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『悪の華』から『憂鬱と理想』

『悪の華 』ボードレール , 堀口大學 (翻訳)(新潮文庫)

われらが心を占めるのは、われらが肉を苛むは、
暗愚と、過誤と、罪と吝嗇――。
詩人二十歳から四十歳までの162の詩篇を、堀口大學の名訳で。昭和二十八年発行の名著。

 近代生活の憂鬱と絶望、異教的官能とキリスト教的神秘観、頽廃の美と叛逆の情熱を謳って、新しい美の戦慄を創造した「悪の華」は、象徴派詩人のバイブルとなり、“罪の聖書”とも“近代人の神曲”とも呼ばれて、その影響ははかり知れない。ここに描かれる怪奇、極悪、陰惨の世界は、腐肉の燐光のように輝く、息詰まるばかりに妖しい美の人口楽園である。
本書は関連作品を網羅した全訳版。用語、背景などについての詳細な注解、年譜、および作品解説を付す。訳、堀口大學。

ベンヤミンの『ボードレール』を読んで、ボードレールというよりは彼が描いたパリに興味を持ったのだ。それはまだ近代化途上のパリ、下水道が完備されずに汚物の臭いが溢れるが昼間はパサージュに閉じ込められた光溢れる空間だが、その先の路地を入ると街灯(ガス燈)に揺れる夜の街。

4/9がボードレールの誕生日だということで、引き続きつらつら読んでいたら1984年の印が。まだ二十歳を超えたぐらいでこれを読んでいたらしい。ほぼ40ぶりに振り返るとボードレールが死んでしまった歳を過ぎてしまった。何たる不覚!もう、喜劇の世界だ!

病む詩神

可愛そうな僕のミューズよ!今朝のそのざまは一体なんだい?
へこんだ君の両目は、昨夜の幻で一ぱい、
顔色は、冷酷でむつつりしてて
狂気と恐怖に代わる代わるに曇るじゃないか。

『憂鬱と理想』ボードレール/ 堀口大学訳

『憂鬱と理想』で最初に印象的な「信天翁」。堀口大學の訳は誤訳が多いらしいので、ここでは取り上げない。大空を翔んでいる信天翁の姿を理想とし、船上で捕らえられた信天翁を憂鬱としているのだろうか。詩の構造ではそんな感じで、『憂鬱と理想』という総題から一方に現実の憂鬱があり、もう一方に理想があるのだろうと読んだ。

理想とは、ミューズ(詩神)なのである。ボードレールが詩を捧げたミューズは、実在の女優やら貴婦人やら。その対極には娼婦がいる。堕ちた天使だ。そのミューズで最初に登場してくるのは、ボードレールの母で、25歳でボードレールを産むが、父はこのとき59歳。

そして、ボードレール6歳の時に父が亡くなって、二年後、母は再婚する。そして、寄宿学校に入れられたボードレールは、母と引き離されてしまう。軍人であった継父は、母を虜にしボードレールが邪魔だったと思われても仕方がない。年老いた牧師であった亡き父の遺産でボードレールは放蕩生活に堕ちる。年取ったユダヤ人娼婦と知り合い性病になるような乱れた生活を送る。継父は二十歳のボードレールをインドへやってしまう。その経緯が「信天翁」という詩に描かれる。

「夕べのしらべ」と「香水の瓶」に描かれる非対称性。「夕べのしらべ」は教会の香炉が祈りと共に人々に染み渡るグラデーションを描いていると言われる。亡き父の想い出なのだ。

「香水の瓶」に描かれるのは、すでに空になった香水の瓶の残り香を嗅いで過去を回想するというもの。娼婦の香水だったかもしれない。しかし、その幽霊は母とも重なるのだ。香水がアルコールで精製させるのもの、陶酔としての悪酔いとなっていく。香水は天然成分で精油させるアロマと合成(人工)香水がある。娼婦の匂いは安い人工香水であったろう。

プルーストによる菩提樹の茶の香りの追憶は、ボードレールを参考にしているのかもしれない。それを痕跡というスティグマとして描いたのがベンヤミンだと思うのだ。

ボードレールの照応は、自然の中での照応ではない。方法の中での照応だ。合理的なものじゃない。言葉の化学反応のなかでの照応だ。とくに事物どうしが化学的な時間の中で照応しあうことに、ボードレールは自分のいっさいの想像力を浪費した。つまり照応が万物なのだ。

『悪の華』がそうした理想としてのキリスト教の天国と対置した場所で咲く華ならば、パリの色街に他ならない。それは、ラザロの腐臭漂う場所なのだ。



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