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布教所子弟(28) 働くよふぼく 天理教の書物を読んで思ったことを書いてみます。

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布教所子弟(28) 働くよふぼく 天理教の書物を読んで思ったことを書いてみます。

マガジン

  • 三年千日

  • 私の教祖

    教祖のご履歴を詳細に味わってゆく

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ノートを始めるにあたって

勉強の時期だと思いました。 天理教校本科実践課程を出てる友人や、働くようぼくとして実践を重ねているような熱い人達とのつながりで、談議を重ねていると、 自分はまだまだだなーと刺激をもらうばかりです、、。笑 前々から本など薦められてはいたのですが、 最近ちょうど自分の求道心も重なり、読んでいこうというふうに思いまして、 そして読んでインプットしてもアウトプットしないと定着しにくいので アウトプットの場として、細々とでもここに綴っていけたらなと思います。 天理教を知らない方

    • 元の理 The Truth of Origin

      この世の元初りは、どろ海であつた。 In the beginning, the world was a muddy ocean. 月日親神は、 Tsukihi, God the Parent, この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。 finding this chaos unbearably tasteless, thought of creating human beings in order to

      • 諭達第四号 INSTRUCTION FOUR

        立教189年、教祖140年祭を迎えるにあたり、 In anticipation of the 140th Anniversary of Oyasama to be obeserved in 2026(Tenrikyo 189), 思うところを述べて、全教の心を一つにしたい。 I would like to share some of my thoughts in the hope that they will serve to unite the minds of all

        • おかきさげ THE KAKISAGE

          おかきさげとは、 「別席」で神様の話を九回聞き、「おさづけの理」を戴く際のおさしづ。(※神言) かつてはおさづけの理を戴くとき、神様からそれぞれに、おたすけ人としての日々の通り方の心構えを、おさしずされたものがおかきさげで、現在ではその総集編を配布されています。 ーーーーーーーーーーーーーーーー さあ/\だん/\の席 Sah, sah, step by step the lectures, 返す/゛\の席をして、 over and over in the seat o

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        • 三年千日
          1本
        • 私の教祖
          13本

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          なぜ十二下りをすると前向きになるか

          はじめにこんにちは。 今回は「12下りの手踊り」についてです。 僕自身、12下りをつとめさせていただくことを大事にしている中で これはすごい!と感じたことが何回もありました。今もつとめるたびに思います。 僕は、もうこれだけでたすかるんじゃないかと思っています。 たすけ一条のこの道で、人のたすかりを願うたすけつとめですが そうやってつとめていく中で、 自分自身めちゃくちゃ調子がいい。自分もすごいたすかるなと感じています。 なので今回は、12下りをつとめる意義や、どん

          なぜ十二下りをすると前向きになるか

          みかぐらうた

          おつとめ(※天理教の宗教儀礼・祈祷)の お歌を“みかぐらうた“といいます。 みかぐらうたに合わせて、手振りをするのが、おつとめの形です。 以下、みかぐらうたの内容です。 かぐらつとめ 朝夕のおつとめ(座りづとめ) 十二下りのておどり よろづよ八首 よろづよのせかい一れつみはらせど むねのわかりたものはない そのはずやといてきかしたことハない しらぬがむりでハないわいな このたびはかみがおもてへあらわれて なにかいさいをときゝかす このところやまとのぢばのかみがたと い

          みかぐらうた

          おぢばを歩く

          夜の天理の道をおやしきへ歩いた。西参道から入っていく。参道はコンクリートでタイル状になって舗装されていた。かつては両脇に提灯がずらっと灯りを灯したが、今はもうない。外灯が等間隔で道を照らしている。5分も歩くと道は石畳に変わり、すぐに砂利になる。広大な砂利の敷地の中心に神殿があった。25日の夜はよく神殿の付近を歩いた。普段よりは人が多く、明日の祭典にむけて活気の高まりを感じる。それでも神苑一体は落ち着いている。夜の静かな神殿は心がしずまった。外灯に照らされる石畳の光は幻想的だっ

          おぢばを歩く

          日記 或布教師

          その布教師は29歳で、天理教布教の家岡山寮を出て、その地に1年残ると心を定め、単独布教していた。 その生活は最初の頃は、布教の家の枠に則った。 朝4時台に起きて日中布教に歩き、夕方に帰ってきて夜22時前には寝るという生活。しかし布教寮生活の後半ごろには、おたすけの相手が複数人になっていた。深夜帯にお願いつとめをすることも多くなった。だんだんとその枠の中で不規則で多忙になっていき、睡眠時間は削られることが多かった。 他の寮生も、お願いつとめを深夜0時からとか、朝4時から神殿

          日記 或布教師

          日記 細道を通る

          山道を数100キロ走るサイクリングレースは、極度の集中力を要する。 入念な準備から始まる。おれはこのレースにかけて何年にもわたって準備をしてきた。すべてが整った状態で本番の朝を迎える。きっちり決めた時間に起床した。今日やるんだと気が張りつめている。レースが始まる時間が近づくにつれて、集中力は高く研ぎ澄まされていく。スタート間近になってあたりはしんとなり、スタート合図の銃声がひびいた。スタート地点の大きい道を数十台の車体が疾走していく。道が狭まりすぐに列になった。車体が衝突し

          日記 細道を通る

          日記 ハードワーク

          あるトップ営業マンから聞いた話を思い出す。 ━━おれは営業で成果を出し続けている。飛び込みで物を売ってくる。完全歩合だ。もう売り方はわかっている。必要な努力も、その上で通る過程もわかっている。 朝はいつも早かった。日中営業にまわる上で、出発するまでの準備が一日を決める。朝一番に頭の中のネガティブを出す作業をした。これによって昨日の後悔や今日の不安はなくなった。それから将来のビジョンを書いたノートを見た。六時五十分には会社に到着した。七時にオーナーが会社を開けにくる十分前に

          日記 ハードワーク

          私の教祖 幼きころ

          はじめにこれまでに教祖の幼きころを詳細に取り上げてきましたが、いよいよ家を出て、嫁入りとなります。 そこでその前に、ここまでの幼少のころから備わった素晴らしいその魂や精神性、御行動について簡単にまとめてみたいと思います。 『正文遺韻/諸井政一』に とあります。 常人では考えられないような幼少期の通り方をされています。 簡単に年齢ごとにまとめました。 幼きころまとめお生まれのときから、いわゆる世間一般の子どもとは違っていた。泣いたり拗ねたりするようなことは滅多になく、

          私の教祖 幼きころ

          幼少期の信仰③

          はじめに 幼少期の信仰について。 裕福な家庭で満たされていて、なぜ尼になりたいという信仰を持つほどになったか。 こちらの続き 教祖の御性格 『稿本天理教教祖伝』では、「尼になりたい」と熱願されたことについて扱われているのはここ一文ぐらいで細かく書かれていませんが、 この背景について『私の教祖/中山慶一』でわかりやすく賢察されていますので、そちらを紹介させていただきたいと思います。 以下、「御信仰」(P.100〜113)より要約 教祖は 「私は若い頃はどちらかとい

          幼少期の信仰③

          幼少期の信仰②

          はじめに 幼少期の信仰について。 裕福な家庭にいて、なぜ尼になりたいほどの信仰を持ったか。 『私の教祖』から『私の教祖/中山慶一』 「御信仰」(P.100〜113)より要約すると 教祖の生まれ育った家は、お金に恵まれ、物に恵まれ、家柄に恵まれた何不自由ない家である。そういった環境で、常に人からちやほやされて育てられる子どもは、わがままいっぱいに人の苦しみなどに全く理解のない人間になって行くのが世の常である。 しかし教祖は、 教祖の境遇がこの上なく恵まれていたのに比べて

          幼少期の信仰②

          法話の折は最後まで熱心に聴聞 (〜十三歳)

          はじめに 幼少期の信仰面について。(その①) 『私の教祖』から 『稿本天理教教祖伝』では 縁談の話が来たとき、 『正文遺韻』では ---------------------------------------- まとめ  そうした日々を過ごすうちに、いつの頃からか母が熱心に信仰していた仏信心を始めた。母が朝に夕に仏壇の前に念仏を唱えるとき、いつもその後に座って、小さな手を合わせて一心にお祈りするようになった。母の信仰は浄土宗であったことから、いつしか浄土和讃な

          法話の折は最後まで熱心に聴聞 (〜十三歳)

          幼少の中にも相当深い考え (八〜十三歳)

          はじめに 幼少期の精神性について。 『私の教祖』から 器用にいろんなものをお拵えになったが、 『稿本天理教教祖伝』では 『正文遺韻』では ---------------------------------------- まとめ 単にこうした手先の技ばかりではなかった。精神的な方面のことにも、一度触れたことは、その奥の奥まで見通して、これを体得する直感の鋭さと探究の熱意を持っていた。従って、とくに深い学問を習った跡はないが、自ずから深く広く精神内容を掘り下げて行

          幼少の中にも相当深い考え (八〜十三歳)

          裁縫の手並みも一人前以上に上達 (十二,三歳)

          はじめに 針仕事について。 『私の教祖』から 『稿本天理教教祖伝』では 『正文遺韻』では (※一部現代仮名遣いに変換) まとめ また物事全般について学ぶだけでなく、生まれつき記憶がよくて、一度見たり聞いたりしたことは、よく心におさめて忘れなかった。また人に話すときも、子どものようではなく、よく細やかに道理にかなう話をして、人を言い落とすようなことはしなかった。  針仕事や編み物、機(はた)織りなどについても、一度として師匠に就いて学んだことはなかった。ただ幼い

          裁縫の手並みも一人前以上に上達 (十二,三歳)