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ブームとか流行じゃなくて自分がどう思うか

こんにちは。あおいです。
カナダのブリティッシュコロンビア州ケロウナという小さな街に住んで7年目を迎えています。



20歳頃から常々考えていた。
ブームとか流行って、なんであるんやろう?
一体全体誰がつくったんやろう?

最近の日本では、あらゆるジャンルにおけるブームの移り変わりが激しい。

ブームに詳しくないので自分の持っている範囲の情報で言うと、

パンケーキ、タピオカ、キャンプ、山ガール、韓流ドラマに韓流メイク…

といった物理的な「モノ」はもちろん、最近では「地方創生」「海外移住」「やりたいことをやる」「自己肯定感」のような生き方や考え方に至るまでもが「ブーム」を巻き起こすようになったな、と感じる。


そしてこれらの「ブーム」は始まったと思ったら気づいた時にはなくなっている。サイクルの移り変わりの目まぐるしさは、まさしく栄枯盛衰だ。


個人的にはブームや流行といったものに興味のカケラもないので、話題の店だからと言ってわざわざ長蛇の列に並んだり、今年の流行カラーは〇色!の文言に煽られて洋服を新調したりする人を見ると、何がそんなに楽しいのかな…?と思ってしまう。


自分が好きでやりたいのなら全く問題ないしどんどんやったらいいと思う。
でももしそうじゃないのなら、単にお金と時間を浪費しているだけなのでは?




自分が好きなら好き、嫌いなら嫌いでいい。
やりたかったら思いっきりやればいいし、やりたくなかったらやらんくていいやん。




ブームや流行に乗っかりたい気持ちが分からない訳ではない。


私も、大学の前半ぐらいまでは周りの言う「好き・嫌い / いい・悪い」に無理矢理合わせていた。

周りに合わせるのって楽だし、何より非難されない安心・安全感がある。


でもそれで自分は本当に満足なのか?

周りに流され、やりたくもないことをやりたいと言い、心からやりたいことには蓋をする。


それって、なんか違うよな。
周りに合わせることに慣れてしまえば「自分」を見失い、自信もなくなっていく。



いつからか私はそんな無理矢理感に嫌気がさし、というかそんな自分が嫌になり、周りに合わせることをやめてみた。

そうしたらモノも考え方もスッキリとシンプルになり、37歳になろうとしている今はめちゃくちゃ生きやすくなっている。



ファッションへの興味が皆無なので、服は全部ユニクロがいい(なんならユニフォーム化して毎日同じ服を着たい)。

化粧は2分。

人と話すと疲れるので休みの日は極力人に会わない(そもそも友達がいない)。



まあ要するに、取り繕うのがメンドーやなーと感じることはやめたというワケ 笑




「余計なものは入れない。(超熟)」みたいな。笑





こうすることで良く思わない人もいるだろうし、今後離れて行く人もいると思う。

でもそれは当たり前のこと。
何かを貫くには他の何かを犠牲にしないといけないから。

犠牲を恐れて本音を封印してしまうのって、ほんまにもったいない。
人生の無駄遣いだと感じる。


だって、そうやって他人に合わせることで無駄にした人生に、当の他人様は責任を取ってくれないのだから。


流行とかブームに乗っかるのが悪いと言っているのではない。
乗っかってもいいけど、守りたいもの・無くなってもいいものとの境界は明確にしておいた方がいいんじゃない?ということ。


自分の価値観をベースにして考えるだけで、自分にとって大事なことが自然と見えてくるんじゃないかな?




パンケーキが嫌いだっていいし、好きでもないのに敢えて流行のファッションを身につける義務なんてない。

「日本はダメだから…」という理由で、居心地の良いと感じる日本をわざわざ飛び出す必要もないし、やりたいことがやれていないからと言って自分を責めなくてもいい。



たかがブーム。たかが流行。
でも、そんな些細なことからでも人生は形作られていく。

わたしは自分が満足できる形がいいな。














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