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私の信仰告白-人間が生きる理由

こんにちは😊 チルです^^

来週はクリスマスですね🎄✨

イエス様への感謝を込めて。

このnoteで「信仰告白」をしたいと思います。


過去の私と同じ悩みを持つ方に向けて、

自分自身について発信と表現したいという思いがあり、

こちらの記事を書いています。


私は、どちらかと言うと

ADHDのでこぼこやHSS型HSPの気質から

事務職では1ヶ月で解雇

落ちこぼれとも言われてしまうかもしれない、

20代の女性です。


秀でた才能や、

胸を張れるような肩書きは持っていませんし

人よりでこぼこな生活を送っていて、

日々悩んで泣いて笑って、生きています。



そんな私が、なぜ自分のことを話したいと思ったのか。

それは、私自身が波風あるけれど、

実際には最高に幸せな人生を生きているからです。

そして、そのように生きれるようになった経緯を話したいと思ったからです。



皆さんが思う、「幸せな人生」とは、何ですか?

私が思う幸せな人生は、

「自分が生きる価値をわかって、自分らしく人生を生きること」

だと思っています。

何かの肩書でもなく、

周りが判断するものでもなく

自分自身が自分らしく、

価値を発揮して生きる人生という意味です。


もちろん肩書があり、才能にあふれ
周りからの人望も厚く、
誰かに認められている方も多くいます。

本人の努力があってこそですので、
とても素晴らしいことです。

でも、本当の、根本的な幸せは
それだけでは、得られないと思っています。

肩書きや何かができることが、

自分そのものの価値を表すものではないからです。



私が、自分の人生が甲斐あるものだと胸を張って言えるようになったのは、
聖書を学ぶようになってからです。

もともと無神論者だった私は、専門学生時代に聖書を学ぶようになりました。

当時の私は、自分にこれといった人生軸はなく

「人の言うとおりにしておけば波風たてずに全て終えられる」と

自分のことを話すことを諦めてましたし、

他人の目を気にしてばかり生きてきました。
(また詳しく書きます)


でも、自分の人生に「何か」を見出したくて。

そんな時に
「自分を知るための取扱説明書だよ」と、
聖書に出会ったのです。

聖書には、人間が生きる目的や、

自分自身の価値についてたくさん書かれています。



私は今日まで、
聖書の意味を正しく教えてくれる方から
聖書を学んできました。

正直に話すと、
初めのころは
難しい印象や疑いの心の方が強く、

初めから確信して、
熱心に学んでいたわけではありませんでしたし、

聖書の言葉を信じるからと言って、
生きている現実世界に良いことばかりが
起こるわけでもありません。

でも、聖書の言葉を学んでいく中で

自分の考え方、物事のとらえ方、人との接し方

私は様々な面で良い方向に変わっていきました。

私が特に好きな聖句2つを紹介します。

愛さない者は、神を知らない。神は愛である。

ヨハネの第一の手紙 4:8

心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ

マタイによる福音書22章

この2つの聖句を、自分の生きる哲学として大切にしています。


昔から人の目を気にしていた私は、
今よりもっと自分に自信がなかったし、もっと気が弱く、消えてしまいたい、生きる意味なんて本当にない、と常日頃思っていました。

そんな私が、好きな聖句を中心に、聖書の言葉で、少しずつ自分の弱さも理解できるようになり、強くなっていきました。


どんな力や知恵を得たのかというと、

物事を肯定的にみる知恵

間違いを認める力

人と比べず、自分自身と向き合う知恵。

落ち込んでも辛くても、希望を諦めず前を向いて回復する知恵。

物事を表面的に捉えるのではなく、深く、広くさまざまな角度から捉える知恵。

自分の足りなさも弱さも認めて、愛して、最後まで自分に向き合う力。

自分と同じように、周りの人たちを大切に思い、愛する力。

目の前の大変な状況にとらわれず、
すべきことと良いところに目を向け、変わらずに行い続ける力。

自分に矢が向けられ、攻撃されたとしても、
同じ土俵に立たずに愛で覆う力。
など


私自身まだまだ足りないところは多いし、

周りに言わせれば当たり前にできるでしょ、と

思われているのかなとふと感じてしまうところもあります。
(今も、ふとした時に人の目を気にしちゃいますし)

しかし、
聖書の考えに基づいて、私自身生きていくことで
世間や周りの目よりも大切なことに目を向けられるようになり

たとえ問題にぶつかって、荒波に流されそうになったとしても、
いつも心と考えの中心、
自分の中で大切にすべきものを取り戻せるようになりました。


私自身、以前と比べ物にならないくらい、

自分も周りも大切に思って

接することができるようになりました。

そして、何にも揺るがない、

自分へ向かう神様の愛を

受けるようになりました。


だから私は、

今、心から幸せな人生を生きれている

と思っています。


聖書を学んだことは、

私の人生の中で一番の転換期で、

過去の自分からは見違えるように

人生が一変しました。



私は聖書に出会う前、自分の生きる意味、

自分の命の価値がまったくわかりませんでした。

私の両親からは愛されて育てられてきたことは、確実だったのですが。

生きている中で、楽しいことだけではなく、

仲間はずれやいじめ、仕事もミスばかり、

うまくいかないことがたくさんあって、

「なぜこのようになってしまうのに、生きなくてはいけないのだろう」と

親も友人もどんな本も、

今まで、私の生きる目的を教えてくれる存在は誰1人いませんでした。


自分の人生を肯定して、自分らしく、

個性を発揮して生きたいならば、

まずは一人一人が本来の自分の生きる目的。

自分の価値を知ることから始まると思います。


私が聖書を通じて、

自分がどれほど愛されているかを

知るようになって、

生きることは甲斐があることであり、

大変で涙を流す日もあるけれど、

そんな日も尊く価値のある日だと

思えるようになって、

これは、もっと世の中にちゃんと伝えたい。

と思うようになりました。


聖書と聞くと抵抗感がある人、
日本ではまだまだ多いと思います。

私の発信で、
逆に誤解や疑念を招いてしまうかもしれない。

胡散臭く聞こえてしまうかもしれない。



でも、聖書が、
私自身の何よりのアイデンティティだから、

もし、私に関心を持ってくれて、

私の話に耳を傾けたい
と思ってくれる人がいるなら、

自分の根幹となっているものを、ちゃんと伝えたい。発信したい。

そう思っています。


聖書を学んだからと言って
すぐにお金が目まぐるしく増えたり、すぐに周りから信頼をされる人になるのは難しいところがありますが、

聖書を学んだ上で、

地道な努力と実践をすることで、自分の価値がわかり、

聖霊の実、御霊の実を実らせることができる、と教えてもらいました。

御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。

ガラテヤ人への手紙 5:22-23

もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。

ガラテヤ人への手紙 5:25

実は「行い」を意味します。



聖書を学んだことで、

人生の素晴らしさを噛みしめながら生きられていることを

足りない自分でも絶対に愛されていると感じられる人生になったことを

たった一人でもいいから、伝えたい。


このように自分の意思を相手に伝えることは、

とっても苦手です。

ライティングも時間がとてもかかり、

本当に苦手です。

そんな私の拙い等身大の発信を通して、

少しでもあなたの心に愛と平安が訪れる世界になることを願っています。


このような人生を

生きられるようにしてくださったことに、

本当に感謝しています。

ここまで読んでくださって、

ありがとうございました🎅🌟


私が通っている教会はこちらです。

来週クリスマスイベントも開催します!

チェックしていただけると嬉しいです🎄🌟

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