星 飛雄馬

著述、翻訳、編集の仕事をしております。主な著書に『「知」への英単語』(テイエス企画)、…

星 飛雄馬

著述、翻訳、編集の仕事をしております。主な著書に『「知」への英単語』(テイエス企画)、訳書に『手放す生き方』(サンガ)などがあります。 現在、大変困窮しておりますので、こちらのリストからご喜捨いただけますと、とても助かります→https://onl.bz/SMSQ9Tm

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    アチャン・チャーの法話集『Living Dhamma』の日本語訳です。

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    アチャン・チャーの法話集『Bodhinyana』の日本語訳です。

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    ジャック・コーンフィールドの著書『Modern Buddhist Masters』の日本語訳です。

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    アチャン・チャーの法話集『Our Real Home』の日本語訳です。

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こちらの記事 にもありますように、このnoteは、 「裕福な方でも、貧しい方でも、誰でも平等に仏教の法話に触れられるように」 というコンセプトのもと、全文無料で公開させていただいております。 そして、その運営にあたっては、読者の皆様の善意のお布施(ご寄付)によって成り立っています。 これまで、サポートの方法としては、 ・note下部の「記事をサポート」ボタンからのサポート ・amazonギフト券によるサポート という2つの方法がありましたが、 ・no

    • 四聖諦 ⑧

      アチャン・チャー  仏教では、あらゆる現象は無常であるとされます。もし、あなたが、その無常という自然の法則に抗い、何かを永続させようとすれば、苦しむことになります。人生の中で、無常に直面するたびに、あなたは失望することになるのです。無常を受け入れる人は、心に葛藤を抱くことはなく、いつも安らいでいます。反対に、物事が変化しないことを望む人は、常に葛藤を抱き、眠れない夜を過ごすことになるでしょう。無常を理解しないことは、大変危険なことなのです。  では、ダンマを理解するには

      • 四聖諦 ⑦

        アチャン・チャー  ブッダは、何があっても、 「これは『私』ではない」 「これは『私のもの』ではない」 と観察することこそが、苦しみを超越するための最高の修行法であると説きました。けれども、私たちは普段、こうしたことを実践しません。苦しみが生じても、私たちはそこから何も学ばず、ただ泣くのみです。私たちに必要なのは、泣くことではなく、現象を正しく観察し、知る者を自らの内に育てることなのです。  皆さんの中には、こうした話がダンマの教えであることを知らない人もいるかもしれま

        • 四聖諦 ⑥

          アチャン・チャー  今日、一人の女性がお寺にやって来て、怒りへの対処法について、私に質問をしました。そこで、私は彼女に、 「今度怒ったら、目覚まし時計をセットして、目の前に置きなさい。そして、怒りが消えるまで二時間待ってみなさい」 と言いました。もし、私たちが自分の感情を思うようにコントロールできるのなら、怒りに対して、 「二時間以内に消えろ!」 と命令することもできます。しかし、私たちの感情というものはコントロール不能なものですから、そうした命令は不可能です。結局、怒りは

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        • A Taste of Freedom
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        記事

          四聖諦 ⑤

          アチャン・チャー  ダンマを学ぶとは、苦しみが生じないようにするために、現象の真の姿を理解することです。もし、間違った考え方をするのなら、私たちは自然の法則(ダンマ)と対立することになります。病気に罹り、入院した場合を想像してみてください。大抵の人は、 「死にたくない。病気を治したい」 と考えますよね。でも、それは間違った考えです。そうした考えは、苦しみを生み出すだけです。そうではなく、 「死ぬときは死ぬ。治るときは治る」 と考えるのが、正しい考え(正見)なのです。なぜなら

          四聖諦 ④

          アチャン・チャー 「あらゆる現象は無常である」ということを知らないと、邪見を抱いて生きていくことになります。諸行(あらゆる現象)とは、輪廻の世界のことです。「物事が変わってほしくない」と考えるなら、私たちの人生は苦しみに満ちたものとなります。「この身体は自分自身である」「この身体は私のものである」などと考えるようになると、自分の身体が変化するのを見ることが怖くなります。呼吸を想像してみてください。息を吸ったまま、吐かないでいられますか? 息を吸ったら、必ず吐かなければならな

          四聖諦 ③

          アチャン・チャー  苦しみには、「普通の苦しみ」と「特殊な苦しみ」という、2種類のものがあります。普通の苦しみとは、私たちが立っているとき、座っているとき、横になっているときに感じるもので、私たちが現象の世界に生きている以上、逃れることのできない性質のものです。ブッダでさえ、生きている間は、この法則から逃れることはできませんでした。ブッダもまた、私たちと同様に、時には苦を時には楽を経験しましたが、彼はこれを自然の法則として受け入れていました。そして、楽や苦というものをただ受

          四聖諦 ②

          アチャン・チャー  今日、私が皆さんに紹介する教えは、今生において、今、この瞬間に問題を解決するためのものです。世間の人々は、 「仕事が忙しいから、仏教の修行なんてする時間は無い」 と言います。そんな時、私は彼らにこう尋ねます。 「おまえさんは忙しすぎて、仕事中に呼吸もしないのかい?」 すると彼らは、 「そんなわけないじゃないですか。もちろん、仕事中も呼吸をしていますよ」 と答えます。そこで私は 「仕事が忙しいのに、なぜ呼吸をする時間の余裕はあるのかね?」 と聞きます。彼ら

          四聖諦 ①

          アチャン・チャー ●この法話は、1977年、イギリスのカンブリア州にある、マンジュシュリー協会で語られたものです。  今日はこの協会の会長に招かれ、皆さんにお話をすることになりました。どうかご清聴いただければ幸いです。言葉の壁がありますので、通訳を通して皆さんにお話をすることになります。そのため、話を理解するには少々集中力が必要かもしれませんが、どうかご容赦いただければと思います。  この場所での滞在は、とても快適でした。この協会の会長も、会員の皆さんも、真のダンマ

          私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか?(全訳)

          アチャン・チャー  今年の雨安居では、私はあまり体調がすぐれず、元気がありません。そこで、新鮮な空気を吸いに、この山の寺へとやってきました。私に面会を求める人々は絶えませんが、以前のように対応することはできません。声もかすれますし、話すとすぐに息が上がってしまいますので。こうして皆さんに会えるということ自体、有り難いことだと思っています。すぐに、皆さんとももうお会いできなくなることでしょう。私の呼吸が止まり、誰とも話せなくなる日もそう遠い日のことではありません。あらゆる現象

          私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか?(全訳)

          私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ⑰

          アチャン・チャー  二人とも 「こんな生活は、もううんざりだ」 と言っていましたが、それは自分をごまかしているだけです。クティの中で一人静かに座っていると、やがてこんな思いが心に浮かんできます。 「いつになったら、女房(旦那)は自分のことを心配して、迎えに来てくれるんだろう?」 二人は相手もお寺にいることを知りません。一体なぜ、彼らは日常生活に「うんざりだ」と感じたのでしょうか? 彼らは二人とも、相手に腹を立ててお寺にやって来ました。家にいるときは、夫(妻)のやることなすこ

          私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ⑰

          私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ⑯

          アチャン・チャー  また、家庭( household )の「 house 」という単語には、「人を悩ませるもの」という意味があります。皆さんは、唐辛子を焼いたことがありますか? 唐辛子を焼くと、煙が出て、家中の人々がくしゃみをします。この唐辛子と同様に、家庭( household )は私たちの人生に悩みと混乱をもたらすものです。それには、価値はありません。この家庭( household )という言葉を知っていたため、私は出家することができたし、還俗することもありませんでした

          私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ⑯

          私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ⑮

          アチャン・チャー  私はこれまでの人生で、一度も家庭を持ったことはありません。何故だか分かりますか? ここで、家庭( household )という言葉について、改めて考えてみましょう。*1 私は若い頃、この家庭( household )という概念を知ったとき、その正体に気づいたのです。「 household 」の本質とは何でしょうか? それは「拘束( hold )」です。今、法話を聴いている皆さんのところに誰かがやってきて、縄で縛り上げたらどう思いますか? それが「拘束さ

          私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ⑮

          私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ⑭

          アチャン・チャー  タイでは昔、誰かが臨終になったら、家族がそばに寄って、耳元で「ブッドー ブッドー」と唱えるようにと言われていました。ですが、そんなことをして、一体何になるのでしょうか? 今、まさに火葬されそうな状態の人に対して「ブッドー」と唱えることによって、何が変わるというのでしょうか。そんなことをするくらいなら、なぜ若くて健康なときにブッドーと唱えること(仏随念)を実践しなかったのでしょうか? 呼吸が乱れた病人の耳元で、世間の人々は言うのです。 「お母さん、聞こえる

          私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ⑭

          私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ⑬

          アチャン・チャー  そんなに身体のあちこちにガタがきても、彼らは自らの身体がもたらす苦しみを観察しようとはしません。ですが、私たちは、自分がいつ死ぬのか分からないのです。年を取るにつれ、身体のあちこちにガタがくるのは、自然な現象です。世間の人々は、そうした現象に関節炎、リウマチ、痛風などと名前をつけ、医者は治療に取り組みますが、完全に治ることはありません。医者でさえ、年を取れば身体はガタガタになってしまうのですよ! 誰であれ、年を取れば身体はガタガタになるというのは、自然の

          私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ⑬

          私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ⑫

          アチャン・チャー  ですから、修行をするのなら、若いうちに始めるのがよいのです。「仏道を実践するのは、年を取ってからでいい」などと考えずに、思い立ったら今すぐ、実践を始めるべきです。世間のほとんどの人々は、「ダンマを学ぶのは、年寄りになってからでいい」と考えています。男性でも女性でも、その意見には変わりはありません。私は彼らがなぜそんなことを考えるのか、理解できません。年を取れば、若い頃より体力が低下するのは、間違いないのですから。若者と年寄りが徒競走をして、年寄りが勝ちま

          私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ⑫