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まさかこんな人生になるなんて【後編】落ち着いた40代、のはずが

髪を振り回さんばかりの30代後半。
子育てと仕事に追われ、目の前のことを何とかこなす。
それだけの日々でした。
※【前編】からつづく

40代目前。
まだまだいろいろあります。


給与3割引下げ


仕事が追い付かないうえに、不運続きの時期がありました。
どうしても仕事が詰まったり、娘が病気になったりしたときに来てもらっていた母が、事故に合いました。
私の不注意で娘がけがをしたり、病気で入院したりしました。
1か月程休職した後、戻った会社から告げられたのは、給与の3割引下げでした。

社員の自由裁量を重んじていた分、査定は大変厳しかったのでした。
それを機に、設計からは離れ、不動産の部署へ異動しました。


もし将来が見えたら


その頃唯一の息抜きだった、電車の行き帰りに読む文庫本。
手にした小説にこんなことが書いてありました。

主人公の女性は60代。
夫と離婚し、郊外で一人喫茶店を営んでいます。

主婦をしていた数年前のある日、夫から離婚を切り出されます。
女性は「無理だろう」と高をくくってこう言います。
「喫茶店を出したいから、資金をくれるなら離婚してもよい」
そうしたところ、あっさり夫は承諾します。

一人娘はちょっとしたいざこざで出ていったきり。
もう何年も音信不通です。
女性はこう思います。

「若い時に、自分の将来がこうだと知ったら、絶望して自殺していただろうな。」

私は思わず笑ってしまいました。
「私も、こんな風になるとは思いもしなかったな。」

40歳は「安泰」なはずでした。
しかし実際は、最も過酷な「人生底」でした。
子供の頃のイメージからは、はるか遠い人生が待っていました。


42歳で失業


私は、40代になりました。
42歳の時、今度は会社がリーマンショックで解散することになりました。
正直に言うと、その時の私は少しホッとしたのでした。
面白い仕事を、大変な情熱をもってやっている仲間と、会社には居たかった。
しかし、自分の居場所がないと感じていたことも確かでした。
辞めようにも、建築業界でずっと来たのに、設計を辞めてしまった自分に何ができるのか?
踏ん切りがつかずにいました。
なかば、いい機会だと感じる自分がいました。

半年ほど求職活動をして、大手の会社に再就職しました。
「家と暮らし」専門相談アドバイザーという仕事でした。

大手の会社ということもあり、ほとんど残業はなし。
時代とともに、急速にワークライフバランスが進んだこともありました。
娘は小学生、中学生と成長し、手が掛からなくなっていきました。

寝る時間もなかった30代と比べて、時間的にも経済的にも精神的にも余裕が出来ました。
とにかく分刻みで動いていた30代。
それが、40代後半になり、本当に、やっと手に入れた
「普通に暮らせる生活」
でした。

旅行にも行けるようになりました。
趣味の教室にも行けるようになりました。
映画館や美術館にも行けるようになりました。
思えば、20代は映画や音楽や美術、、好きなことがたくさんあったのです。
しばらくはこうして、楽しく過ごしていたのでした。


心境に変化が


ところが、少しずつ心境に変化が現れます。

理由は、仕事が思うようにいかないこと。
仕事自体は面白いのですが、お役所のような企業体質が肌に合わなかったのでした。

次に、娘との生活の変化。
娘は、大きくなるにつれ、外で行動する時間が増えていきました。
私は、毎日娘と一緒にしていた食事を一人ですることが多くなりました。
習慣になっていた作り置きも、食べきれず捨てながらこう思います。
「私、何やってんだろ。」

娘は高校受験を控えていました。
私は、元々のんびりした性格の娘の様子が気になって仕方ありません。
大変な思いをして育ててきただけに、期待をし過ぎていたのかもしれません。
私は葛藤を繰り返していました。
「干渉し過ぎてはいけない」という気持ちと
「そんなことでどうするの」という気持ち。

自分の気持ちのやり場に困り、終始イライラしていました。

せっかく手に入れた「落ち着いた生活」のはずなのに。
娘だって手が掛からなくなったんだし。
仕事だって前と比べ物にならないほど楽なんだし。
自由な時間を楽しめばいいじゃん。

分かっているのです。

でも、気持ちはやりきれなさで一杯なのでした。

次回へ続く

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