星 飛雄馬
アチャン・チャーの法話集『Living Dhamma』の日本語訳です。
法話集以外の記事を集めました。
アチャン・チャーの法話集『Bodhinyana』の日本語訳です。
ジャック・コーンフィールドの著書『Modern Buddhist Masters』の日本語訳です。
アチャン・チャーの法話集『Our Real Home』の日本語訳です。
こちらの記事 にもありますように、このnoteは、 「裕福な方でも、貧しい方でも、誰でも平等に仏教の法話に触れられるように」 というコンセプトのもと、全文無料で公…
アチャン・チャー 今年の雨安居では、私はあまり体調がすぐれず、元気がありません。そこで、新鮮な空気を吸いに、この山の寺へとやってきました。私に面会を求める人々…
アチャン・チャー 二人とも 「こんな生活は、もううんざりだ」 と言っていましたが、それは自分をごまかしているだけです。クティの中で一人静かに座っていると、やがて…
アチャン・チャー また、家庭( household )の「 house 」という単語には、「人を悩ませるもの」という意味があります。皆さんは、唐辛子を焼いたことがありますか? …
アチャン・チャー 私はこれまでの人生で、一度も家庭を持ったことはありません。何故だか分かりますか? ここで、家庭( household )という言葉について、改めて考え…
アチャン・チャー タイでは昔、誰かが臨終になったら、家族がそばに寄って、耳元で「ブッドー ブッドー」と唱えるようにと言われていました。ですが、そんなことをして…
アチャン・チャー そんなに身体のあちこちにガタがきても、彼らは自らの身体がもたらす苦しみを観察しようとはしません。ですが、私たちは、自分がいつ死ぬのか分からな…
アチャン・チャー ですから、修行をするのなら、若いうちに始めるのがよいのです。「仏道を実践するのは、年を取ってからでいい」などと考えずに、思い立ったら今すぐ、…
アチャン・チャー 皆さんも、いつの日か私のような経験をすることがあるかもしれません。もし、あなたの歯が健康で、毎日きちんと歯磨きをしているならご用心を! そこ…
アチャン・チャー 未来に生じるであろう苦しみを、私たちは予想することはありません。そんなことは起こらないだろうと思い込んでいるのです。そうしてそれが起こって初…
アチャン・チャー 若い頃、独身でいると何かと肩身が狭いものです。ですから、若い人は何とか結婚相手を見つけようと奮闘します。それで、実際に結婚をしたらどうなりま…
アチャン・チャー もし、私たちに智慧がなければ、自分の周囲にあるものは、すべて苦しみの源となります。ですが、もし私たちに智慧があれば、自分の周囲にあるものは、…
アチャン・チャー そのためにも、出家者、在家者を問わず、今日ここにいる皆さんは、 「私は誰なのか? なぜ、私たちはこの世界に生まれてきたのか?」 ということを自…
アチャン・チャー ブッダは私たちに、真の拠り所(帰依所)を見つけるようにと説きました。私たちの真の拠り所(帰依所)とは、本来の心です。本来の心は、私たちにとっ…
アチャン・チャー 世間の人々は、髪や爪、歯、肌といったものに、本当に執着しています。ブッダはこの5つのものを基本的な瞑想の対象と定め、よく観察するようにと説き…
アチャン・チャー この話から、世間の人々が、いかに自分というものを理解していないかが分かります。何と哀れなことでしょう! 彼らは自分自身を見つめず、いつも外ば…
2024年6月11日 12:48
こちらの記事にもありますように、このnoteは、 「裕福な方でも、貧しい方でも、誰でも平等に仏教の法話に触れられるように」 というコンセプトのもと、全文無料で公開させていただいております。 そして、その運営にあたっては、読者の皆様の善意のお布施(ご寄付)によって成り立っています。 これまで、サポートの方法としては、・note下部の「記事をサポート」ボタンからのサポート・am
2024年7月21日 11:08
アチャン・チャー 今年の雨安居では、私はあまり体調がすぐれず、元気がありません。そこで、新鮮な空気を吸いに、この山の寺へとやってきました。私に面会を求める人々は絶えませんが、以前のように対応することはできません。声もかすれますし、話すとすぐに息が上がってしまいますので。こうして皆さんに会えるということ自体、有り難いことだと思っています。すぐに、皆さんとももうお会いできなくなることでしょう。私の
2024年7月14日 11:15
アチャン・チャー 二人とも「こんな生活は、もううんざりだ」と言っていましたが、それは自分をごまかしているだけです。クティの中で一人静かに座っていると、やがてこんな思いが心に浮かんできます。「いつになったら、女房(旦那)は自分のことを心配して、迎えに来てくれるんだろう?」二人は相手もお寺にいることを知りません。一体なぜ、彼らは日常生活に「うんざりだ」と感じたのでしょうか? 彼らは二人とも
2024年7月7日 11:21
アチャン・チャー また、家庭( household )の「 house 」という単語には、「人を悩ませるもの」という意味があります。皆さんは、唐辛子を焼いたことがありますか? 唐辛子を焼くと、煙が出て、家中の人々がくしゃみをします。この唐辛子と同様に、家庭( household )は私たちの人生に悩みと混乱をもたらすものです。それには、価値はありません。この家庭( household )という
2024年6月30日 11:13
アチャン・チャー 私はこれまでの人生で、一度も家庭を持ったことはありません。何故だか分かりますか? ここで、家庭( household )という言葉について、改めて考えてみましょう。*1 私は若い頃、この家庭( household )という概念を知ったとき、その正体に気づいたのです。「 household 」の本質とは何でしょうか? それは「拘束( hold )」です。今、法話を聴いている皆
2024年6月23日 11:19
アチャン・チャー タイでは昔、誰かが臨終になったら、家族がそばに寄って、耳元で「ブッドー ブッドー」と唱えるようにと言われていました。ですが、そんなことをして、一体何になるのでしょうか? 今、まさに火葬されそうな状態の人に対して「ブッドー」と唱えることによって、何が変わるというのでしょうか。そんなことをするくらいなら、なぜ若くて健康なときにブッドーと唱えること(仏随念)を実践しなかったのでしょ
2024年6月17日 21:04
アチャン・チャー そんなに身体のあちこちにガタがきても、彼らは自らの身体がもたらす苦しみを観察しようとはしません。ですが、私たちは、自分がいつ死ぬのか分からないのです。年を取るにつれ、身体のあちこちにガタがくるのは、自然な現象です。世間の人々は、そうした現象に関節炎、リウマチ、痛風などと名前をつけ、医者は治療に取り組みますが、完全に治ることはありません。医者でさえ、年を取れば身体はガタガタにな
2024年6月10日 14:16
アチャン・チャー ですから、修行をするのなら、若いうちに始めるのがよいのです。「仏道を実践するのは、年を取ってからでいい」などと考えずに、思い立ったら今すぐ、実践を始めるべきです。世間のほとんどの人々は、「ダンマを学ぶのは、年寄りになってからでいい」と考えています。男性でも女性でも、その意見には変わりはありません。私は彼らがなぜそんなことを考えるのか、理解できません。年を取れば、若い頃より体力
2024年6月3日 15:31
アチャン・チャー 皆さんも、いつの日か私のような経験をすることがあるかもしれません。もし、あなたの歯が健康で、毎日きちんと歯磨きをしているならご用心を! そこまで注意をしていても、歯が悪くなることはあるのですから。 なぜ私がこのように自分の体験談を話したのかというと、皆さんに苦しみというものは、自らの身体から生じるものだということを、知っておいて欲しかったからなのです。私たちの身体とは、
2024年5月27日 13:46
アチャン・チャー 未来に生じるであろう苦しみを、私たちは予想することはありません。そんなことは起こらないだろうと思い込んでいるのです。そうしてそれが起こって初めて、苦しみとはあらかじめ予見できないものであると、理解するのです。私は子どもの頃、水牛の世話をする傍ら、よく炭を歯磨き粉の代わりにして、歯を磨いていました。家に帰って鏡を見ると、歯は真っ白です。自分の歯はきれいなんだな、と子ども心に思っ
2024年5月20日 16:49
アチャン・チャー 若い頃、独身でいると何かと肩身が狭いものです。ですから、若い人は何とか結婚相手を見つけようと奮闘します。それで、実際に結婚をしたらどうなりますか? 夫婦喧嘩の勃発です! 独りで生活していると寂しさを感じますが、かと言って他人と一緒に生活をすれば、毎日が喧嘩なのです。 子どもが小さい頃、親は「子どもが大きくなれば、もう少し暮らしも楽になるだろう」と考えます。そして、成
2024年5月14日 11:34
アチャン・チャー もし、私たちに智慧がなければ、自分の周囲にあるものは、すべて苦しみの源となります。ですが、もし私たちに智慧があれば、自分の周囲にあるものは、すべて苦しみから脱出するためのきっかけを与えてくれるものになります。私たちには、眼、耳、鼻、舌、身、意の六根が備わっています。ですが、目が見えるということは、必ずしもいいことばかりではありません。機嫌が悪ければ、他人を見ただけで腹が立ち、
2024年5月6日 11:00
アチャン・チャー そのためにも、出家者、在家者を問わず、今日ここにいる皆さんは、「私は誰なのか? なぜ、私たちはこの世界に生まれてきたのか?」ということを自分に問うてみてほしいのです。答えられない人もいるでしょう。そうした人々は、幸せになりたいと願っても、決して苦しみが尽きることはありません。金持ちであろうと、貧乏人であろうと、若かろうが年寄りだろうが、皆、苦しんでいることに変わりはありま
2024年4月30日 16:42
アチャン・チャー ブッダは私たちに、真の拠り所(帰依所)を見つけるようにと説きました。私たちの真の拠り所(帰依所)とは、本来の心です。本来の心は、私たちにとって非常に重要なものです。ですが、世間の人々というものは、こうした重要なことには目を向けず、重要ではないものに、人生のほとんどの時間を費やしています。家を掃除するときのことを、考えてみてください。私たちは、自分の部屋を片付けたり、お皿を洗う
2024年4月23日 11:12
アチャン・チャー 世間の人々は、髪や爪、歯、肌といったものに、本当に執着しています。ブッダはこの5つのものを基本的な瞑想の対象と定め、よく観察するようにと説きました。しっかりと観察してみると、それらが無常で、不完全で、所有者がいないものであることが、よく分かります。この5つのものは、「私のもの」でも「誰かのもの」でもありません。私たちは、生まれたときからこうしたものに惑わされていますが、実はそ
2024年4月16日 11:16
アチャン・チャー この話から、世間の人々が、いかに自分というものを理解していないかが分かります。何と哀れなことでしょう! 彼らは自分自身を見つめず、いつも外ばかり見ています。森の木や他人の姿を見て、「これは大きい」「あれは小さい」「これは長い」「あれは短い」などと語り合っています。彼らは自分の外部にあるものを見るのに夢中で、自分自身を観察しません。率直に言って、世間の人々というのは、本当に哀れ