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私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ⑯

アチャン・チャー

 また、家庭( household )の「 house 」という単語には、「人を悩ませるもの」という意味があります。皆さんは、唐辛子を焼いたことがありますか? 唐辛子を焼くと、煙が出て、家中の人々がくしゃみをします。この唐辛子と同様に、家庭( household )は私たちの人生に悩みと混乱をもたらすものです。それには、価値はありません。この家庭( household )という言葉を知っていたため、私は出家することができたし、還俗することもありませんでした。私にとって、「家庭( household )」は恐ろしいものです。一旦家庭を持てば、身動きができなくなり、そこから逃げられなくなります。子ども、家計、その他諸々の問題が、私たちに降りかかってきます。そんな生活のどこに自由がありますか? 家庭を持てば、それに確実に縛り付けられるのです。子どもがいれば、彼らとは死ぬまで喧嘩が絶えないことでしょう。しかも、家族ですから、簡単に縁を切ることもできないのです。情けなくて涙が出てきます。ですが、家庭( household )を持っている限り、あなたの涙が止まることはありません。悔し涙から解放されるのは、家庭を持たない場合のみです。
 
 この現実を、よく見つめてみてください。まだ、家庭の恐ろしさについて、それほど自覚していない方もいるかもしれません。その一方で、もう大分気づいている方もいることでしょう。家族を捨てて出家をするか、それともこのまま家族と留まるか悩んでいる方もいるかもしれません。現在、ワット・パー・ポンには、70から80程度のクティ(比丘が瞑想修行をする小屋)があります。クティがほぼ満室になると、私はクティの管理担当の比丘に、誰か夫婦喧嘩をした人が、出家をしたいとお寺に駆け込んでくるかもしれないから、何室か空き室を確保しておくようにと指示をします。すると案の定、しばらくすると一人の婦人がお寺に駆け込んできます。
「ルアンポー、もうこんな世の中、うんざりです」
私は答えます。
「まぁまぁ、そんなこと言わないで。本当に心の底からそう思っているのかい?」
そうして話していると、今度は彼女の夫がお寺にやって来て、こう言います。
「ルアンポー、私だって、うんざりなんですよ!」
こんな調子の彼らですが、2、3日ワット・パー・ポンに滞在していると、当初のうんざりした感情は消えていきます。

アチャン・チャー『Living Dhamma』より
 
"Living Dhamma", by Venerable Ajahn Chah, translated from the Thai by The Sangha, Wat Pah Nanachat. Access to Insight (BCBS Edition), 30 November 2013, http://www.accesstoinsight.org/lib/thai/chah/living.html .
 

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