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エルサレムを巡るアラブ諸国とイスラエルの衝突について(日本語)

エルサレムを巡るアラブ諸国とイスラエルの衝突について

 何故40億もの人々が、僅か1キロ平方のエルサレムの土地を巡り抗うのか。
 何故世界の半数にも及ぶ人々は古のエルサレムを渇望し、3000年以上にも渡りその衝突が今も続くのか。

 まず初めに、エルサレムの歴史的重要性と、全ての一神教での共通点と相違点について、ユダヤ教とイスラム教の信念をよく理解する必要がある。

ユダヤ教の宗教的物語

 ユダヤ教徒は、この地がパレスチナになると神がアブラハムへ約束した事を信じ、創世記律法でそれについて述べている。

創世記12章1節
 時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。

創世記12章2節
 わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。

創世記15章18節
 その日、主はアブラムと契約を結んで言われた、/「わたしはこの地をあなたの子孫に与える。エジプトの川から、かの大川ユフラテまで。

イスラム教の見解

 ユダヤ教の物語について、イスラム教徒はいくつかの共通点を認めるが、一方で異なる認識も持っている。神は預言者アブラハムに対し、次男イサク(ユダヤ人の祖)ではなく長男イシュマエル(アラブ人の祖)を殺害するように、そして聖地はアブラハムとその子孫に受け継がれる事を示した。つまりそれは、イサクの子孫だけではないという事である。イスラム教では、神の預言者ダヴィデ(ダヴィデ王)が3000年前にその地へ足を踏み入れた事は認めるが、当時、そこは無人の土地ではなく、カナンの先住民でありアラブ人の先祖であるエブス人が居住していたと言及している。

英国統治以前のイスラム支配

 ダヴィデによるエブス人征服以来、バビロニアやローマ人、更にはビザンチン帝国、イスラム教徒やタタール人など様々な文明時代を経て、歴史を通しこの地では長い間衝突が繰り返されて来た。
 十字軍による何度かの短期間征服を除き、西暦638年から1917年までエルサレムを手に入れた勢力はイスラム教徒であった。
 パレスチナを完全なる支配下に置いていた最後の国家は、西暦1517年にマムルーク朝が滅亡した後、第一次世界大戦まで支配していたオスマン帝国である。そして第一次大戦の終結と同時に最初の外国勢力としてパレスチナに入植したのが英国であり、そこから英国による委任統治が始まったのだ。
 英国によるパレスチナ占領中、英国政府は政府公認でパレスチナへ派遣したシオニスト委員会の援助を受け、

「国王陛下の政府はパレスチナにおいてユダヤ人のための民族的郷土(ナショナル・ホーム)を設立することを好ましいと考えており、この目的の達成を円滑にするために最善の努力を行うつもりです。また、パレスチナに現存する非ユダヤ人諸コミュニティーの市民および信仰者としての諸権利、ならびに他のあらゆる国でユダヤ人が享受している諸権利および政治的地位が侵害されることは決してなされないことはないと明確に理解されています。」
(『世界史史料10』 歴史学研究会編 2006 岩波書店 P.41)

というバルフォア宣言を実行する為に、クレイトン将軍をパレスチナの軍事政権長に任命した。
 実のところ、初期のユダヤ国家創設者達はエルサレム、特に都市の東部に重きを置いていなかった。何故なら彼らの大多数はあまり信心深くなく、聖書の予言だけでなくユダヤ律法をも信仰していなかった為であり、それはまた彼ら自身が当時、エルサレムの都市を統治する事は夢のまた夢だと認識していたからである。イスラエル初代首相ダヴィド・ベン=グリオンは1937年のインタビューにて、

「我々と英国は古の聖地を統制する必要があるが、レハビア(エルサレムの西部地区)の統治は英国に何の得にもならず、一方でシャロンとジェズレエル峡谷、もしくはレハビアとエルサレム西部の違いさえも知らない何百万ものユダヤ教徒にとっては、エルサレムの名こそが全てなのである。」

と見解を示している。
 ベン=グリオンの見解によると、地中海沿岸とイスラエルの未来を形成するネゲヴ砂漠まで続くテルアビブは、エルサレムよりも重要都市であった。

ハシェミット王国の宿望

 ハシェミット王国は、エルサレム東部を統治し、ヨルダン川の東西を含む広大なハシェミット・アラブ国家を設立する事を切望していた。1948年の第一次中東戦争で、ヨルダンはエルサレム東部とヨルダン川西岸を統制し、イスラエルは都市の西部を統治した。エルサレム西部の支配と共に都市はヨルダン人とユダヤ教徒によって分断され、停戦採択を以て状況は留められた。
 1950年、歴史上重要な事象が2件起こる。
 一つ目は、この2大勢力による分断が公式発表された事である。1949年、世界各国の決議も無くベン=グリオンはエルサレムがイスラエル人の永久首都となる事を宣言し、国防省を除いた全ての内閣、及び組織をこの都市へ移転した。
 二つ目は、ヨルダン国王アブドゥッラー1世・ビン・アル=フサインがエルサレム東部とヨルダン川西岸をヨルダン王国に併合させた事である。当初からパレスチナ、シリア、レバノン周辺の統制はハーシム家の宿望であり、この併合については理解し得る事であった。ハーシム家はイスラエル人に、イスラエル国家を建設せずハシェミット国家内で一市民として公民権と信教の自由を保障された上で居住するよう申し渡したのだった。
 最初のインタビューから約10年後に公表されたベン=グリオンの見解を見てみると、

「ヨルダンとの休戦調停による分割統治により、エルサレムはイスラエルの首都だったと明言出来る。ヨルダンがエルサレム東部を支配し、我々が西部を支配していた事実である。」(意訳)

とある。


 いずれにせよ1949年から1967年7月の第三次中東戦争終結まで変わりは無かったが、1967年、ヨルダン、エジプト、シリアのアラブ諸国の敗北とイスラエルの勝利によって、エルサレムを巡る状況が一変した。イスラエルはゴラン高原とシナイ半島、エルサレム東部を含むヨルダン川西岸を占領し、3000年の歴史の中で初めて、エルサレム全域をユダヤ教徒の支配下に置いたのだった。そしてこの結果の一つが、エルサレム市域内での主に宗教目的としたアラブ諸国との争いを特徴づける、イスラエルでの過激な右翼的宗教傾向の始まりとなったのである。しかしイスラエル国防相モーシェ・ダヤンは、予期せぬ勝利で高揚したイスラエル人に神殿の丘へ足を踏み入れる事を禁じたが、これはモスクへの敬意からではなく、この中東戦争がアラブ諸国との宗教戦争へと取り換えられる事への懸念からであり、聖地の管理支配権をヨルダン王国へ託したのであった。
 これらの事象により、パレスチナ問題とエルサレムを巡る衝突に対する国際社会の見識は多少の協定や決議があったにも拘らず、パレスチナとイスラエルの両国が平和協定を受け入れる事がなかったので望みの無い結果となってしまった。1948年にイスラエルを国家として承認した米国最初の大統領トゥルーマンの時代からオバマ大統領の時代まで、エルサレムはイスラエルの首都としては認可されていなかった。しかし幾度もの平和協定の約束や米国クリントン大統領保護下でのパレスチナ-イスラエル間の平和措置は失敗に終わり、その後パレスチナ自治政府アッバース大統領とイスラエルのオルメルト首相との間で試みた2回目の平和措置の維持も成されなかった。オルメルトはこの事をネタニヤフ右派政党による陰謀だと訴えたが、結果、オルメルト政権は買収によって撤廃された。
 米国とイスラエル内における極右派の影響が増すにつれ、米国ドナルド・トランプ前大統領を筆頭にキリスト教系右派の高まりもあり、アラブ世界と同様に、この衝突は更に複雑な局面をもたらした。それは2017年、エルサレムがイスラエルの首都として承認され、米国大使館がエルサレムへ移された事による。イスラエル国内における宗教はエルサレムを統治する理由の一つであり、この宗教的傾向の現れによって、宗教そのものがエルサレム問題での一番の重要事項となった。
 全ての一神教の宗教が終末論を説き、これらの宗教が皆、エルサレムの都市を聖地としている共通点について、我々は言及しなければいけない。
 ユダヤ教では、世界各地に散った(ディアスポラ)ユダヤ教徒達が約束の地へ集い、エルサレムに救い主が現れソロモン神殿を再建するまでは、幸福な終末期は迎えられないという。このソロモン神殿は、イスラム教で言う岩のドームである。キリスト教のいくつかの宗派にとっては、世界はイエス・キリストが復活によって蘇るまでは終わりを迎えず、イエスがエルサレムを訪れた時にこそ千年至福期が始まるという。この終末論の予言は、ユダヤ教徒の約束の地への帰還や、イスラム教徒がユダヤとの闘いに勝利する事など、一連の予言が叶うまでは果たされない。
 このように宗教過激論の出現傾向が為に、多くの血が流れ幾度もの衝突が懸念されるのである。

 この記事は、ジャーナリストのセイエッド・ジュバイル氏の見解に基づく。


和訳を行うにあたり、原文とした英語記事:

https://note.com/arabusekai_info/n/n54da5c9495cc


参考出典

※人物固有名詞に関しては、敬称略。

創世記12章1節、2節
https://www.wordproject.org/bibles/jp/01/12.htm

創世記15章18節
https://www.wordproject.org/bibles/jp/01/15.htm#0

イシュマエル
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9E%E3%82%A8%E3%83%AB

イサク
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%82%AF

なぜ、ユダヤ人とアラブ人・イスラム教徒はお互いを憎み合っているのですか?
https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-Jews-Arabs.html

ダヴィデ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%93%E3%83%87

エブス人
https://kotobank.jp/word/%E3%82%A8%E3%83%96%E3%82%B9%E4%BA%BA-37265

マムルーク朝
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%AF%E6%9C%9D

オスマン帝国
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3%E5%B8%9D%E5%9B%BD

第一次世界大戦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6

ギルバート・クレイトン
https://ja.melayukini.net/wiki/Gilbert_Clayton

シオニスト
https://www.weblio.jp/content/%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%88
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0

バルフォア宣言
https://www.y-history.net/appendix/wh1501-055.html

ダヴィド・ベン=グリオン
https://www.y-history.net/appendix/wh1601-146_1.html
http://www.law.ryukoku.ac.jp/~oshiro/paper/thesis2017_kurachi.pdf

第一次中東戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E4%B8%AD%E6%9D%B1%E6%88%A6%E4%BA%89

アブドゥッラー1世・ビン・アル=フサイン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%83%E3%83%A9%E3%83%BC1%E4%B8%96

ハーシム家
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A0%E5%AE%B6

ヨルダン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%B3

『イスラエル国家の諸問題 第2章エルサレム問題と中東和平』 立山良司 1994年 アジア研究所
https://ir.ide.go.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=44039&item_no=1&attribute_id=26&file_no=1&page_id=39&block_id=158

第三次中東戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E6%AC%A1%E4%B8%AD%E6%9D%B1%E6%88%A6%E4%BA%89

モーシェ・ダヤン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%A4%E3%83%B3

マハムード・アッバース
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%95%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9

エフード・オルメルト
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%88

ディアスポラ
https://kotobank.jp/word/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%A9-99728

ソロモン神殿
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%83%A2%E3%83%B3%E7%A5%9E%E6%AE%BF

岩のドーム
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E3%81%AE%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%A0


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