【傷つくことを恐れないで】心に蓄積される見えない傷に気付き、自分を癒す
日常生活を送っているとふと、こう思うことがある。
「これ以上傷つくのは嫌だ。」
私たちは無意識に傷つくのを恐れている。傷つきたくないから、その出来事から回避しようとする。昨日同じようなことを感じた時に、なんとなく思ったことがあった。
「私はどうして傷つくことが怖いのだろう。」
と。
心に傷がつくこと。生きていく中でたくさんたくさんあった。
泣いたことも怒りが湧いたこともある。どうして自分ばかりこんなにつらいんだ、もうやめたい、楽になりたいと悲観的に毎日を過ごしたこともある。
それでもこの「傷つく」ということは一体どういうものなのか。そんなにも怖いものなのだろうか。
気になってネットで検索してみた。「どうして人は傷つくことを恐れるのか」と。そうしたら、とても気になる記述があった。
傷つくことを恐れて傷つかないように生きていても、本当は心が傷ついている。
何かに恐れ、それを避けるように生きているという生き様は、知らない間に心の奥深くに見えない傷を何個も作る。
傷つきたくなかったのに傷ついてしまった場合、目に見えるから手当ができるけれど、見えない傷は自分にすらわからないうちについていくから、手当をしようと思うことはない。
結果蓄積された傷は、虚無や、不安。希死念慮などに変わっていくのだ。
最近、何度も何度も思っていたことがある。
傷ついてきた過去と、傷つけるかもしれない未来だけを見て
今と向き合おうとしないのはとてもナンセンスなことだ。
自分はこんな風に悲しかった、いつかこうやって傷つけてしまうかもしれない。そんな思いで目の前のものに立ち向かわないのは、なんと滑稽だろうと思うのだ。
まだ見ぬ傷を恐れ、
大切なものを大切だと言えず、
自分の本心すら隠して
本来の自分になれないまま生きていけば、
それはそれは楽に生きていくことができるだろう。
だけど、そんな生き方は見えない傷を知らない間にたくさん増やしているのだ。そうして癒し方もわからないまま自爆してしまう。そんな人生でいいのだろうか。私は、嫌だ。
解決法はただひとつだ。
傷つくことを、恐れない。
心に傷がつくのは、とても悲しいだろう。つらいだろう。だけどそれよりも怖いのは、自分を信じられないことへの恐れだ。恐れを手放して自分をちゃんと見つめてみる。
傷がついたら、どうする?
その出来事と向き合おう、悲しい自分を受け入れよう。大好きだった人がいたのなら、「大好きだったという気持ち」をわかってあげるんだ。
好きなものにたくさん触れよう。自分が本当にしたいことはなにか問いかけていく。大声で叫んだっていい。涙が枯れるまで、泣いてもいい。
自分は傷を癒す方法をたくさん知っている。そのことをちゃんと信じてあげなきゃならない。
自分で自分を満たす方法をちゃんと知っていけば、この現状をきっと突破できるだろう。
山口葵
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