ヒモってた話をしよう。
20-21才の一年間、いわゆる「ひも」だった。
・・・・・・
当時付き合っていた彼女の家は、10キロ先にあった。
23時に仕事が終わり、そこから彼女の家に向かうのが習慣だった。
車もバイクも原付も持っておらず、
深夜の静寂の中、ボロチャリをギコギコ響かせながら山を超えていた。
山を越えるとファミマがある。
そこで発泡酒2本とコンドームと肉まんを1つ買う。
コンドームって地味に高い。
多分、出費で1番多かったのはこれだ。
愛と性欲は止まらねえのだ。
自転車で40分、彼女の家に着くと
彼女は夕飯と温かい風呂を提供してくれた。
泣きそうになるくらい美味しかった。
不幸自慢ではないが、僕は愛をほとんど知らずに育った。
だから愛に飢えていたし、どこか嫌悪感もあり、相反する感情が共存していた。
でも、彼女には前者だった。
僕にたくさんの愛をくれたが僕は自分でもびっくりするくらい嫌悪感は出なかった。
話を戻す。
風呂なし物件の僕にはただの湯船が温泉だった。
彼女と一緒に入って、おしゃべりした。
冬でも39度に設定されたお風呂は長く一緒に入れるためだった。
決して広いとは言えないワンルームの、さらに狭い浴槽、脱衣所で互いに体を拭きあって、ふと目が合ってふふっと笑った。
愛ってこんな感じなのかな。
そんなことを思いながら、晩酌をして、またおしゃべりした。
彼女は仕事のこと、僕は恥ずかしながら日々の愚痴を話していてばっかだった気がする。
彼女は僕の事情を知っている数少ない人で、無償でご飯をくれたり風呂を貸してくれた。毛布やケトル、炊飯器、調味料、ヒーター、米、加湿器、身の回りの生活用品はほぼ彼女に買ってもらった。
年金にスマホにローンに食費に通院費、とてもじゃないが家電類を買う金はなかった。娯楽費は月三千円程度だった。
だから、言い訳すると、弁明すると、ヒモになるしかなかった。
ちなみにエアコンが壊れた時は彼女の家に逃げ込んだ。
何かお返しがしたいと言ったら「じゃあ、愛して」と言われた。
思い返すたびに恥ずかしくなるがそれくらい夢中で、僕はヒモだった。
現金はもらったことないので、「ほぼ」ひもだったが正しいか。
この、ひもってた時期は愛と貧乏と青春、
これらが混ざり合った、味わい深い時間であった。
今は別れてしまったが、
僕はこのひもってた時の感情を忘れることはないだろう。
fin
生活費になります。食費。育ち盛りゆえ。。