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過ごした時間の価値は、その時はわからないのかも

先日の、実家の片付け。
タンスの引出しには、古い写真が大量に入っていました。
その写真で思ったことを書いてみたいと思います。

実家で片付けをした話はこちら


古い写真


どれも色褪せた、古い写真ばかりでした。
母は、気に入った写真はアルバムに整理しているので、
それ以外の(なら捨てればいいのに)写真です。

父はカメラが趣味で、写真機材には随分お金を使っていたと思います。
今納戸にしている4.5畳の部屋も、
元々は父が写真を現像するための「暗室」でした。
どこかへ家族で出掛けた時は、決まって写真をとっていました
なのでどれにも、父は映っていません。

タンスから出てきた父の映っている写真は、
「集合写真」でした。
会社の慰安旅行らしき、
場所は違えど、大判の同じような写真が6~7枚も。

旅館の大広間での、10数名、時には数十名の全員浴衣姿の写真。
伊東、修善寺、鴨川、草津。。
社員の慰安旅行が当たり前だった時代ですね。

また、バスツアーと思われる記念写真。
連れて行かれるままに並び、写真をパチリ。
それを当たり前に買う時代、ありましたよね?
見ず知らずの人と撮った写真など、今はだれも買わないと思うけれど。

母がつぶやきました。
「お父さんが仕事で東京に行ったおかげで、
あちこち行けて良かったかもしれない。」


みんなで餅つき


私の父は、実家で経営する「材木工場」で働いていました。
工場は広く、私が小さい頃は従業員もたくさんいました。
毎年暮れには、総出で餅つきをするのが一大イベントでした。

従業員も含めて各戸に回るだけの餅を、うすと杵で何度もつきます。
女性たちは一斉に、つき上がった餅を伸ばします。

あんこやきな粉が用意され、その場でみんなで頬張ります。
私がまだ小学校に上がる前のことだったと思います。


50代からのリスタート


私が社会人になると同時に、父は実家の会社辞めました
父は次男ですが、社長をしていた長男が若くして亡くなったこと。
おそらくは、ずいぶん前から経営は厳しかったこと。

会社でいつから餅つき大会が無くなったのか。
私が大きくなり、行かなくなっただけだったのか。
記憶は定かではありません。

いずれにしても、当時色々あったと推測されます。

私が高校を卒業する時、
母が私の大学進学に消極的だったのは
そんな背景があったのでしょう。
今ならわかります。
私が専門学校への進学を決めた時の
母の「ホッとした」様子を、今も憶えています。

その頃の話はこちら

父と母は、私が社会人になるのを、
今か今かと待っていたのだろうと思います。

そして、二人は上京しました。
最初は、住み込みで
マンションの管理人や、会社の社長の運転手をしていました。

最終的には親戚のおじさんのお世話で、
建築会社に定年までの約10年勤めました。
集合写真の頃です。

その頃、私は仕事も遊びも忙しく、自分のことばかり。
親がどうしているかなど気にも留めていませんでした。
学歴もない田舎でしか生活したことのない二人にとって、
落ち着くまでの生活は、大変だったと思います。

二人が、50歳頃の話です。
父と母にも、50代からのリスタートがあったんですね。

この10年ほどが、私の目から見ても、
母が一番イキイキと楽しそうにしていた時期でした。


父のことは大嫌いだった


私は、父がずっと大嫌いでした。

母は、私が小さい頃、編み物教室をしていました。
以前こちらで書きました。

花嫁修業として人気だった編み物教室も、
次第に生徒さんが減り、母は教室をたたみました。
私が小学校低学年の頃から、裁縫工場で働き始めました

母は朝5時前には起きて畑をしたり、家じゅうを掃除したりして、
7時半には家を出ました。

帰ってくるのは夕方6時半過ぎで、
その前に私は冷蔵庫の中をのぞいて、
夕飯の下ごしらえをするのが日課でした。

父は朝は早いのですが、仕事場から近いこともあり
夕方5時過ぎには帰ってきました。
私が「(夕飯)今日は何にするのかな?」
というと
「お母さんが帰って来たらやるからいいよ。」
と、毎日寝そべってお菓子をつまみ、
テレビを見ながら言うのです。

「こんな人と一緒にいるくらいなら、
結婚なんかしない方が良いな。
私は一生仕事して、自立する。」

そう心に誓った子供時代。

母は、随分私に愚痴を言い続けました。
「こんな風には、私は絶対にならない!」
私の決意は、より強固なものになったのでした。

一度は結婚したけれど、結果実現したわけです(笑)
ある意味、ありがとう!!

働き者の母怠け者の父
何一つとして、気の合わない二人でした。


たくさん出かけたんだね


家では何ひとつやらなかった父も、車だけは好きで、
色々なところへ連れて行ってくれました。

二人が東京近郊に住んでいた頃も
私がたまに顔を見せると、父が車を出してドライブに出かけました

二人で毎週末のように出掛けていたのだと思います。
父は、よく道を知っていました。

古い写真の中に、父と母の若い頃の写真が。。

「青荷温泉」は青森県内にある温泉地です。
私は行ったことがありません。
二人で、ドライブに行ったんだね。

随分と、あちこち出かけたんだね。
よかったね。

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