見出し画像

人の愛は自己中心的!"真の愛"はいずこ……【憂世で生きる智慧】

愛は自分から始まり、徐々に家庭、友人、国家、民族、人類へと広がるが、決して無私ではない。なぜなら、すべての愛は自己を中心に発動するから。この【自我の存在】が愛を不完全にする。


愛とは何か。この永遠の問いに答えるために、まずは「自我」という概念に目を向ける必要がある。愛は人類の歴史を通じて、多くの哲学者や詩人によって語られてきた。シェイクスピアは「愛とは目で見るものではなく、心で見るものだ」と述べたが、心には常に自我が存在する。

愛の基本は自己愛から始まる。赤ん坊が最初に知る愛は、自分への愛だ。生き延びるために必要な欲求を満たすために泣き叫ぶ。それは自我の発露であり、自己保存の本能である。

成長するにつれて、自己愛は次第に外部へと向かう。家族への愛、友人への愛、さらには国家や民族への愛へと広がる。しかし、どの段階においても自我はその中心にある。

自己愛があるからこそ、他者への愛も生まれる。家族を愛するのは、自分にとって大切だから。友人を愛するのは、自分に喜びをもたらしてくれるから。国家や民族を愛するのは、そこに自分が属しているから。

人類愛ですら、自分が人間であるがゆえの共感から生まれる。このように、愛の根底には常に自己が存在し、それが愛を不完全にする。

また、無私の愛を求めることは自己矛盾である。なぜなら、無私であることを望むこと自体が、自己の存在を認める行為だからだ。完璧な愛など存在しない。愛は常に自我と共にあり、その不完全さを抱えている。

愛の本質を理解するためには、この不完全さを受け入れることが必要だ。愛は美しいが、同時に複雑である。その中に自我が存在することで、愛は一層豊かで深いものとなる。だからこそ、愛することは人間の本質を知ることでもある。

[憂世で生きる智慧]記事一覧


#憂世で生きる智慧 #仏教 #学び #最近の学び #気づき #日々の気づき #今日の気づき #名言 #格言 #ことわざ #人生 #今日の名言

この記事が参加している募集

#最近の学び

181,685件

今後ともご贔屓のほど宜しくお願い申し上げます。