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主体と客体の境界など存在しない/シュレーディンガー【憂世で生きる智慧】

主体と客体は、一つのものである。それらの境界が、物質科学の最近の成果でこわれたということはできない。何故なら、そんな境界など存在しないからだ。

[エルヴィン・シュレーディンガー]

シュレーディンガーのこの言葉は、量子力学の奥深さと哲学的な洞察を端的に表現しています。主体と客体、つまり観察者と観察対象の境界が曖昧になることを示唆しているのです。
これは、量子力学がもたらす非直感的な現象を強調しています。
例えば、シュレーディンガーの猫の思考実験。
箱の中の猫が、生きている状態と死んでいる状態が重なり合った「重ね合わせ」の状態にあるという奇妙な概念を提示しました。この考え方は、物質世界の基本的な理解を揺るがし、観察行為自体が現実を形成するという考え方を後押ししました。

この視点は、デカルト的な「我思う、ゆえに我あり」という主体の確立とは対照的です。シュレーディンガーは、観察者と観察対象が切り離せない一体のものとして存在していると考えました。量子力学の世界では、電子の位置や速度を観測することで、その存在状態が決定されます。つまり、観測が現実を形作るのです。

この考え方は、物質科学の進歩によって確認されることはありません。
なぜなら、その境界は最初から存在しないのですから。
シュレーディンガーの洞察は、現代物理学だけでなく、哲学や意識の探求においても重要な示唆を与えています。

量子力学は、私たちの現実認識を根底から変える可能性を秘めています。主体と客体の融合は、単なる科学的な概念にとどまらず、私たちの存在意義や宇宙の本質について深く考えさせるものです。シュレーディンガーの言葉を借りれば、私たちは一体であり、その境界は初めから無かったのです。

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