだけで新しい環境に飛び込むのは不安だったけど、始めてみれば楽しいこともやりたいこともどんどん見えてくる。周囲の人はエネルギッシュで、あれをやりたい、これをやりたいと新しいイベントやものづくりのアイデアがどんどん出てくる。ゲストとしてやってくる旅人たちも行きたいところややりたいことに溢れていて、そんな中で自分がやりたいこと、楽しいと思うこともどんどん見えてきている気がする。

まだ始まったばかりの満たない新生活を、しばらくはとにかく楽しもうと思う。

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