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犬 (短編小説) #シロクマ文芸部

「愛は犬」
妹の口は最期にそんな言葉を発した。
それも力強く。
だからきっと勢い余って魂まで出ていってしまったんだと、今では思っている。
妹を自宅で看取ったことに後悔はない。そして妹を座敷の古い布団に寝かせたまま家を飛び出したことにも。
この世界でただ一人の肉親を亡くした。
この世界でただ一人、守りたかった人は死んだ。

「愛は犬」
妹の声が頭に鳴る。
愛は犬、とは。どこかで耳にした覚えがある。きっとそれは、世界がキラキラと光り始めたあの冬の記憶。

「いつもうちには贈り物がないね」
妹は珍しくそんなことを言った。もう何年も前に諦めてくれたと思っていた。
「うちは条件を満たしていないから。まずは両親がいること。それがないからうちに贈り物は届かない」
妹はそれから何も言わなかった。
あまりに不憫で、一度だけ聞いてみたことがある。
「もしも。そんなことは起こらないことだけど、贈り物をして貰えるとしたら、愛は何が欲しいんだ?」
妹は寂しそうでも、目に光をためてこちらを真っ直ぐ見て言った。
「愛は…犬。愛は犬が欲しい!」

河川敷を歩く。
無闇矢鱈と距離を歩いたせいで、酷く疲れてきた。
やがて足が思うように進まず、バランスを崩しそうになる。仕方なくその場に膝をつき、手をついた。誰にも見られていないことを確認して四つ這いで荒い息を吐く。ハァハァと舌まで垂れる。喉が酷く渇いていた。

川に近づく。
四つ這い姿勢は、思ったより楽に体を川まで運ぶことが出来た。
川に口を近づけ、舌ですくうように水を飲む。慣れない体勢で少し違和感を感じたが、とにかく喉を潤すことに集中した。
やがて渇きが癒えて、呼吸が整った頃、ふと川の水の表面を覗くと、そこには自分が映っていた。
しかし、何かおかしい。自分の他に見慣れないものが映っている。
緩やかな川の流れが、正確に姿を確かめようとすることを邪魔していたが、明らかにそこには犬がいた。犬が私であった。

「おいおい」
心からため息をつく。
妹よ、聞こえるか。届くはずもない妹へ訴える。
「愛は犬」
わかったよ。兄ちゃん、お前の犬になる。
いや、もうなっちまった。
これからはお前の分も犬として生きてやる。
だけどな、お前。

せめて、人面犬でなければなぁ。



[完]


#シロクマ文芸部
#愛は犬

今週は小説で参加させていただきました°・*:.。.☆
ありがとうございます。


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