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思想・哲学・宗教・人物(My favorite notes)

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思想・哲学・宗教など心や意識をテーマにしたお気に入り記事をまとめています。スキさせて頂いただけでは物足りない、感銘を受けた記事、とても為になった記事、何度も読み返したいような記事…
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記事一覧

「全機」について⑤

前回、全機現(〈いのち〉の全きはたらきの現成)である「生」はお互いに無礙であるのみならず、全機現である「死」とも無礙であると書きました。したがって、「生」は「死」を妨げず、「死」も「生」を妨げない、つまり「生」と「死」もお互いに無礙なる関係(相即相入)にあるということです。 引き続き、本文を見ていきたいと思います。 (全大地・全虚空は、ともに「生」にもあり、「死」にもある。そうではあるが、一つの全大地、一つの全虚空を、「生」にも全機し、「死」にも全機するというわけではない

再生

第1277回「三種類の慈悲」

先日久しぶりにライブ配信をおこなっていました。 夢窓国師の「三種の慈悲」について話をしました。 夢窓国師は、円覚寺にとってとても大事な方で、第十五代目の住持であります。 夢窓国師は一二七五年に三重県の伊勢で生まれています。 一二七五年というのは、一度目の元寇である文永の役の明くる年にあたります。 まだ円覚寺に無学祖元禅師がお見えになる前であります。 岩波書店の『仏教辞典』に簡潔にご生涯が解説されていますのでそのまま引用します。 「1275(建治1)ー1351(観応2)  臨済宗の僧。夢窓は道号、疎石は諱。伊勢(三重県)の出身。 はじめ天台・真言を学びのち禅を修し高峰顕日の法を嗣ぐ。 嗣法ののち十数年、人里離れた地に草庵を転々とした。 その後、南禅寺・円覚寺などに住持となり帰依する者多く、天竜寺はじめ多くの寺を開き、また足利尊氏(1305-58)にすすめて鎌倉末以来の戦乱に落命した人々の菩提のため全国に安国寺・利生塔を建てさせた。」 という通りであります。 禅宗に転じるきっかけについて『夢窓国師語録』には次のように書かれています。 「永仁元年癸巳、師、十九歳 密教を学び兼ねて台講を聴く。其の講師病を得て忙然として死す。師は見て忍びず。」 密教は真言の教え、台講は天台宗です。 十九歳のときに仏教学の講義を聴いていました。 その先生が病気になって、茫然自失になって亡くなってしまったのです。 その死に様が悲惨で、見るに忍びなかったと書かれています。 そこで思ったのは、仏法は真言宗とか天台宗とかいろいろあるけれども、その目指すところは煩悩の世界を出て仏道を会得するにあるだけですが、自分の先生は普段は仏教学についての知識が非常に深かったけれど、いざ死に臨むとなると狼狽して、仏教学の知識が一文字も役に立たなかったと気がついたのです。 それによってわかったのでした。 仏法は学問を学んで至るところではないということがはっきりしました。 禅宗というのは教外別伝といって教えや文字の外に伝えることがあるという、これにはきっと訳があるはずだと思ったのでした。 あれだけ学んでいたのに、死ぬときに学問が何の役にも立っていないと気づいたのです。 結局、経典や書物を読むだけでは、生死の世界を超えることができないということを知り、教えや文字以外に伝えるものがあるという禅に気持ちが惹かれていくのです。 仏国国師について修行したあとも諸方を転々として、五十一歳のとき、後醍醐天皇の勅命を受けて上洛し、南禅寺に住しました。 南禅寺は亀山上皇のお建てになったお寺で、京都五山の上に位置するお寺だといわれるようになった格式の高い寺です。 『仏教辞典』には、 「夢窓は思想的には柔軟で禅密兼修と見られ、性格は隠逸を好むが温順柔和である。 人々に対しては各人の能力に応じた方便を用いて理路整然と、かつ諄々と説き示し、人を感ぜしめること深く、朝野の帰依を一身に集めて広く社会を教化した。 弟子1万3千余人といい、その法系の夢窓派(嵯峨門派)は室町五山禅林の主流となり、夢窓の号のほか国師号を7代の天皇より賜り七朝帝師(国師)という。作庭にもすぐれ西芳寺・天竜寺をはじめ諸寺に残る名庭と共に造園史にも名を残す。」 と書かれています。 その夢窓国師の『夢中問答』にこんな問答が残されています。 講談社学術文庫『夢中問答』にある川瀬一馬先生の現代語訳を引用します。 「問。自分自身がもし煩悩から離脱しなければ、他人を悟りに導くこともできない。それなのに自身をさしおいて、先ず第一に衆生のために善根を修めるというのは、理屈が通らないのではないか。 答。 衆生が生死の迷いに沈んでいるのは、我が身にとらわれて、自分のために名利を求めて、種々の罪業を作るからだ。 それ故に、ただ自分の身を忘れて、衆生を益する心を発せば、大慈悲が心のうちにきざして、仏心と暗々に出会うために、自身のためにと言って善根を修めなくとも、限りない善根が自然によくそなわり、自身のために仏道を求めないけれども、仏道は速やかに成就する。 それに反して、自身のためばかりに俗を離れようと願う者は、狭い小乗の心がけであるから、たとい無量の善根を修めたとしても、自分自身の成仏さえもかなわない」というものです。 そして次に三種の慈悲について説かれています。 「慈悲に三種ある。 一つには衆生縁の慈悲。二つには法縁の慈悲。三つには無縁の慈悲である。 衆生縁の慈悲と言うのは、眼前に生死の苦に迷っている衆生がいるのを見て、これを導いて世俗の煩悩から離脱させようとする慈悲で、これは小乗の菩薩の程度の慈悲である。 自身ばかり離脱を求める声聞・縁覚二乗の考えにはまさってはいるが、まだ世間の迷いの世界を断ち切れない考え方に陥っていて、他に功徳を及ぼそうとする相を残しているが故に、真実の慈悲ではない。 「維摩経」の中に、眼前の姿に心を引かれる大悲だとそしっているのは、これである。 法縁の慈悲と言うのは、因縁によって生じたありとあらゆるものは、有情非情すべて皆、幻に現われたものと同じだと見通して、幻のごとき一切の無実を救おうとの大悲を発し、如幻の教えを説いて、如幻の衆生を救い導く。 これがすなわち、大乗の立場にある菩薩の慈悲である。 しかしながら、かような慈悲は、目の前にある姿に捉われる心から離れて、眼前の姿に心を引かれた大悲とは異なっているが、なおも如幻の相を残しているが故に、これもまた真実の慈悲とは言えない。 無縁の慈悲と言うのは、悟りを得て後、もともと見えている本性のよき働きの慈悲が現われて、教化しようという心を発さなくて自然に衆生を導くこと、あたかも月がどこの水にも影をうつすがごとくである。 この故に、仏法を説くのに、口に出すとか出さぬとかという違いもなく、人を悟りに導くのに役に立つとか立たぬとかの区別もない。かように無条件に徹底しているのを真実の慈悲と言うのだ。」とあります。 月がどこの水にも影をうつすように無心に人を導いていく、夢窓国師はそんな慈悲の方であったと思います。 夢窓国師のことを学び直しているところなのであります。     臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

「全機」について④

前回、〈いのち〉の全現成としての「生」というのは、仏法に目覚めた自己(「舟」の時節)のことであり、そのとき、すべての存在が自己(舟)のはたらきとなって生きていると書きました。 引き続き、本文を見ていきたいと思います。 (圜悟禅師克勤和尚いわく、「生は全機現であり、死も全機現である」。 この言葉を明らかにして参究するべきである。参究するというのは、「生は全機現である」という道理、それは始めと終わりといった時間軸には限定されず、空間的には全大地・全虚空とひとつになっているもの

「全機」について③

前回、「生」とは〈いのち〉の全現成であり、今、この「生」を私が生きるなかで出会うすべての存在は、この「生」と〈ひとつ〉となって存在しているということを書きました。 前回に引き続き、本文を見ていきたいと思います。 (「生」というのは、たとえば人が「ふね」に乗っているときのようである。この「ふね」は、私が帆を使い、私が舵を取っている。私が棹をさし「ふね」を進めているとはいえども、「ふね」が私を乗せて、「ふね」のほかに私はいない。私が「ふね」に乗って、この「ふね」をも「ふね」な

「全機」について②

前回、「全機」とは万物(自己)を生かしている〈いのち〉の働きであり、その仕組み(=機関)が生を本当の「生」ならしめ死を本当の「死」ならしめている、そして、その〈いのち〉の働きの仕組みが「透脱」と「現成」であると書きました。 前回に続いて本文を見ていきたいと思います。 (「生」はどこから来るのでもなく、「生」はどこかへ去るのでもない。「生」はどこから現れるのでもなく、「生」は何かから成るのでもない。そうではあるが、「生」は〈いのち〉の全きあらわれであり、「死」は〈いのち〉の

「全機」について①

道元禅師の『正法眼蔵』に「全機」という巻があります。 以前、「現成公案」巻に出てくる「前後際断」という言葉について書きました。(↓もしご興味ありましたら参照いただけましたら幸いです) 以前の記事の中で、「前後際断」は仏法における生と死について述べる過程で使われた言葉だということを書きました。 その仏法における生と死について「全機」という巻ではさらに詳しく論じられています。 そこで、同巻は比較的、短いものなので、できるだけ逐一訳しつつ、何回かに分けて考察していきたいと思いま

「私」と「あなた」の幻想 『新版 エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』

ホモ・サピエンスが誕生して30万年だか20万年が経過したらしい。6万年前まではアフリカ大陸で暮らしており、日照への対応を考えれば皮膚の色は褐色系であっただろう。6万年前あたりに何があったか知らないが、アフリカを出て世界中に拡散を開始した。緯度が変われば、日照時間と日照強度が変化し、日照が変化すれば植生が変化する。植生が変われば、そこで暮らす動物の種類も変わり、移動した先でホモ・サピエンスが手にすることができる食物もそれぞれの土地に応じたものであったはずだ。 当然、我々はそれ

仏教を知るキーワード【22】梵網経/沙門果経/大念処経(番外編)

番外編として、『上座仏教事典』に寄稿したパーリ経典(長部経典)の解説記事を掲載します。 梵網経 ぼんもうきょう パーリ語 Brahmajālasutta長部の第1経。梵網(聖なる網)とは、腕利きの漁師が目の細かい網を小さな池に投じるように、世にある見解(宗教哲学)を一網打尽にするブッダの智慧を言う。ある外道の師弟が仏法僧の三宝を非難または賞賛して争論したことに因み、アンバラッティカー園林で説かれた。ブッダは比丘らに、三宝への非難や賞賛を聞いても怒ったり歓喜したりせず、正常な

仏教を知るキーワード【21】ブッダの生涯 ~人類の燈火~(完)

ブッダ(釈迦牟尼仏陀)は古代インドに実在した人物である。仏教の開祖として、いまも何億人という人々から慕われている。連載の終わりに、ブッダの生涯を駆け足で紹介したい。 小国の王子に生まれて およそ二千六百年前。インド亜大陸の北、ヒマラヤ南麓にあった釈迦国という小国に一人の王子が生まれた。場所はルンビニーという花園だった。スッドーダナ国王の王子として生を受けた赤ん坊は「目的を成就させる」という意味のシッダッタと名づけられる。生母のマーヤー妃はシッダッタの生後7日目に亡くなった

仏教を知るキーワード【20】ジャータカ ~ブッダの前生物語~

8つの特徴ジャータカ(本生)はブッダの前生での波羅蜜行を記録したとされる説話文学集である。ジャータカというとすぐに「物語」が連想されるが、パーリ三蔵の場合は、経典の扱いをされているのは偈(ガーター)という詩の部分のみ。この詩を「注釈」する形で綴られたのが、いわゆる『ジャータカ物語』となっている。ジャータカの偈だけ羅列しても意味が通らない箇所も多いので、ジャータカは必ず、注釈書を併せて読むことになる。通読すると、ジャータカには次のような基本的な特徴があることが読み取れる。 1

仏教を知るキーワード【19】密教 ~大衆の求めに応じた仏教的呪法儀礼~

ブッダは密教を否定したが、人々にとって仏教は神秘に満ちた教えだった ブッダ(釈尊)はこう述べた。「隠したほうが効果があり、あらわにすると効果がなくなるものが三つある。女性(の身体)と、バラモンたちの呪文、そして邪見だ。この三つは隠したほうが効果があり、あらわにすると効果がなくなる。」ブッダは続けてこう断言する。月と太陽と如来(ブッダ)の説いた真理と実践(法と律)は、明らかにしてこそ光輝くと。ブッダは文字通りの密教、秘教のたぐいを全否定した。 しかし仏教徒の見方は違った。成

仏教を知るキーワード【18】六波羅蜜 ~大乗仏教に特有の修行体系~

大乗仏教では、ブッダになるための特別な能力完成をめざす「波羅蜜」が修行の中心に 六波羅蜜(ろくはらみつ)は大乗仏教の修行体系である。大乗仏教では菩薩道を歩んでブッダ(正等覚者)となることを目標としたため、ゴータマ・ブッダが示した修行法である三十七菩提分法ではなく、ブッダとなるための特別な能力完成を目指す「波羅蜜(パーラミー、パーラミター)」を修行の中心に据えた。上座部仏教では菩薩の修行は十波羅蜜とされるが、大乗仏教では六波羅蜜が主流である。項目ごとに解説する。 1)布施(

仏教を知るキーワード【17】上座部と大乗 ~南伝と北伝、2つの大きな流れ~

上座部は初期に編纂されたパーリ仏典を伝承するが、大乗は大量に仏典を創作してきた 仏教にはいくつかの分類法があるが、もっとも一般的なのが上座部(じょうざぶ,テーラワーダ)と大乗(だいじょう,マハーヤーナ)という二分法である。伝統的に使われていた小乗(しょうじょう,ヒーナヤーナ)と大乗という分類を調整して、蔑称とされる小乗を上座部と言い換えたものだ。 上座部仏教:ゴータマ・ブッダが説かれた教えの伝統に充実たらんとした流れである。いわゆる南伝仏教。仏滅後100年頃に戒律の解釈を

仏教を知るキーワード【16】菩薩 ~ブッダになるべく修行中の行者~

ブッダとなるための修行を積む存在で、大乗仏教では救済者としての面が強調された 菩薩(ぼさつ,菩提薩垂)とはブッダ(正等覚者)となるために波羅蜜(はらみつ)という特別な修行を積む生命である。初期の仏典で菩薩と呼ばれたのはブッダとなる前の釈尊だった。ジャータカ(本生)に登場するスメーダ行者は、ディーパンカラ・ブッダ(過去二十八仏の4番目)から授記(将来、汝はブッダとなるだろうという認証)をうけてから、24人のブッダに仕えながら果てしない輪廻を繰り返し、十波羅蜜を完成して、兜率天