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すべてを疑おうとする者は、疑うところまで行き着くことができないであろう。疑いのゲームはすでに確実性を前提としている。【憂世で生きる智慧】

すべてを疑おうとする者は、疑うところまで行き着くことができないであろう。疑いのゲームはすでに確実性を前提としている。

[ウィトゲンシュタイン『確実性の問題』第115節]

『すべてを疑おうとする人は、最終的に何も確信することができないかもしれない。しかし、疑い続ける行為自体が、何らかの確実性(信じるべき何か、基盤となるもの)を前提としている』

さらに簡単に言い換えると
『何も信じないで疑い続けることは難しい。なぜなら、疑うこと自体、何かを信じているという前提が必要だから』

例えば、「この椅子は本当に存在するのか?」と疑うとき、その疑い自体を持つためには、疑うという行為や考えるという行為、あるいは「存在」という概念など、何かしらの前提や確実性に基づいているはず。ウィトゲンシュタインは、このような基本的な信念や前提を指摘している。

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