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思想・哲学・宗教・人物(My favorite notes)

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思想・哲学・宗教など心や意識をテーマにしたお気に入り記事をまとめています。スキさせて頂いただけでは物足りない、感銘を受けた記事、とても為になった記事、何度も読み返したいような記事…
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2024年3月の記事一覧

さようなら駒場たち:四度加行と他の小さなブレークスルー

さようなら、駒場たち別れを告げること 別れを告げるということは、軽さとそして重みによって語られるかもしれない。別れを告げることの軽さは、あるいはその重みは、いずれにせよ別れに伴う重量感の変化を私たちに伝えている。 そして、別れを告げるという言葉自体の持つ意味についてもそれは考察を促すだろう。別れることと別れを告げることの間にあるもの、それは決して告げるという動詞のみには還元されないだろうし、別れるという動詞の意味が全く別だという考えにも至らないだろう。 いずれにせよ、私

維摩(ゆいま)経について

維摩経は聖徳太子が選んだ仏教典3つのうちの一つ。三教の残りの2つは法華経(投稿済み)と勝鬘経で、これらは大体西暦600年頃に日本にもたらされたと考えて良さそうです。これらについては聖徳太子自ら注釈本を執筆されています(「三経義疏」)。維摩経の成立は西暦紀元前後と言うことらしいが、最も古い大乗仏教の経典の1つと思われますので、仏教の基本的な内容があるかなと思い法華経に続いてご紹介します。時代背景としては、ベースが上座部仏教であることにご注意下さい。 (1) 維摩経の概要 ・

光の神秘主義2:インド、エジプト、プラトン主義、ユダヤ・キリスト教

前編「光の神秘主義1:有史以前、イラン」に続く後編です。 当稿では、ヒンドゥー教、仏教(密教)、古代とヘレニズム期のエジプト、プラトン主義、キリスト教のギリシャ正教のヘシュカズム、ユダヤ教神秘主義のカバラ、西洋魔術の黄金の夜明け団などの、「光の神秘主義」についてまとめます。 古代インド、ヒンドゥー教 古代インドの「ヴェーダ」の奥義書「ウパニシャッド」の哲人、ヤージニャヴァルキヤは、ブラフマン=アートマン=光、と主張しています。 そして、太陽の光が5色の微粒子として、ア

光の神秘主義1:有史以前とイラン

前回の投稿は、神秘主義的な神話における「鏡像」に関するテーマでしたが、その中で、意識の根源的な動きとしての「光」のヴィジョンについて触れました。 それで、今回は、「光の神秘主義」に関して書いてみたくなりました。 「光の神秘主義」というのは、至高神や根源神を、あるいは、意識の根源や極限を、無限の光、流出する光などとして体験するような神秘主義思想です。 その体験を哲学化したものは「光の形而上学」と呼ばれることもあります。 当稿は、古今東西の「光の神秘主義」の歴史というか、全体

グノーシス主義神話の2段階の鏡像の比喩

「ヨハネのアポクリュフォン」で述べられる神話に、2段階の「鏡像(似像)」の比喩が語られます。 この文献は、ナグ・ハマディ文書に含まれる、セツ派のグノーシス主義の文献です。 中沢新一は、その1段階目について、ラカンの鏡像段階を表現するものと解釈しています。 ですが、私は、これは間違いで、鏡像段階と結びつけることができるのは、2段階目だと思います。 本稿はこのことについて書きます。 その際、ヘルメス文書「ポイマンドレース」における2段階の「鏡像」の神話や、仏教やゾクチェンにお

中沢新一氏の新著『精神の考古学』を読み終える

(本記事は無料で最後まで立ち読みできます) 中沢新一氏の新著『精神の考古学』を読む。 三日間かけて最後のページまで読み終わる。 というわけで、これから二回目を読み始めよう。 前の記事にも書いた通り、わたしは中沢新一氏の著作のファンで、これまでもいろいろな著書を拝読してきたが、この『精神の考古学』も鮮烈な印象を残す一冊でありました。 最後のページから、本を閉じた後も、いろいろとめくるめく言葉たちが伸縮する様が浮かんでは消えていく。 この『精神の考古学』の読書感想文だけ

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中沢新一氏の新著『精神の考古学』を読み始める

中沢新一氏の新著『精神の考古学』を読んでいる。 私が高専から大学に編入したばかりの頃、学部の卒研の指導教官からなにかの話のついでに中沢氏の『森のバロック』を教えていただき、それ以来中沢氏の書かれたもののファンである。また、後に大学院でお世話になった先生は中沢氏との共訳書を出版されたこともある方だったので、勝手に親近感をもっていたりする。 中沢氏の書かれるものには、いつも「ここに何かがある」と思わされてきて、特に『精霊の王』、『レンマ学』、『アースダイバー神社編』は丸暗記す

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瞑想入門(全訳)

アチャン・チャー  皆さんは、ここに善を求めてやって来たのだと思います。ですから、どうか心を穏やかにして、法話を聴いてください。平安な心でダンマを聴くためには、法話に集中しつつも、聴いた内容に執着せず、手放すことを心掛けることです。ダンマを聴くことは、私たちの人生にとって大きな利益となります。法話を聴いている間、私たちはサマーディを確立している必要があります。法話を聴くこともまた、ダンマの実践だからです。ブッダの在世時、人々は真剣になってその説法に耳を傾けていました。ですか

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第1177回「足で地面を押して立つ」

坐禅の修行を始めた頃に、当時参禅していた老師から「一歩一歩、足の指先が畳にめり込むように歩け」とか、「公案を頭で考えてはいけない、足の裏で工夫しろ」とか、「足の裏で呼吸するように」と言われたものでした。 私たちが立つには、足の裏で地面を押して立っているのです。 これは自明の理なのですが、なかなか実感している人は少ないと思います。 足で地面を押すというと、『維摩経』の言葉を思いおこします。 お釈迦様が宝積長者に、 「されば宝積よ、浄い仏の国が得たいと思うならば、その心を浄うするがよい。心が浄いならば、その居る国も浄い」 と説かれました。 原文は「其の心の淨きに随って則ち佛土淨し」です。 大法輪閣の『仏教聖典』には更に次のように続いています。 「この時舎利弗は心に思う。「もし心が浄ければ、その国も浄いというのならば、世尊が嘗て道を求められた時に、よもや汚れた心を起こされたのではあるまいに、この世はどうしてこのように汚れているのであろう」」 というのです。 それに対して世尊は、 「人人はその罪によって仏の国の浄さを見ることができぬのである、 この世は浄い、しかし汝にはそれが見えないまでである」と仰せになっています。 更に「この時、座にあった一人の婆羅門が云う。 「尊者舎利弗よ、この世界は決して汚れてはいない、神神の宮殿のように澄渡っている」。 舎利弗。「私はそうは見ぬ、この世界は丘や山や、砂礫や、坑や、荊棘等の醜い穢れたものに満ちている」 婆羅門。「それは汝が仏の智慧によらず、心に高低の見をもっているからである、菩薩はすべての人人に対て、平等の浄い心を抱いておるから、この国も亦浄らかに映るのである」。 この時、世尊、御足をあげて大地を指し給うと、忽ち世界は一変して広広と光輝き、人人はいつの間にか、皆宝で鏤めた蓮華の座にその身を見出して、驚きの眼をみはった。 世尊。「舎利弗よ、汝はこの世界をいかに見る」。 舎利弗。「世尊、私はこのような浄く美しい世界をこれまで見たことはありません」。 世尊。「私の国はいつもこのように浄い、しかし心の劣っている人人には、悪と汚とに満ちた世界としか見えない、故に舎利弗よ、人人が皆、私の説法によって心を浄めて見直したように、もし心を浄めて見直したならば、いつもこのように光り輝く世界を見ることが出来るのである」。」 と続いています。 「世尊、御足をあげて大地を指し給う」というところは、原文には「佛、足の指を以て地を按ず」と書かれています。 「按」にはおさえるという意味があります。 足の指で地面をおさえると、「忽ち世界は一変して広広と光輝き、人人はいつの間にか、皆宝で鏤めた蓮華の座にその身を見出して、驚きの眼をみはった」というところが実に興味深いものです。 先日も西園美彌先生にお越しいただいて足の指について講座を受けていました。 西園先生には、二〇二〇年の一月からお世話になっていますので、かれこれもう二年ご指導をいただいています。 西園先生との出会いによっても大きな変化がありました。 まず膝の痛みが全くなくなりました。 その前までは少し膝に違和感を感じていたのですが、足の指を調えることによって、膝に問題がなくなったのでした。 ちょうど足の裏、足の指に注目していた頃に、西園先生とのご縁があったのでした。 それから二年、いろいろと教わってきました。 おかげで随分と足が調ってきました。 内心、もうそんなに驚くほどの変化はないだろうと思っていたのでした。 しかしながら、先日二ヶ月ぶりに講座を受けて、大きな変化がありました。 そして感動でありました。 今回はくるぶしに注目して三時間講座を行って下さいました。 ちょうどその前日に井上欣也さんから足の指を開くには、くるぶしから開くように意識するとよいと教わったところでした。 また私自身もこの頃、足の距骨に注目して研究していたところなので、くるぶしと聞いて、不思議なご縁を感じました。 くるぶしとは、足首の内側と外側にある丸みのある突起です。 足首には、脛骨(すねの骨)、腓骨(すねの外側の骨)、距骨(かかとのすぐ上にある骨)の三つの骨があります。 これらがつながることで足関節となり、立つ、歩く、走るなどの足の機能に大きく関わっているのです。 内くるぶしは、脛骨の末端、外側のは腓骨の末端にあたります。 西園先生も距骨の大切さには注目されているそうですが、距骨というのは一般の方には伝わりにくいので、くるぶしの方が伝わりやすいのだと仰っていました。 先日は藤田一照さんもお見えになって一緒に学びました。 まず内くるぶしと外くるぶしとは同じ高さになっていないといけないと言われて、一照さんも私も内くるぶしと外くるぶしとの高さがかなりずれていることの気がつきました。 それからいつものように足指のトレーニングを行って、くるぶしから足首を回すように何度も講習を受けていました。 それから顔の蝶形骨もくるぶしに関わるのだと聞いて驚きました。 そんなことを繰り返して習って、くるぶしの高さが揃うように調整して立つと、なんと立つ感覚がはっきりしました。 足の裏の拇指球、小指球、踵の三点でしっかり地面を押しているのがはっきりと分かるのでした。 まさに足で地面を押して立ち上がっているのが実感できたのでした。 今までは足で地面を踏んで立っていたつもりでいただけで、足で地面を押して立っていなかったと気がつきました。 足の裏、足の指、足首、どれも奥深いものです。 まだまだ分かっていないことだらけなのだと実感しました。 ともあれ、今回も大発見と感動なのでありました。     臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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第1172回「錯覚の自覚」

先日の花園大学サテライト ZEN 講座で、小川隆先生の次には、佐々木閑先生のご講義でありました。 これがまた深い内容で大いに学ぶところがありました。 佐々木先生の講義の題は「未来社会における仏教の役割」というもので、この題だけでも興味を覚えます。 まずはじめに佐々木先生は、社会の変化によって私たちは何を失い、なにを得たのかということについて分かりやすく説いてくださいました。 まず佐々木先生は、「言葉の出現」ということについて説かれました。 私たちは、言葉を使うようになって、世の中をありのままに見る力を失い、そして強い自我意を持つようになったというのです。 言葉を使うことによって、世の中をありのままに見る力を失うというのはよく分かります。 山というのは、千差万別いろんな山があります。 しかし、山と言う言葉を使うことによって、千差万別の山々を感じることを失います。 花も、いろんな花がその時々に咲いています。 同じ花でも咲いたときと、時間が経ってからでは違います。 しかし、花という言葉でひとくくりにしてしまっています。 ただ言葉を使うようになって自我意識が強くなるというのが、はじめはよく分かりませんでした。 雨が降っているとします。 私たちは「雨が降っている」という言葉にします。 犬などの動物は言葉がありませんから、ただ雨の中を濡れて歩いているだけです。 雨が降っているという言葉にすると、この言葉には、私は雨が降っていることを知っていると思いがあるというのです。 これを人に伝えたりする時には、あなたはまだ知らないだろうけれども、私は雨が降っていることを知っている、だから教えてあげようというように、自分がという自我意識がそこに生まれているというのです。 自我意識が強くなると、今度はその自我がなくなることを怖れるようになります。 自我の喪失というのは死であります。 死への強い恐怖心を持つようになります。 動物などは言葉がありませんので、そんな死への恐怖心を持たないと佐々木先生は仰っていました。 そしてその死の恐怖を克服するために、宗教が考え出されました。 死にたくないという思いに応えるために、死んでも死なない世界があると説くようになったのです。 輪廻するとか、あの世がある、天国があると説くようになったのでした。 ところが、この宗教的世界観は科学の登場によって効力を失いつつあるのだと佐々木先生は仰っていました。 科学の発達した時代になると、純粋に死んでもしなない世界があるとは信じ切れなくなったのです。 しかしお釈迦様の教えは、異なります。 死んで自我が終わるのを涅槃といって、最高の安楽だと説いたのでした。 いつまでも生きていたいという強い執着を、仏教では「渇愛」と言いました。 この渇愛を滅したら、死を究極の安楽と受け入れることができるのです。 それから次に、「文字の出現」によって大きな変化がありました。 私たちはこの文字の出現によって、記憶力を大きく失いその代わりに論理思考の伝達力を得たと仰っていました。 文字が出来るまでは、すべてを暗誦していたのでした。 仏教の歴史においても経典が文字に書かれるまでは、すべて暗誦して伝えてきたのです。 しかし、文字にすることによって、そんなに覚えなくてもよいようになって、記憶の力を失いました。 その代わり、考えていることを広く伝えることができるようになったのです。 そして現代は、「AI の出現」という大きな変化を迎えています。 私たちは、このAIの出現によって、「創造力を失いその代わりに判断することの煩わしさからの解放を得る (であろう)」というのです。 AIにとって、人間の出来ることは何でもできる、人間でないとできない事は、何も無いというのです。 もうすべてのことをAIがやってくれと、人間は自尊心が無くなってしまい、「閉じた世界での虚栄心」を得るのみだと仰っていました。 かつては「自分探し」などといって、自分だけにしかできないことを探していたのです。 ところが、これこそ私の価値であり、私の本質だと思っていることが、すべてAIにやられてしまい、最後に残るものはなにも無くなります。 これを諸法無我といいますが、それでも人は生きてゆかねばならないとなると、自分の価値をどう見つけるのかが問題になります。 「仲間からのイイネ」だけが生き甲斐になるという「 ネットの楽園」を説いてくださいました。 言葉を使うようになって自我が増大してしまいましたが、科学の発達がこの自我を否定していくはたらきもあるということでした。 たとえば私たちには、自分のまわりを太陽が回っているように見えます。 自分が中心で、世界が回っていると思っていました。 天動説を信じていました。 しかし、天動説は否定されて、私たちが中心ではないということが明らかになったのでした。 世の中を正しく認識するのが科学なのです。 私たちは自分の計る単位はどこでも通じると思い込んでいましたが、人間中心ではないのです。 相対性理論によって、時間は観測者によって異なるという相対的なものとなったのでした。 また量子力学によって、私たちが眼で見たり耳で聞いたりするのとは異なる世界があることが明らかになったのでした。 超ヒモ理論というのがあって、すべては微少なヒモの振動だということも明らかになっているようです。 最近ではエム理論というのがあるそうです。 すべてはエム理論によって現れているというのです。 森羅万象がエム理論の現れだというのですから、私という存在も庭の柏の木もみなエム理論の現れなのだと佐々木先生は説かれていました。 エム理論とは何かと問われたら、庭の柏の木だと答えると、佐々木先生は、小川先生の柏樹子の話に関連して解説されていました。 佐々木先生は、仏教とは何か、独自の定義を示してくださいました。 それは、自分自身の錯覚の自覚とそのしばりからの解放だという定義でした。 私たちは自己中心にしか見ていないのです。 無常であるのに、常に変わらないと錯覚してしまっています。 無我であるのに、我があると錯覚してしまっています。 一切は苦であるのに、楽だと錯覚してしまっているのです。 まず錯覚しているのだと自覚して、そのしばりから解放されることが仏教なのだというのです。 禅は、あらかじめすべてが解放された世界を提示してくれるというのです。 もともとのお釈迦様の教えでは、自己を少しずつ変えてゆくその一歩一歩の課程を丁寧に説いているのだという説明はなるほどと思いました。 実に明解な定義を示していただいて、眼からいくつもの鱗が落ちるような有り難い講演でありました。     臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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第1168回「良い習慣をつけて心を調える」

都内でイス坐禅の会を始めたのは、いろんないきさつがあります。 イスで坐れる坐禅をやってみようという思いがもとにありました。 あえてオフィス街の会議室の中という、自然豊かなお寺の中とは対極的なところでやってみようと思ったのでした。 月曜から金曜まではたらいて土日を利用して、お寺で坐禅して非日常を味わうのもとても良いことです。 しかし、禅は日常の中にもあるのではないか、いやむしろ日常の中にこそ禅があるべきではないかという思いもまたありました。 ふだんの仕事場でも出来る禅をやってみたいと思ったのでした。 今の修行道場の暮らしなどは、お寺の世界でもほとんど非日常になっています。 かつては、薪でご飯を炊いたり、薪で風呂を沸かしたり、畑で野菜を作ったりというのは、どこの家でも当たり前のことでありました。 畳の上で正坐してご飯を食べるというのも日常でありました。 しかし、今や町のお寺では、薪でご飯を炊いたり、お風呂を沸かすこともまずないでしょう。 畑で野菜を作っているお寺はまだまだあると思いますが、少ないでしょう。 畳の上でご飯を食べているというのも少ないようです。 修行道場に来る修行僧たちに、それぞれ今までお寺でどんなところでご飯を食べてきたのかと聞くと、大概台所でテーブルにイスだと答えるようになっています。 修行道場の暮らしは、非日常であって、若い日にその非日常を体験して、そのあとはお寺に入って日常に戻るというのが現状です。 しかし馬祖禅師が平常心是れ道と仰ったのは、普段の当たり前の心が道だということであります。 禅は日常の中にこそあるというのが、もともとの教えであったと思います。 そんな次第で、日常の中の禅ということでイス坐禅を始めてみたのでした。 イス坐禅の会では、毎回臨済録の一節を取り上げて少しお話をしています。 これはもともとコロナ禍になる前まで毎月一回都内のお寺で坐禅会を開催していたのでした。 十年ばかりかけて碧巌録を講義しおわって、臨済録を読もうとしたところで終わってしまったのでした。 コロナ禍も落ち着いて再開しようと思ったのですが、都内のお寺を坐禅会の会場としてお借りすることができなくなってしまいました。 それぞれのお寺にはそれぞれご事情があるものです。 そこで、どこで講義をしても同じだと思って、ビルの中の会議室を借りて臨済録を読んでいるのであります。 そんないきさつがあって始めたイス坐禅の会も先日十回目となりました。 なんども参加なさっている方もいてすっかり顔なじみになっています。 有り難いことであります。 先日は『臨済録』の中で、 「道流、出家児は且く学道を要す。祇だ山僧の如きは、往日曽って毘尼(びに)の中に向かいて心を留め、亦た曽って経論を尋討(じんとう)す。 後、方に是れ済世の薬、表顕の説なることを知って、遂に乃ち一時に抛却して、即ち道を訪い禅に参ず。」 というところを読んでみました。 岩波文庫『臨済録』にある入矢義高先生の訳では、 「諸君、出家者はともかく修行が肝要である。 わしなども当初は戒律の研究をし、また経論を勉学したが、後に、これらは世間の病気を治す薬か、看板の文句みたいなものだと知ったので、そこでいっぺんにその勉強を打ち切って、道を求め禅に参じた。」 となっています。 「済世の薬」というのを入矢先生は「世間の病気を治す薬」と訳されていますが、衣川賢次先生は、「病気の処方箋」(新国訳大蔵経[中国撰述部]六祖壇経・臨済録)と訳されています。 「表顕の説」を入矢先生は「看板の文句みたいなもの」、衣川先生は「効能書き」と訳されています。 さらにそのあと『臨済録』には、 「後、大善知識に遇いて、方乃(はじめ)て道眼分明にして、始めて天下の老和尚を識得して其の邪正を知る。是れ娘生下(じようしようげ)にして便ち会するにあらず、還って是れ体究練磨して、一朝に自ら省す。」 と続きます。 入矢先生の訳では、 「その後、大善知識に逢って、始めて真正の悟りを得、 かくて天下の和尚たちの悟りの邪正を見分け得るようになった。 これは母から生まれたままで会得したのではない。体究練磨を重ねた末に、はたと悟ったのだ。」 となっています。 『臨済録』のこの箇所はとても重要なところであります。 臨済禅師は、黄檗禅師のもとで悟りを開くまで、どこでどのような修行をしていたのか経歴がはっきりしません。 『祖堂集』には、臨済禅師は黄檗禅師のもとをたずねて、 「夜中まで大愚の前で、『瑜伽論』を説き、『唯識論』をかたって、さらに私見をまくしたてる。」と書かれていますので、唯識を学んでいたことがわかります。 またこの『臨済録』の言葉から、毘尼という律を学んでいたことも分かります。 別のところで臨済禅師は、 「諸君、仏法には、造作の加えようはない。 ただ平常のままでありさえすればよいのだ。 糞を垂れたり小便をしたり、着物を着たり、飯を食ったり、疲れたならば横になるだけだ。 愚人は笑うであろうが、智者ならそこが分かる。 古人も『自分の外に造作を施すのは、みんな愚か者である』と言っている。」 と述べています。 なにも特別な修行などしなくてもいいようにも聞こえます。 しかし、ここでは、はっきりと 「出家者はともかく修行が肝要である。」と述べています。 この点を見過ごしては誤ります。 そして臨済禅師ご自身が、毘尼という律をしっかりと学んでいたということも見過ごしてはなりません。 仏道は戒定慧の三学なのです。 戒という、まずよい習慣を身につけることです。 それが土台になって定という、心が平静になります。 それでこそ、慧という正しい判断ができるようになるのです。 そんな話をしたのでした。 今回のイス坐禅の会にもホトカミの吉田亮さんもご参加くださっていました。 吉田さんの元気で明るいお姿を拝見すると、こちらも疲れがとれるように感じます。 イス坐禅は、まず手首、足首、首、肩を入念にほぐしてから腰を立てて坐りますので、とても心地よく坐ることができます。 なんといっても自分自身が一番疲れもとれて、身も心の楽になって落ち着くのです。 都会の真ん中ですが、こうして坐れることは有り難いことです。     臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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第1167回「無常を観る」

『臨済録』の中に、 「大徳、三界は安きこと無し、猶お火宅の如し。 此は是れ汝が久しく停住する処にあらず。 無常の殺鬼一刹那の間に貴賎老少を揀ばず。」 という言葉があります。 岩波文庫『臨済録』で入矢義高先生は、 「三界(凡夫の迷いの世界)は安きことなく、火事になった家のようなところだ。 ここは君たちが久しく留まるところではない。 死という殺人鬼は、一刻の絶え間もなく貴賤老幼を選ばず、その生命を奪いつつあるのだ。」 と訳されています。 東日本大震災で、被災されたあるお寺の和尚は、津波の惨状を目の当たりにされて、『臨済録』のこの言葉を思ったと仰っていたのが忘れられません。 この言葉についての山田無文老師の提唱を、禅文化研究所の『臨済録』から引用してみましょう。 「大徳、「三界は安きこと無し、猶お火宅の如し」 大徳とはみんなのことを呼ばれたものだ。 みんな、生まれながらにして立派な仏性を持っておるから大徳じゃ。 修行をせんでも大徳である。 これは『法華経』譬喩品の中にある言葉である。 欲界、色界、無色界、これを三界という。迷いの世界だ。 何でも欲を観点にしてものを見ていく世界が欲界だ。 何を見ても金で判断をしていく人がある。 一本の樹を見ても、この樹は何石あるが、これを売ると時価何万円だとか、床柱を見ても、これは大したものだ、これを今買うと何万円じゃと、何を見ても金で判断をしていく人がある。 欲望で判断をしていく人を欲界の衆生というのである。 色界というのは物の世界である。 精神的なものも分からず、欲はないのだが、何でも物として見ていく。 物の世界しか分からん人である。」 「無色界というのは、欲もなく、物からも離れたが、精神の世界だけに尻を据えておる迷いの衆生だ。 別に欲を渇かんではない。 物ということも頭にない。 歌を歌っておればよい。ピアノを弾いておればいい。 絵を描いておればいい。詩を作っておればいい。物も欲しくない、金も欲しくない、風采もかまわん。 汚い乞食みたいな風をして俳句ばかり作っておる。 こういうのを無色界の衆生というのだ。 みんな、迷いの衆生である。 こういう迷いの世界を総合して三界というのである。 三界は安きこと無しだ。 欲界におっても、色界におっても、無色界におっても、この三界をぐるぐると輪廻しておっても、この世界は少しも心を安んぜられる世界ではない。 猶お火宅の如しだ。この世界はまるで火のついた屋敷のようなものじゃ。 いつ棟が焼け落ちるかも分からん。実に不安の世界である。 毎日、時々刻々と世界は動いておるのである。 物は動いておる。社会も動いておる。いつどういうことが起こらんとも分からん。 此れは是れ你が久しく停住する処にあらず この世の中は少しも安心できるところではない、火のついた屋敷のようなものである。 この世界はお互いが安心していつまでもおれるところじゃない。 無常の殺鬼、刹那の間に、貴賤老少を揀ばず 無常の風が吹けば、たちまちにして、身分の上下にかかわらず、金のあるなしにかかわらず、若い年寄りにかかわらず、男女の区別なく、みんなさっさと消えてなくなってしまう。」 というものです。 道元禅師も『正法眼蔵随聞記』の中で、 「今、出家の人として、即ち仏家に入り、僧道に入らば、すべからくその業を習ふべし。 その儀を守ると云ふは、我執を捨て、知識の教に随ふなり。 その大意は、貪欲無きなり。 貪欲無からんと思はば先づすべからく吾我を離るべきなり。 吾我を離るるには、観無常是れ第一の用心なり。」 と仰せになっています。 講談社学術文庫の『正法眼蔵随聞記』にある山崎正一先生の現代語訳を参照します。 「いま出家者として仏門に入り、僧の道に入るならば、ぜひともその業を習わねばならぬ。 そのやり方を守るというのは、我執をすて、師の教えに従うことをいう。 その大切な点は、むさぼりの欲をなくすことである。 むさぼりの欲をなくそうと思うなら、まず自分というものから離れなければならぬ。 自分というものから離れるには、無常を観ずること、これ第一の心得である。」 というものです。 いつまでもあると思い込んでいるから執着してしまうのでしょう。 いくら理論で分かっていても、実際に経験しないと身にしみないのがお互いであります。 『法華経』の中には、その三界を火で燃えている家に喩えているのです。 家が燃えていながら、その中で遊んでいる子どもたちは、気がついていないというのです。 『子どもたちは燃えさかる家のなかで、遊びほうけていて、火事になっていることに気づいていないし知らないし驚きもしないし怖がってもいない。炎にかこまれて、火傷したり、苦痛にさいなまれたりしているはずなのに、子どもたちの心はそれを感じていないし、外に逃れ出ようともしない』(春秋社『法華経』正木晃) と書かれています。 「無常の殺鬼」と臨済禅師は、表現されましたが、町を襲う津波はまさにそのように見えたのでありましょう。 津波ならずとも、この迷いの世界は、火に燃えているのであります。 燃えていることにも気がつかずに遊んでいてはたいへんなことになります。 災害はいつ起きるか分かりません。 災害ならずとも、世界では戦争が絶えません。 環境問題が深刻なのは改めていうまでもないのです。 まさに今燃えていると気づくべきなのです。 無常であることに気がつかないといけません。 まずはこの無常であることに気がつくことです。 そして、菩提心とは観無常の心であると言われます。 無常を観るからこそ、悟りを求めようという心が発るのです。     臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

原書購読:Out on a Limb『アウト・オン・ア・リム』英語

 このページはシャーリー・マクレーンの『アウト・オン・ア・リム』の原書購読の紹介だ。(文字数7,262)    『アウト・オン・ア・リム』とは、「危険を冒して」という意味になる。またこの語句は、「危険な橋を渡る」という意味で、使う事もある。リムという言葉は四肢を意味する。手足の事だ。つまり、手足が地についていない状態を指している。まさに絶体絶命、極限状態だ。  言語:英語  表題:Out on a Limb  著者:Shirly MacLaine  出版社:BANTAM B

永井晋「動きのなかに入り、共に動くこと/「顕現しないものの現象学」から考える」(『談 no.129 』/『〈精神的〉東洋哲学/顕現しないものの現象学』

☆mediopos3404  2024.3.13 mediopos3402(2024.3.11)では 『談 no.129』の記事のなかから 宮本省三「経験する主体、オートノミーとリハビリテーション」 をとりあげたが 今回は永井晋「動きのなかに入り、共に働くこと/ 「顕現しないものの現象学」から考える」をとりあげる ちなみに同テーマについては mediopos-2451(2021.8.2)において 永井晋『〈精神的〉東洋哲学 顕現しないものの現象学』が すでにとりあげら