今日は『新訳決定版 ファウスト 第二部』から。悲劇ということなんだがアリストテレス『詩学』では古典悲劇は詩ということだった。
「詩学」で悲劇の重要なものとして、「カタルシス」を上げている。ゲーテ『ファウスト』ではメフィストがファウストを悪の道に誘うところ踏ん張って最後にメフィストの血の契約を反故にして、天使の側に付く。その前段階で四人の女が登場してファウストを誘惑しようとするのだが、それを拒否するのだ。
「カタルシス」でアリストテレスは「魂の三分説」を称えるのだ。「理知的部分」「気概(激情)の部分」「欲望的な部分」。ファウストが悪魔の酩酊から目覚めるのが「理知的部分」、悪魔であるメフィストの感情が「気概(激情)の部分」で女による誘いが「欲望的な部分」だろうか?悲劇は、感情や欲望を刺激する作品で「知性に害毒を与える」という。ここでは「四人の女」だ。
ここでの女のゲーテが考える定義みたいなものが伺えるのかもしれない。「不足」というのは最初の男(人)からの欠如としてのイヴ=リリスというキリスト教的な思考があるのだと思う。「罪」もイヴ=リリスの「罪」は悪魔(蛇)の誘いを断れなかった。「憂い」は男に比べて「憂い」ているのか?「困窮」は男の生活力との違いだろうか?男女格差社会なのである。
ファウストは錬金術のおかげで金持ちの邸宅に住んでいる。そこへメフィストの使いである女たちがやってくる。なんとかして悪魔の契約をファウストに思い出させるのだ。その後に雷と共に怖い兄さん(メフィスト=ルシファー)がやってくるのだ。
ファウストと女たちの対話になるのだが、女は「憂い」が代表するようで、そのあとにファウストの長い独白に成っていく。それはファウストの心変わりで、散文詩(劇の独白)として書かれることになる。散文詩はまだやってないのだが、こんな劇詩の長い独白なのかもしれない。