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シン・現代詩レッスン21

テキストは『万葉集』。今日は長歌(柿本人麻呂)にトライしてみる。挽歌形式をやってみたいのだ。死に対する日本人の感情は挽歌形式にあるのかもしれない。

長歌は五七調(七五調でも)続けて、結末は七七で締める。そして、反歌(死者の呼びかけ)として短歌が詠まれるのだ。今回は実験作ということで古典にチャレンジしてみる。それは『異聞 源氏物語 紫陽花』の巻をとりあえず和歌でやりたいと思ったからだ。

紫陽花はこの時代忌み嫌われていた。それは目立たない花でもあったが、なんとなく鬱陶しい花のように思えたのではないのか?雨の日に咲き乱れ、晴れ間には萎れていく。華麗に散る花ではない。衰弱していくような色あせて枯れてゆく。枯れたまま冬まで残っている紫陽花とかもある。なんとなく未練たらしいのか。そんな紫陽花のネガティブな部分をもののけの怨念として、見立て、その中で怨霊の鎮魂を舞姫(紫陽花)がする。光源氏の気持ちを引き、最後は契を交わすというエロス。「エロスとタナトス」の神話を描いてみたい。『東方綺譚』に「源氏の君の最後の恋」というマグリット・ユルスナールの作品があった。

長歌は対句的に五七調で続けていく。

―柿本朝臣人麿が、妻の死し後、泣血哀慟してよめる歌二首、また短歌

天飛ぶや 輕の路は 我妹子(わぎもこ)が 里にしあれば ねもころに 見まく欲しけど 止まず行かば 人目を多み数多(まね)く行かば 人知りぬべみ さね葛 後も逢はむと大船の 思ひ頼みて かぎろひの 磐垣淵(いはかきふち)のこもりのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れゆくがごと 照る月の 雲隠るごと 沖つ藻の 靡きし妹は もみち葉の 過ぎて去(い)にしと たまづさの 使の言へば 梓弓 音のみ聞きて 言はむすべ 為むすべ知らに 音のみを 聞きてありえねば 吾が恋ふる 千重の一重も 慰むる 心もありやと 我妹子が 止まず出で見し 輕の市に 吾が立ち聞けば 玉たすき 畝傍の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉ほこの 道行く人も 一人だに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名呼びて 袖ぞ振りつる

『万葉集』

天地(あまつち)の 弔いの山 妹子(わぎもこ)が 安らかに 眠りたまわる 天川(あまかわ)の 情念の雨 もののけと 化すこと深き み心は 四葩(よひら)の部屋 漂いけるに 命を燃やし 蛍火の 月の影ぞに 流るる 紫の 灯(ともしび)ともし 守る神 四門のひとつ 聖なるや 神獣となりし 前門は 鳳凰はばたき 後門は 麒麟駆け抜け 荒るる花 咲く夕顔の 風の音 山垣(やまがつ)の 境をこへて 折々に もののけと化す そにおはす もののけも 御息所は 火となりし 応竜の 熱き焔の 呪ひおり 霊亀焼き 殺す葵の 怨念交じり ふたたびや 四葩を灯す ここに白拍子 紫陽花の 舞ひうたふ 鎮魂の 鈴音みだれ うち鳴らす 泣血哀慟の 白装束 朱に染まれ 紫の火は 乙女の裸体 白き肌 袖払う風 情を消し 闇を呼び込み 言霊の 祈りは尽きて 君に倒れ 囁くは愛 紫陽花の 無言の契 光は月 影ありしとも

とりあえず部屋の四隅に神獣を供え、それを鎮魂するという「紫陽花の舞」。精魂尽きて光源氏に倒れ込む紫陽花は、そのまま契を結ぶ。その後に光源氏の短歌になるのだが。

短歌二首(人麻呂)
  秋山の黄葉を茂み惑はせる妹を求めむ山道(やまぢ)知らずも
  もちみ葉の散りぬるなべに玉梓の使を見れば逢ひし日思ほゆ

『万葉集』

光源氏詠める短歌二首
秋山の紅葉に染めし鎮魂の雪山深し道惑ふとも
紫陽花の純白染めし白拍子裳に染まる朱(あか) やがて紫


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