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思想・哲学・宗教・人物(My favorite notes)

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思想・哲学・宗教など心や意識をテーマにしたお気に入り記事をまとめています。スキさせて頂いただけでは物足りない、感銘を受けた記事、とても為になった記事、何度も読み返したいような記事…
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仏教を知るキーワード【03】中道 ~左右の中間ではなく、超越した道~

快楽によっても苦行によっても何も得られないと知ったブッダは、第三の道を説いた 中道とはブッダが菩提樹下で成道された後に、最初の説法(初転法輪)で説かれた教えである。 当時のインドには、盛大な動物供犠などを通して神々や祖霊の世界に働きかける現世利益のバラモン教、激しい苦行によって輪廻からの脱出を願う様々な沙門宗教、という2つの大きな宗教の流れがあった。 王家の身分を捨てて出家したブッダは、後者の沙門宗教の伝統に身を置いて6年にわたって苦行に専心したが、心の安らぎは何一つ

仏教を知るキーワード【02】四聖諦 ~仏教の根幹をなす4つの真理~

「生きることは苦」であるという真理を発見したブッダは、さとりへの道を示した 四聖諦(ししょうたい)は仏教の要諦を四項目で示した教説である。 1) 苦聖諦:「生きるとは何か?」と問い続けたブッダが辿り着いた最終的な答えは「生きるとは苦(ドゥッカ,苦しみ、不満足、思い通りにならないこと)」であった。苦とは、生まれること(生)、老いること(老)、病むこと(病)、死ぬこと(死)、愛着する人・ものと離れること(愛別離苦)、求めるものが得られないこと(求不得苦)、嫌いな人・ものと付

仏教を知るキーワード【01】さとりと解脱 ~仏教徒がめざす修行の完成~

心が煩悩から解放された心解脱と煩悩が完全に断たれた慧解脱の2種類がある 「さとり」という言葉は仏教用語としてよく使われるが、いざ定義しようとすると曖昧な用語でもある。初期仏教では修行の完成は「涅槃(ねはん,ニッバーナ)」と呼ばれる。涅槃に達するまでには、預流果(よるか)・一来果(いちらいか)・不還果(ふげんか)・阿羅漢果(あらかんか)という4段階で「解脱(げだつ)」を体験し、徐々に煩悩(ぼんのう、心の汚れ)を滅しなければならない。最終的に阿羅漢果に達するとすべての煩悩が絶た

「全機」について①

道元禅師の『正法眼蔵』に「全機」という巻があります。 以前、「現成公案」巻に出てくる「前後際断」という言葉について書きました。(↓もしご興味ありましたら参照いただけましたら幸いです) 以前の記事の中で、「前後際断」は仏法における生と死について述べる過程で使われた言葉だということを書きました。 その仏法における生と死について「全機」という巻ではさらに詳しく論じられています。 そこで、同巻は比較的、短いものなので、できるだけ逐一訳しつつ、何回かに分けて考察していきたいと思いま

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第1261回「初めて日本に伝わった禅」

『禅学大辞典』で「禅宗」という項目を調べてみると、日本の禅の伝来について次のように書かれています。 「日本における禅の流伝は、伝説によれば、孝徳天皇白雉四年(六五三)に入唐した元興寺道昭が慧可の法孫慧満から禅法を伝え、元興寺東南隅に禅院を建てたのを初伝とし、次いで天平八年(七三六)普寂の門人道璿が来朝して北宗禅を伝え、延暦二一年(八〇二)最澄が入唐して傭然から牛頭禅を受け、嵯峨天皇の橘(檀林)皇后の招請で、馬祖下、斉安の法嗣、義空が来朝して南宗禅を伝えた。 また承安元年(一一七一)叡山の覚阿が入宋して、瞎堂慧遠から心印を受けたと伝えられる。 以上の五伝はその法系が栄えなかった。 次いで三宝寺の大日能忍は、自ら修した禅法の得悟を、入宋させた練中・勝辨の二弟子に託して、育王山の拙庵徳光に呈示させ、その印可証明を受けた。 彼等の帰朝後、能忍は日本達磨宗の旗織(きし)を掲げ、盛んに禅を鼓吹した。 道元禅師の弟子となった懐弊・義介・義演等は、初め達磨宗の禅風を受けていた。 本格的な禅が日本に伝えられたのは、文治三年(一一八七)に入宋して虚庵懐敞から黄竜一派を伝えた明庵栄西に始まる。」 と書かれていますように、初めて禅を伝えたとされる方が道昭であります。 道昭について『仏教辞典』には 629(舒明1)ー700(文武4) 「法相宗の僧。 河内国(大阪府)丹比郡船連(ふねのむらじ)の出身。 653年(白雉4)入唐、玄奘三蔵に師事して法相教学を学び(一説には摂論教学)、660年(斉明6)頃帰朝、法興寺(飛鳥寺(あすかでら)・元興寺(がんごうじ))の一隅に禅院を建てて住し、日本法相教学初伝(南寺伝)となった。」 と書かれていて、禅を伝えたことに言及されていません。 またこの道昭は日本で初めて火葬にされた僧でもあります。 道璿については『仏教辞典』には、 「702(中国長安2)ー760(天平宝字4) 一説に757年没。 中国、許州(河南省)衛氏の出身。 定賓(じょうひん)から戒律、普寂から北宗禅を受学。 戒師招請のため入唐していた普照、栄叡の要請に応じて736年(天平8)来朝。 伝戒師として大安寺西唐院に住し、東大寺大仏開眼会には呪願師(じゅがんし)を勤めた。 晩年病を得て吉野の比蘇寺(ひそでら)に退き没。 没時には律師。道は華厳・天台にも通じ、これらの教学は弟子行表(ぎょうひょう)(724ー797)を通じて最澄に影響を与えた。」 と記されています。 普寂という方は五祖弘忍の法を嗣いだ神秀のお弟子であります。 最澄については、『興禅護国論』の中に次の記述があります。 『日本禅語録1 栄西』から古田紹欽先生の現代語訳を参照します。 「伝教大師の譜の文に次のようにいっている。「謹んで自分が受けた得度の公の許状を見るに、そこに師主は奈良の左京の大安寺伝燈法師位行表である、引文。 その行表の祖の道璿和上が、大唐国より持って来て写し伝えた達磨大師の教えを説いたものが、比叡山の宝蔵にある。 延暦の歳の末に自分は大唐国に到り、師について教えを受け、さらに達磨大師の禅の教えを師から付授された。 それは大唐国の貞元二十年十月十三日のことであり、天台山禅林寺(今の大慈寺)の翛然からである。 翛然はインドから大唐国にいたる代々の祖師に伝わった法脈を受け継ぎ、また達磨大師の禅の教え、すなわち牛頭禅の法門を授かって伝えていたのであるが、その翛然から禅法をちょうだいして帰国したのであり、それは比叡山に安置し行なっているところである」と。」 と書かれています。 翛然という方については、諸説ありますが、牛頭禅の系統だと書かれています。 牛頭禅とは、牛頭法融(ごずほうゆう)(594ー657)を祖とする中国禅宗であります。 牛頭の名称は、法融所住の弘覚寺が江蘇省牛頭山に存したことに由来します。 それから、檀林皇后によってまねかれた義空という僧もいました。 義空は、馬祖の弟子である塩官斉安禅師のお弟子であります。 馬祖系の禅を伝えています。 義空は檀林寺の開山となったと『禅学大辞典』には書かれていますが、数年で中国に帰ってしまいました。 檀林皇后は、義空に参じて、 「唐土の 山のあなたに 立つ雲は ここに焚く火の 煙なりけり」という和歌を残されています。 それから先日紹介した覚阿という僧がいて禅を伝え、更に大日房能忍がいたのでした。 結局『禅学大辞典』にある通り、 「本格的な禅が日本に伝えられたのは、文治三年(一一八七)に入宋して虚庵懐敞から黄竜一派を伝えた明庵栄西に始まる。」ということになるのです。 『興禅護国論』に「鏡に垢あれば色像現ぜず、垢除けばすなわち現ずるがごとく、衆生もまたしかり。心未だ垢を離れざれば法身現ぜす、垢離るればすなわち現ず。(『興禅護国論』第七)」という言葉があります。 『日本の禅語録1 栄西』には、 「もし鏡に汚れが付いていれば映像は現れませんが、その汚れを取り除けば現れます。私たち衆生も同様です。 衆生の心に垢という煩悩がまとわりついていては、仏の本身は現れませんが、その垢を取り除けば、 はっきりと現れます。」と訳されています。 この教えなどは、即心是仏を標榜しながらも北宗の禅であります。 やはり戒や禅定など実際の修行を重んじられたからこそ、日本において禅が受け容れられていったのではないかと思っています。     臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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第1258回「まるごとが仏」

先日は花園大学での講義の為に上洛してきました。 講義の前日に、妙心寺の新管長にご就任なされた霧隠軒山川宗玄老師にお目にかかりました。 花園大学の母体は妙心寺でありますので、大学の総長として新しい妙心寺の管長さまに表敬訪問し、ご挨拶申し上げたのでした。 そのあと禅文化研究所でYouTubeの撮影を行っていました。 更にその晩には花園禅塾に行って、禅塾の塾生達に坐禅をするための体操をあれこれと教えてきました。 長年どうしたら坐禅がよりよく坐れるか、慣れない人には、どうしたら苦痛無く坐れるか、あれこれと研究し工夫してきましたので、お若い方にもお伝えしようという思いであります。 一時間ほどの講習ですが、はじめにはやはり足を念入りに調えるように時間をとりました。 やはり、いろいろ学んできて分かったのは足が大事だということです。 足の指も大事ですし、足の裏も重要ですし、足首も柔らかくしておかないといけません。 テニスボールを学生さんたちの分を持っていって、はじめにはテニスボールを踏むということを行いました。 まず拇指球でテニスボールを踏むようにするのです。 右足から行いました。 右の膝を少し曲げて、足でテニスボールを踏むぞという意志を持って踏みつけるのです。 テニスボールは弾力性がありますので、かなり強く踏みしめても大丈夫です。 それから次に小指球でテニスボールを踏みしめます。 拇指球、小指球というのは、それぞれ親指、小指の付け根でありますが、付け根といっても土踏まずの上の方あたりであります。 それから拇指球と小指球の間を踏みしめます。 そうして土踏まず全体をテニスボールをころころ転がすようにして刺激を与えます。 そして踵と土踏まずの境目あたりを踏みしめるようにします。 このところはとても気持ちの良いものです。 そしてここに重心を置くようにして立つとまっすぐ立てるようになります。 そうしてしっかり足で踏むという感覚を身に付けてもらってから、坐って足首を回します。 足と手で握手するように足の指の間に手の指を入れて、大きく回してゆきます。 反対回しもします。 それから足の指を一本一本回してゆきます。 反対回しもします。 そうしますと足の指の感覚がしっかりしてきます。 両手の親指で足の裏を押して刺激します。 指の間、指の付け根、土踏まずから踵まで押して刺激します。 そして、最後には拳を作って足の裏をトントン叩いて刺激します。 そこで立ち上がってもらうと、右の足は、しっかり大地を踏みしめて立つという感じがするものです。 足の裏から根が生えたようにどっしりとして安定します。 まだ何もワークをしていない左足はただ床の上に乗っかっているだけの感じです。 左右の違いを感じてもらいます。 また足の色も変わるのです。 右の足の方が血行がよくなっているのが分かります。 そこで、今度は左の足も同じようにテニスボールを踏むところから始めます。 ひととおり行ってもう一度立ち上がってもらうと、今度は両足がしっかり地面を踏んでいる感じがするのです。 そこで更にまず右足で足の裏にテニスボールが無いけれどもあるように思って、踏み潰すつもりでしっかり床を押すようにしてもらいます。 更に左足も足の裏にテニスボールが無いけれどもあるように思って、踏み潰すように力を入れてゆきます。 そうしますと両足で床を押して立つことができるようになります。 その時足で床を押す力が、そのまま床から腰を立てる力となってはたらくのです。 腰を無理に入れようとするとどうしても腰が張ったりしてしまいます。 足で地面を押す力で、腰を立ち上げるようにすると、最も無理なく自然に立ち上がるのです。 頭までスッとまっすぐに立っている感じがつかめるのです。 これが腰を立てる要領となります。 それから股関節をほぐしてゆく運動をあれこれと行ってから皆で最後少し坐ってみました。 坐りやすくなったとか、落ち着いた感じがするという声をいただきました。 いつも坐禅の前に行っておいて欲しい運動もお伝えしておきました。 幸い今の禅塾の塾頭さんは親切にご指導してくださっているので、真向法を教えたり、いつも坐禅の前に体操の時間をとってくださっているようです。 やはりこうして体をほぐしてから坐ることが大事だと感じています。 股関節を柔らかくしてから足を組まないと、膝や足首を無理にひねって壊してしまうことがあるのです。 その次の日が大学の講義でありました。 禅とこころ、今回は禅僧の逸話に学ぶというシリーズです。 第二回目は唐代の禅僧の逸話を紹介しました。 単に逸話を紹介するのではなく、そこから禅の思想が学べるように工夫しています。 唐代の禅僧でも馬祖禅師、百丈禅師、黄檗禅師、臨済禅師の四名を中心に学びました。 そして番外に懶瓚和尚、布袋和尚、蜆子和尚を紹介しました。 馬祖禅師の教えの中核はなんといっても即心是仏です。 「馬祖は示衆して言った「諸君、それぞれ自らの心が仏であり、この心そのままが仏であることを信じなさい。達磨大師は南天竺国からこの中国にやって来て、上乗一心の法を伝えて諸君を悟らせた。」 ということに他なりません。 それから黄檗禅師の 「祖師ダルマは西方から来られて、一切の人間はそのままそっくり仏であると直示なされた。 そのことをいま君は知らずに、凡心に拘われ聖心にかかずらって、おのれの外を駆けずり廻り、あいも変らず心を見失っている。 だからこそ、そういう君に対して、〈心そのものが仏だ〉と説かれたわけだ。ちらりとでも妄心が起これば、たちまち地獄に落ちることになる。」 という『伝心法要』の言葉も紹介しました。 原文には「一切の人は全体是れ仏なり」とあります。 心だけとり出すわけにはゆきません。 この体も含めて全体まるごとが仏だと示されているのです。 そのことを実感するためにもこの体をしっかりと自覚して、この体まるごとが仏だと体感することが大事であります。 禅塾での体操も単に坐禅の為というよりも、足で地面を踏んで立っている、この体まるごと仏である自覚になって欲しいという願いを持っています。     臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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第1254回「坐禅と戒の本質」

戒定慧の三学が仏道修行の根本であります。 戒によってまず五戒などの戒や生活規律を身につけます。 それによって禅定・三昧の境地を深めます。 ついで、真理の観察を通して智慧を体得するというのが修行なのであります。 禅宗の修行は、この禅定を修めることが中心となりますが、その土台はやはり戒なのであります。 先日夏期講座では、午後からイス坐禅の時間を設けてもらいました。 このところ、イス坐禅を体験したいという方が増えているからであります。 有り難いことに都内のイス坐禅の会は、すぐに満席となってしまうようなのです。 都内のイス坐禅は、三十名と限定していますが、夏期講座のあとのイス坐禅は百名を越える大勢となりました。 これほど大勢の方にイス坐禅を伝えるのは初めてでありました。 イス坐禅については、昨年から研究し試行錯誤を繰り返して、次の四つに集約しています。 一、首と肩の調整 二、足の裏、足で踏む感覚 三、呼吸筋を調整 四、腰を立てる の四つなのであります。 一の首と肩の調整というのは、今の人は私も含めてデスクワークが多く、またスマートフォンなどを見る時間も多いので、どうしても首が前に出てしまい、肩も巻き肩になりやすい傾向があります。 そこで首や肩をほぐして、ただしい位置にすえるのです。 首の位置一つで、坐禅は全然変わってきます。 それから腰を立てるには、なんといっても足で地面を踏みしめて押す力が大事であります。 足から立ち上がるようにしないで、無理に腰を入れようとすると、腰に負担がかかってしまったりします。 足で地面を踏んでいる感覚をつかんでもらうようにしています。 呼吸筋については、単に呼吸を見つめましょうと言ってもなかなか実感しにくいものです。 そこで肺を上下、左右、前後に広げるように意識する運動を取り入れています。 そして最後に腰を立てるのです。 特に首肩をほぐすにはある程度の時間が必要であります。 タオルなども使いながら、肩周りをほぐしてゆきます。 足の裏は、テニスボールやゴルフボールを使って、足で押すようにして刺激を与えます。 足の裏の感覚を取り戻してもらうだけでも体は大きく変化します。 そんな講座を行っていました。 百名もいらっしゃると、後の方に伝わるのかとハラハラしながら行いました。 私からよく見えるところで、その日の講師であった小川隆先生が、受講してくださっていました。 まことに恐縮したものであります。 ひととおりのワークを行って腰を立てて坐りました。 ふと小川先生のお坐りになっている姿勢が目に入りました。 それが実に堂々たる坐り方でありました。 私は内心やはりさすがだなと思っていました。 いつも小川先生は、ご自分ことを「禅の修行もしたこともない」とご謙遜なされますが、高校時代には岡山の曹源寺の坐禅会に通われていたのです。 腰がスッと立っていて素晴らしい坐相だと拝見していました。 夏期講座のあとにも小川先生からは、「全身に血が流れはじめているような感じがし、手足が温かく、足の裏がしっかり大地を捉えているような感じ」がされたという感想をいただきました。 有り難くうれしく思ったのでした。 そしてイス坐禅は、大勢の方で行ってもできると分かりました。 更にそのあと、三日経った頃に、小川先生からは、「特に左右の足の裏の存在を思い出したというのが最もはっきりした実感で、歩いている時も足の裏が床を踏みしめているのを感じますし、特に机に向かっている時に、左右の足の裏と尾骨の三角形で上体を支えているような安定感を覚え、頭が軽くなったような感じがしております。」 というお言葉をいただきました。 左右の足の裏と尾骨で上体を支えるというのはイスに坐った時の良い姿勢であります。 大事な要点をつかんでくださってうれしくなりました。 そして更に小川先生からは、 「講習の後、ふと思い出したのですが、たしか『夢十夜』に、木を彫って仏像の形にするのでなく、木の中にもともと埋まっている仏の形を掘り出すのだという話があったかと思います。 私は坐禅というものを、歪んだ体を矯めて正しい型のなかに力ずくで押し込む行のようにイメージしていたのですが、先日の講習の際は、ご指示に従って体をほぐし呼吸を整えていくうちに、もともと体の中に埋もれていた坐禅の形が自然に表に出てきたような感じがいたしました。」 というお言葉をいただきました。 「体をほぐし呼吸を整えていくうちに、もともと体の中に埋もれていた坐禅の形が自然に表に出てきた」とは見事な表現であります。 これこそが、私が目指しているイス坐禅の本質なのだと思いました。 私などもそんな感じがするのですが、このように明確に言葉に表すことができないのです。 多くは無理矢理型にはめ込んで辛抱している坐禅になっているのではないかと反省します。 唐代の禅僧たちは、一問一答によって、坐禅の本質に目覚めたのだと思います。 更に驚いたのは、小川先生は、 「石頭禅師の説く「自性清浄、之を戒体と謂う」という言葉や、薬山禅師の「大丈夫、当に法を離れて自ら淨かるべし」という語が腑に落ちた気がした」というのです。 坐禅の本質から更に戒の本質まで感じ取ってくださったのでした。 「有相の戒を否定するけれども、決して捨戒や破戒には進まず、外からの規制によらない自身を根拠とした清浄を説く、という論理」が、先日のイス坐禅の体験と、6月4日に公開した管長日記の内容が結びついて、石頭禅師や薬山禅師の言葉の裏にある実感に少し触れられたというのであります。 薬山禅師については、小川先生の『禅僧たちの生涯』には次の言葉が引かれています。 現代語訳を引用します。 「大の男たるもの、法に頼らず、己れ自身で清浄でおられねばならぬ。どうして、衣の上でコセコセと、細かな作法に憂き身をやつしておれようか!」 かくて、ただちに石頭大師に参じ、綿密に奥深い真実を悟ったのであった。」 「大の男たるもの、法に頼らず、己れ自身で清浄でおられねばならぬ。」というところの原文が、「大丈夫、当に法を離れて自ら浄かるべし」という言葉です。 「外在的な法の助けなど借りずに自分自身を拠りどころとして清浄でいられなければならぬ。どうして法衣の上でのコセコセとした細かな作法を、己が務めとしておられようか」というのであります。 小川先生は、イスの坐禅によって坐禅の本質を体験され、『禅僧たちの生涯』に書かれている、「『戒体』は外から授かるものではなく、清浄なる自己の本性・仏性こそがもともと我が身に具わっている真の『戒体』にほかならない」ことを実感されたのでした。 イス坐禅の功徳は大きいものです。 白隠禅師も説かれていますが、一坐の功は大きいと改めて思いました。     臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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第1246回「無事の人」

岩波文庫の『臨済録』は、ただいま入矢義高先生の訳注でありますが、もとは朝比奈宗源老師の訳注でございました。 先代の管長であった足立大進老師が、この現代語訳を担当されたとうかがっています。 『臨済録』の示衆のはじめの方にある臨済禅師のお説法を朝比奈宗源老師の訳で拝読してみます。 「そこで師は言った。 今日、仏法を修行する者は、なによりも先ず真正の見解を求めることが肝要である。 もし真正の見解が手に入れば、もはや生死に迷うこともなく、死ぬも生きるも自由である。 偉そうにする気などなくとも、自然にすべてが尊くなる。 修行者よ、古からの祖師たちには、それぞれ学徒を自由の境地に導く実力があった。 わしがお前たちに心得てもらいたいところも、ただ他人の言葉や外境に惑わされないようにということだ。 平常のそのままでよいのだ、自己の思うようにせよ、決してためらうな。 このごろの修行者たちが仏法を会得できない病因がどこにあるかと言えば、信じきれない処にある。 お前たちは信じきれないから、あたふたとうろたえいろいろな外境についてまわり、万境のために自己を見失って自由になれない。 お前たちがもし外に向って求めまわる心を断ち切ることができたなら、そのまま祖師であり仏である。 お前たち、祖師や仏を知りたいと思うか。 お前たちがそこでこの説法を聞いているそいつがそうだ。 ただ、お前たちはこれを信じ切れないために外に向って求める、(そんなことをして) たとえ求め得たとしても、それは文字言句の概念で、活きた祖師の生命ではない。 取り違えてはいけない。お前たち、今ここで、して取れないなら永遠に迷いの世界に輪廻して、愛欲にひかれて畜生道に落ち、驢馬や牛の腹に宿ることになるだろう。 お前たち、わしの見解からすれば、この自己と釈迦と別ではない。 現在、日常のはたらきに何が欠けているか。 六根を通じての自由な働きは、今までに一秒たりとも止まったことはないではないか。 もし、よくこのように徹底することが出来ればこれこそ一生大安心の出来た目出度い人である。」 というものです。 このうちで、「古からの祖師たちには、それぞれ学徒を自由の境地に導く実力があった」というところは、原文は「古よりの先徳の如きは、皆な人を出す底の路有り」となっています。 今日では「人を出す」は、「人にまさる」という意味であることが分かっています。 小川隆先生は、講談社学術文庫の『臨済録のことば 禅の語録を読む』には、「わが道の先人たちには、みな余人に勝るすぐれた路があった」と訳されています。 自己と釈迦とは別ではないことのたしかな証が、六根を通じてのはたらきが何も欠けていないことだというのです。 『宗鏡録』にこんな問答があります。 異見王が波羅提尊者に問いました。 「何をもって仏とするのか」。 尊者は「本性を見るものが仏である」と答えます。 王は「ではあなたは本性を見たのか」と問います。 波羅提尊者は「わたしは仏性を見ました」と答えます。 王は、「では本性はどこにあるか」と問います。 波羅提尊者は、「本性は作用するところにある」と答えました。 王は、「如何なる作用であるのか。いま見えぬではないか」と言います。 波羅提尊者は「いま現に作用しているのを、ご自分でわからないのです」と答えます。 更に波羅提尊者は「作用すれば、八処に現れる」と言います。 それは「母胎にあっては身といい、世に出ては人という。 眼にあっては見るという、耳にあっては聞くという。 鼻にあっては匂いを区別して、口にあってはものを言う。 手にあってはものをつかみ、足にあっては走る。 拡大すると世界を被い、収斂すると微塵に納まる。 わかる者はこれが仏性だと知り、わからぬ者は精魂と呼ぶ」と答えたのでした。 見たり聞いたりするはたらきが仏性だと説かれたのです。 さてこの臨済禅師のお説法を小川先生は分かりやすく次のように要約されています。 一、「人の惑わし」を受けるな、 二、己れの外に「馳求」するな、 三、自分自身を信じ切れ、 四、その自分自身は「祖仏」と別なく、「釈迦」と別なきものである、 五、といっても、何も特別のものではない、それは「祗(まさ)に你、面前に聴法せる底」、すなわち現にこの場でこの説法を聴いている、汝その人のことに外ならない、 六、その汝の身には途切れることなくはたらきつづける「六道の神光」が具わっている、 七、それを如実に看て取る者が、つまり一生「無事」の人なのである。 ということなのです。 盤珪禅師は、今この話を聞いている時に、外で鳥の声が聞えてもちゃんと鳥の声だと聞ける、それは聞こうとしなくても聞けているのであり、それが素晴らしい不生の仏心がみんなに具わっている証拠だと示されました、 明快なことは明快、これ以上明快なことはないほどです。 理解できることもまた理解できます。 しかしながら、これで本当に納得できるかというと、やはり難しいものです。 それにはいろんな修行や回り道が必要なのであります。 多くの事、多事を経験してこそ無事になるのであります。     臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

人間と意識の顛倒夢想、戦争でお金儲けしたい人も読んでほしい記事

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中島啓勝『ておくれの現代社会論:〇〇と□□ロジー』

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岩川ありさ「養生する言葉〜アンラーンの練習 学びほぐすことと学び返すこと」/西平直『稽古の思想』/東浩紀『訂正可能性の哲学』/大江健三郎『定義集』/鶴見俊輔『新しい風土記へ 』

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酒井隆史インタビュー「「だれがみずから自由を手放すだろうか」──2010年代と現在をめぐって」/『賢人と奴隷とバカ』

☆mediopos3480  2024.5.28 酒井隆史『賢人と奴隷とバカ』については mediopos-3115(2023.5.29) およびmediopos3281(2023.11.11)で とりあげているが 今回は「以文社」のサイトに掲載されている 酒井隆史へのインタビュー 「だれがみずから自由を手放すだろうか」  ──2010年代と現在をめぐって」から 『賢人と奴隷とバカ』についてあらためて 賢人きどりの知識人の多くは「バカ」が嫌いで 賢人になりたい奴隷の多

「在る」について

あまり日常的ではないとはいえ、「実在」だとか「実体」だとかいう言葉がよく使われます。たとえば幽霊は「実在」するのか、とか、魂は「実体」としてあるのか、とか……。 そういうオカルト的な話はともかくとして、「実在」や「実体」というからには、それは変化をしないもの、ただ「在る」ものというふうにしか言うことはできません。 人間にしろ、他の生物にしろ、必ず生まれては死んでいくということになっています。生まれては死んでいくというのは変化ですから、ということは人間や生物は実在でも実体でも

「十界」について②

前回、十界のうち「六道」について書きました。 続いて仏道について書いていきます。 「声聞・縁覚・菩薩・仏」の仏道 「声聞・縁覚・菩薩・仏」が仏道と呼ばれます。仏道は輪廻する六道そのものから解脱する道ですから、三悪道(地獄・餓鬼・畜生)にも三善道(修羅・人間・天上)にもとらわれない智慧を養う道です。 ちなみに、スピリチュアルの世界における「引き寄せの法則」は波動を上げて下位の天上界の喜びを目指すものなので、解脱を目指す仏道とは関係ありません。巷にあふれるポジティブシンキ