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シン・現代詩レッスン42

百人一詩つづき




21 柿本人麻呂「泣血哀慟歌」

柿本人麻呂は和歌の人で詩ではないと思うかもしれないが、和歌は長歌と短歌があり、人麻呂は宮廷歌人としての吟遊詩人だったのだ。「泣血哀慟歌」は亡き妻(現地妻だが)を追想する挽歌となっている。

22 ハン・ガン『引き出しに夕方をしまっておいた』から「六月」

ハン・ガンは日本では小説家として有名だが、小説を書く前は詩人としての出発だった。韓国はいまでも詩はよく読まれているので詩人から出発する作家も多いのだ。夕日の歌は和歌でも短歌でもよく歌われるので、そのへんで興味深いのかもしれない。またカレンダー月をテーマに読むのも歌人っぽい(詩人も多いな。エリオットとか)。

23 尹東柱「たやすく書かれた詩」

尹東柱が最近注目されたのは境界の詩人だったからか?満州生まれの朝鮮族の朝鮮人であり、日本留学時代に殺されている。

24 谷川俊太郎「生きる」

谷川俊太郎は、口承性よりも文字化の流れの現代詩の中で口承性を売りにしている詩人だと思う。言葉遊びの世界だが即興性と詩的な響き合いか?

やっぱ歌なんだと思う。相田みつをとの違いを考えてみたら相田みつをはその色紙の文字を含めての詩だが口承するような詩ではないということだろう。恥ずかしさを伴うのだ(それを伴わない人もいるだろうけど)。

また谷川俊太郎も文字化されると現代詩からは遠ざかるような気がする。デザインとか美術的になるのかな。それも現代詩と言えばそうなんだけど。

25 吉野弘「たそがれ」

吉野弘は詩のエッセイが良かったので好きになった詩人である。寺山修司には批判されているが。

26 「自信がぐらついた場合」

エーリッヒ・ケストナー『人生処方詩集』は、民間療法的な科学的知識を元にした思索的な言葉ではなないが、どこか納得させてしまうような詐欺師的な効用があるのかもしれない。それは詩なんて信じられないものには何も響かないのだろうが、そういう詩的言語に触れたことがあるものはなるほどと思う。もともとナチスによって焚書にされた詩だった。その再利用が処方箋になるのだから面白い。毒なる言葉は良薬でもあるかもしれない

27 吉岡実「僧侶」

寺山修司『戦後詩』のベスト詩人として吉岡実が上げられいた。吉岡実は最近よく名前を聞く詩人だった。現代詩なら吉岡実を読めみたいな。

28 堀口大學『月下の一群』

最近詩のアンソロジーをいろいろ読んでいて、やっぱ堀口大學というのは翻訳者なのだけど、多大に後世に影響を与えた人だなと思う。よく翻訳が正確でないという記事を見るが、それは全く文学がわかってない人で、詩というのは言葉に出来ないものを表現する手段であるから、日本語に翻訳する時は言いすぎたり言わなかったりするのである。

アンソロジーは詩を伝えたいという熱意があるかどうかだった。

29 茨木のり子『韓国現代詩選〈新版〉』

茨木のり子のこのアンソロジーも韓国詩を日本に伝えたいという熱意だった。

30 ゲーテ「ファウスト第二部」

「ファウスト」は劇詩ということで詩よりは戯曲なのだが、アリストテレス『詩学』によると悲劇(「ギリシア悲劇」)は詩として論述している。ゲーテのこの戯曲も詩劇として見るならばいろいろ学ぶことも多いだろう。


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