BJを通してどうなっていきたいかー未来への展望とそのための計画
BJを通してどうなっていきたいか?
BeautyJapan出場のきっかけと声に出した「想い」
3月に新保さんからBeautyJapanのお話をいただき、
今まで自分がしたことのない新たな挑戦のひとつとして、出場を決めた。
居住地を伝えると、今年新設された中日本大会があると教えていただき、
井土さんとのやりとりがはじまり、そしてファイナリストとなった。
はじめて新保さんにお話を頂いた時のDMを読み返してみると、私は即答でこのように答えていた。
ー必要な人に必要な言葉を伝えて癒すー
これは私の活動の主軸だ。
ただまだこの時点では、輪郭もぼんやりとしながら自分がどのように動き、伝え、そして癒していけば良いのかもしっかりとはわからないままだったように思う。
あれよあれよというまにBeautyJapan中日本大会初代ファイナリストという肩書きがつけられ、様々な出来事を通しながら自分がこんなにも成長していく場になるとは、この時は想像をすることはできていなかった。
運営や他ファイナリストの想いに触れ「自分は?」と問いかける日々
インスペクション、ガイドブック撮影、中間審査や日々の発信などを通しながら少しずつ、中日本に関わる人たちを深く知ることになっていった。
色々な人の想いに触れながらまず私は「一本筋を立てられている人」に対し、とても羨ましいと感じた。
私の「共感覚を伝える」という活動はどこか抽象的で、着地点がないような、人に伝えているがきちんと伝わっているのか、伝えた先に何があるのか
誰に伝えていきたいのか?など、
明確に記しているものはあれどまだまだ、はっきりと出来ていなかった。
それらを他の人たちの想いに触れながら、気づくこととなり
このままではいけない、と自分を奮い立たせていった。
主軸をそのままに、自分が何を誰に伝え、どうしていきたいのか。
具体案は?
着地点は?
今後の発信の方法は?
自分自身に問いかけた。何度も何度も。
涙を流したことも、数え切れないほどにある。
自信が無くなって、私なんか、と思うこともあった、だけど
それを口に出してはいけないと、発信の中の私はいつだって笑顔だった。
このnoteだって、はじめたばかりの頃は暗い事ばかり書いていたが、なんだか書いてはいけない気がして、本当の自分を隠してしまうほうがいいような気がして、ポジティブに発信を続ける私でいないといけない、と思いながら過ごしていた。
ありのままの私でいようと思いながら、周りが気になってうまく身動きが取れない。
しかし、それでは自分らしくない。
私の中に眠る「真の美」はきっと、そんなところにあるものではないのだと、次第に気づいていった。
ありのままの自分を輝かせていくこと
出場を決めた時は明確には答えは出せなかったが、今ははっきりと即答することが出来る。
私はBeautyJapanを通してありのままの自分を輝かせながら、
この心のうちにある想いを、全て伝えていきたい。
BeautyJapanを通し私は内面との向き合い、見た目との向き合いを突きつけられ、何年も見ようとしないでいた自分の弱点にもたくさん気づかされた。
それではどうすればいいか?答えを迫ることになる毎日だ。
しかしそれは決して苦ではなく、ひとつの答えが導かれていくと、がんじがらめのような窮屈に感じていたものがひとつはがれ、またひとつはがれ、と
答えを見つけることは、私が私らしく軽やかに生きることの道を大きく開き、可能性を引き出すものとなっていった。
またひとつ、ありのままの私に可能性を見つけると、それが心に自信として張り付いてゆく。
自信が少しずつ張り付いていく心は、どんどんと磨かれていき、光だす。
うつむいていた私は次第に前を向き、
まっすぐな姿勢で一本道を、
確かな歩み方で歩いて言っていることを感じた。
この歩みはBeautyJapanを通しながらどんどんと進んでいき、これから大会が終わってからもずっと、「ありのままの私を輝かせる」ことをやめないでいくだろう。
未来への展望とそのための計画
共感覚を言葉と絵で伝える活動の未来
感情に色が観えることは共感覚が原因ということを知った去年、「どんな色なのか描いてみてよ。」と友人に言われたことがきっかけで描き始めた共感覚アート。
SNSの発信を続けるとともに私を見てくれる人が増え、共感覚アートを見られる機会も増えた。それにより「共感覚」という言葉を広めていくことに繋がっている。
これを、今よりももっと大きな規模で、たくさんの人から当たり前に認知される社会になっていってほしい。
共感覚が「素敵なこと」だけではない、不便や生きづらさを感じるものだということ。しかしそれには解決策やコントロールする方法もあるということ。
それを伝え、周りに知ってもらい、当事者の苦痛を少しでも和らげていくこと。私の活動の着地点はそこにある。それは自分の共感覚と向き合う私にも生きづらさの軽減が可能となる。
皆が共感覚を知っていけば行くほどに、それらに対して特別意識を持たなくなる人が増え、より生きやすく、より自分の特性を生かした生き方が出来る。
そしてそこから生まれる創造性を、私は伸ばしていってほしいと願う。
着地点に向けて特に伝えていきたい先
この着地点に向け、私は特に伝えたい人がいる。
共感覚は幼少期みんなにあるとも言われている。小学校、幼児の頃から少しでも多くの人に知ってもらいたい。
共感覚が子供たちの教科書で習うほど、当たり前の存在になってほしい。それは子供たちだけでなく、当事者を我が子に持つ親御さんの理解を深めることにも繋がるだろう。
全国の学校へ、講演などにまわりたいと思うようになった。
子供たちへは気軽にアートを通して知ってもらうのはどうだろう?などと、より具体的な方法も考える。
教育関係者との繋がり、共感覚研究者への協力
子供たちへ伝えていく、という計画を立てるに当たり教育関係者との繋がりを持つことが必要だと考えた。
より正確に伝えるためには、当事者の体験談だけでなく根拠に基づいた話も聞かせて伝えてあげたい。
共感覚を伝えるだけでなく、共感覚を研究している人たちへ、研究協力を探しているところに積極的に協力をし、自分の理解も深めていこう。現在、大学の研究室とのコンタクトをとり、参加する予定でいる。
教育や研究の場に協力しながら、子供の内から身近に共感覚という存在に触れられる社会になっていってほしい。
この壮大な計画を、ひとつひとつ進めていこう。
BJを原動力に起こる自分の挑戦
このように、私は自分自身と徹底的に向き合いながら、共感覚を具体的にどのように伝えたいか、よりよい伝え方をするにはどうすればいいかなど、未来への進み方を作り上げることができた。
もちろんこれから、またより精密な動きを作ってその実現へと取り組んでいく。BeautyJapanに出場する前はとてもじゃないがこのようなことに辿り着かなかった。
BeautyJapanという存在が原動力となり、新たな挑戦に怖がる自分ではなくなっていく。どんどんと切り開かれる未来への可能性に恐れることなく向かって行けるのだ。
背中を押されるように、そして、その背中を押す手がいつの間にかなくなっても、飛び込んでいける自分になるように。
山口葵
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