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私の教祖

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教祖のご履歴を詳細に味わってゆく
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私の教祖 幼きころ

私の教祖 幼きころ

はじめにこれまでに教祖の幼きころを詳細に取り上げてきましたが、いよいよ家を出て、嫁入りとなります。

そこでその前に、ここまでの幼少のころから備わった素晴らしいその魂や精神性、御行動について簡単にまとめてみたいと思います。

『正文遺韻/諸井政一』に

とあります。
常人では考えられないような幼少期の通り方をされています。

簡単に年齢ごとにまとめました。

幼きころまとめお生まれのときから、いわ

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幼少期の信仰③

はじめに

幼少期の信仰について。
裕福な家庭で満たされていて、なぜ尼になりたいという信仰を持つほどになったか。

こちらの続き

教祖の御性格

『稿本天理教教祖伝』では、「尼になりたい」と熱願されたことについて扱われているのはここ一文ぐらいで細かく書かれていませんが、
この背景について『私の教祖/中山慶一』でわかりやすく賢察されていますので、そちらを紹介させていただきたいと思います。

以下、

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幼少期の信仰②


はじめに
幼少期の信仰について。
裕福な家庭にいて、なぜ尼になりたいほどの信仰を持ったか。

『私の教祖』から『私の教祖/中山慶一』
「御信仰」(P.100〜113)より要約すると

教祖の生まれ育った家は、お金に恵まれ、物に恵まれ、家柄に恵まれた何不自由ない家である。そういった環境で、常に人からちやほやされて育てられる子どもは、わがままいっぱいに人の苦しみなどに全く理解のない人間になって行くの

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法話の折は最後まで熱心に聴聞 (〜十三歳)

はじめに

幼少期の信仰面について。(その①)

『私の教祖』から

『稿本天理教教祖伝』では

縁談の話が来たとき、

『正文遺韻』では

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まとめ

 そうした日々を過ごすうちに、いつの頃からか母が熱心に信仰していた仏信心を始めた。母が朝に夕に仏壇の前に念仏を唱えるとき、いつもその後に座って、小さな手を合わせて一

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幼少の中にも相当深い考え (八〜十三歳)

はじめに

幼少期の精神性について。

『私の教祖』から

器用にいろんなものをお拵えになったが、

『稿本天理教教祖伝』では

『正文遺韻』では

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まとめ

単にこうした手先の技ばかりではなかった。精神的な方面のことにも、一度触れたことは、その奥の奥まで見通して、これを体得する直感の鋭さと探究の熱意を持っていた。

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裁縫の手並みも一人前以上に上達 (十二,三歳)

はじめに

針仕事について。

『私の教祖』から

『稿本天理教教祖伝』では

『正文遺韻』では

(※一部現代仮名遣いに変換)

まとめ

また物事全般について学ぶだけでなく、生まれつき記憶がよくて、一度見たり聞いたりしたことは、よく心におさめて忘れなかった。また人に話すときも、子どものようではなく、よく細やかに道理にかなう話をして、人を言い落とすようなことはしなかった。

 針仕事や編み物、機

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心を入れて御手習をあそばす (九〜十一歳)

はじめに

学問について。

『私の教祖』から

『稿本天理教教祖伝』では

『正文遺韻』では

まとめ

七歳から十歳頃までは、父親から読み書きを教わった。また九歳から十一歳までの約三年の間は、近所の寺子屋に通われて一通りの勉強もした。その当時では幕府の政策上、学問については、女子や町人、百姓にあまり触れさせないように仕向けられていた。だから、教祖も別段、本格的な学問を学んではいないだろう。しか

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忙しい秋の収穫時のお手伝い (八,九歳)

『私の教祖』から

『稿本天理教教祖伝』では

『正文遺韻』では

(※現代仮名遣いに変換)

まとめ

八、九歳の頃には、忙しい秋の収穫時などに、近所の小さい子がいる家へ行って、「子どもを貸してくだされ」と言った。そしてその子をおぶって、その日一日の面倒を見た。また、母親から貰ったお菓子などをわざわざ残しておいて、近所の子どもたちを集めてはそれを与えながら一日遊ばせた。そこには単なる自分の楽しみ

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私の教祖(七歳)

はじめに

教祖の生涯を深く掘っていく記事とする。
今回は六歳ー七歳へ。

『私の教祖』から

『稿本天理教教祖伝』では

『正文遺韻』では

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まとめ

教祖が六歳のとき、妹のくわが生まれた。この小さい妹の出来たことは、しずかな家庭に賑わいをもたらした。教祖の童心にも、明るさと楽しさを与えただろう。そしてこの小さい妹のお守りをすることが、幼い教祖の新しい楽しみの一つとなっ

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私の教祖④ (五,六歳)

私の教祖④ (五,六歳)

はじめに

前回では、お生まれから四歳頃までを取り上げた。

その続きを、

『私の教祖』から

四歳の頃から、母親の側に座って見ていたことで、

(※一部現代仮名遣いに変換)

『稿本天理教教祖伝』では

『正文遺韻』では

(一部現代仮名遣いに直して)

まとめ

四歳の頃に、お守りを離れてからは、母親の側で針仕事を見ていた。そうすると、いつしか自然に針の持ち方や糸紡ぎの仕方を見覚えになる。こ

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私の教祖③ (出生〜四歳頃)

私の教祖③ (出生〜四歳頃)

はじめに

中山慶一著の『私の教祖』から、また他の史料から、教祖のご履歴を詳細に咀嚼していこうという記事。
今回は、ご出生から四歳頃まで。

お生まれの家

教祖のご生家、前川家は格式のある家であった。

『私の教祖』より

「地方に顔のきく豪族」「相当経済的にも豊か」という家柄、

幼きころ(四歳の頃まで)

お生まれになってからのご様子が、また『私の教祖』から

「その様子は早くから世の常の子

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私の教祖 ②

私の教祖 ②

はじめに
今回は中山慶一著の『私の教祖』から。

まだ本編の教祖の生涯ではなく、
前提の時代背景の話からになります。

教祖とその時代と、教祖のご在世の時代について書かれています。

教祖のご在世当時の時代背景としては、広く知られている通り、新宗教に対する迫害・干渉の時代である。

しかし教祖は、神一条の理を一歩も曲げることなく、時流を抜き、高く時代を指導した。

教祖のみちすがらは

心定めが第

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私の教祖/中山慶一

私の教祖/中山慶一

今回は、「私の教祖(おやさま)/中山慶一著」を取り上げていきます。

天理教の教祖である中山みき様について書かれた伝記です。(天理教の信仰者は、「教祖」と書いて「おやさま」とお慕い申し上げています。)

はじめに『私の教祖』という題名に関して、本文にこうあります。

教祖の伝記自体は、現在公刊されている「稿本天理教教祖伝」の以前から、宇田川氏や中西氏によっても書かれているが、それは各々の教養の相違

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