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おじさんと私の間を流れる不要品たち。(エッセイ)

土曜の朝。郵便配達のお兄さんは、怪しい衣装ケースを運んできてくれた。
透明な80サイズくらいの使い込まれた衣装ケース。持ち手の部分や全体に、青い養生テープを巻き付けてある。この斬新な梱包を施した主は、やはり文通相手のおじさんだった。

中身は透けて見えているが、どう見ても冬物のジャケットだった。それが2枚、ぎゅうぎゅうに詰められている。

見た感じ、手紙らしきものは入っていないようなので、ひとまず蓋は開けないでおこう。
手紙の代わりと言えば、青い養生テープに黒のマジックでまあまあ大きな字で
『田沢湖のルリ色は私の清い心です』と書かれていた。

この荷物とはなんの脈絡もない。

青に黒は、実際はもっと見づらい。


おじさんはこれまでにも何度か、家に眠っていた衣類や本を送ってくることがあった。
これに関して、正直私は嬉しくない。
だって私の生活スタイルは、物を多く持ちたくないから、余計なものは買わないようにしているし、着る服もどんどんシンプルにしている。
そこへ、おじさんが着ていた服を送られても、それは喜べない。(そもそも、おじさんが着る服は私には似合わない…)

それでも、この荷物を送るまでのおじさんの行動を想像する。

おじさんはこの荷物を炎天下、郵便局まで運んでくれた。じきに80歳になるおじさんは、少し前に自転車で転倒してしまったから、大きな荷物を運ぶのは危険な事かもしれない。そしてこの荷物を送るのに、当たり前だけれど郵送料を払っている。おじさんは倹約家で我慢強い人だから、私に何かを送るときは、自分の楽しみを削ってくれている。


おじさんは『断捨離』をしている。
それはとても良いことで、おじさんには子供がいないし、少しずつ整理していくことはとても大事。

要らなくなったものをわざわざお金を払ってまで私に送ってくるのは、おじさんは、手放すことはできるのに、捨てることができない人だから。
『もったいない』精神。そして、単に『贈り物をすること』が好き。

何年か前まで、おじさんのこの行動には頭を抱えた。
せっかく送ってもらったものだけど使い道がない。でも捨てるには忍びない…。そんなプチストレス。

だけどだんだん、おじさんは『送ること』に快感を得る人だと気づいてからは、しがらみから開放された。

おじさんは送って満足。そのあとのことには(おそらく)興味が無い。
だから今では、おじさんからなにか送られてきたら「後のことはお任せください」と言うようにしている。

おじさんが、おばさんの遺品のコートを送ってきた時も、愛妻のコートを捨てることは苦しいだろうなと思って「あとは任せていただけますか?」と言った。それを境に、私はおじさんから受け取り、受け取ったものを「どうにかする」係になった。

ある時、ツウが通う古書店でもこんなに古くなった本はないだろうというような変色した文庫本を送ってきた時も「きゃっ!」と悲鳴をあげながら“お任せ”いただいた。
そんな関係。

今後も色々なものが、おじさんと猫たちが住むアパートから我が家へ引っ越してくる。
そして“どうにか”なっていく。


おじさんから送られてくる、おじさんが手放したものたちを見て
「おじさんの残りの人生に、これはもう不要なのだな」
と、少ししんみりしたりする。




#エッセイ






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