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私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ⑦

アチャン・チャー

 そのためにも、出家者、在家者を問わず、今日ここにいる皆さんは、
「私は誰なのか? なぜ、私たちはこの世界に生まれてきたのか?」
ということを自分に問うてみてほしいのです。答えられない人もいるでしょう。そうした人々は、幸せになりたいと願っても、決して苦しみドゥッカが尽きることはありません。金持ちであろうと、貧乏人であろうと、若かろうが年寄りだろうが、皆、苦しんでドゥッカいることに変わりはありません。彼らにとって、この世界のあらゆるものが苦しみドゥッカなのです。なぜでしょうか? 彼らには、智慧パンニャがないからです。貧しい人が不幸なのは、生活を維持するために必要な収入が足りないからです。金持ちが不幸なのは、生活を維持するために気を配らなければならないことが多すぎるからです。
 
 私はかつて沙弥だった頃、「財産や使用人を持つことは幸福か?」というテーマで法話をしたことがあります。私は聴衆に、
「もし、皆さんが男と女の使用人を100人ずつ、それに象、牛、水牛を100頭ずつ持っていたとしたら、どうしますか?」
と尋ねました。在家の聴衆は単純に、「羨ましい!」とばかりに興奮していました。ですが、皆さんは100頭もの水牛の世話をする苦労を想像できますか? あるいは、100人もの男女の使用人を管理する気苦労を想像できますか? そんな雑事に追われる人生は、果たして幸せなのでしょうか? 世間の人々は、物事の一面しか見ようとしません。彼らには、牛や使用人を何百頭と所有したいという欲望があります。ですが、私は50頭の水牛を所有することでさえ、多すぎだと思います。水牛50頭分の縄を準備するだけで、大変な労力です! しかし、世間の人々はそうした負の面を考慮せず、物を手に入れる喜びだけに目を向けます。物事を真剣に考えていないのです。

アチャン・チャー『Living Dhamma』より
 
"Living Dhamma", by Venerable Ajahn Chah, translated from the Thai by The Sangha, Wat Pah Nanachat. Access to Insight (BCBS Edition), 30 November 2013, http://www.accesstoinsight.org/lib/thai/chah/living.html .
 


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