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私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ⑮

アチャン・チャー

 私はこれまでの人生で、一度も家庭を持ったことはありません。何故だか分かりますか? ここで、家庭( household )という言葉について、改めて考えてみましょう。*1  私は若い頃、この家庭( household )という概念を知ったとき、その正体に気づいたのです。「 household 」の本質とは何でしょうか? それは「拘束( hold )」です。今、法話を聴いている皆さんのところに誰かがやってきて、縄で縛り上げたらどう思いますか? それが「拘束される( being held )」ということです。「拘束される( being held )」ことは、自由を失うことを意味します。世間の人々は、男であろうと、女であろうと、「拘束された( being held )」、自由の無い人生を生きているのです。
 
 私は初めて家庭( household )という言葉を知ったとき、ひどく暗い気持ちになりました。家庭( household )を持つということは、自分にとって些細なことではなく、命に係わることだと思ったのです。「拘束( hold )」という言葉は、苦しみドゥッカの象徴です。一旦拘束( hold )されれば、私たちはその後ずっと、自由を失うのです。
 
【注】
*1 タイ語では家族は「 khrop khrua 」と呼ばれ、直訳すると、「かまどの火」といった意味になる。この英訳版では、タイ語の直訳を試みるのではなく、内容に対応する英単語として「 household 」という表現を採用した。

アチャン・チャー『Living Dhamma』より
 
"Living Dhamma", by Venerable Ajahn Chah, translated from the Thai by The Sangha, Wat Pah Nanachat. Access to Insight (BCBS Edition), 30 November 2013, http://www.accesstoinsight.org/lib/thai/chah/living.html .
 

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