幼少の中にも相当深い考え (八〜十三歳)
はじめに
幼少期の精神性について。
『私の教祖』から
器用にいろんなものをお拵えになったが、
単にこうした手先の技事ばかりでなく、精神的な方面のことに関しても、一度触れたことは、その奥の奥まで見通して、これを体得する直感の鋭さと探究の熱意を持っておられた。従って、別段深い学問をお習いになった跡はないが、自ずから深く広く精神内容を掘り下げて行かれ、殊に人生の問題などに関しては幼少の中にも相当深い考えをお持ちになっていたことがうかがわれる。
かかる性格の故か、幼少時代の教祖は近所の子供などと遊び戯れて時を忘れるというような、子供らしい快活さや無邪気さがなく、どちらかといえば年齢に比して非常に大人びたところがあり、針仕事や機織りや、又細工物などに余念もなく時を過ごされる折節や、又何事か考え深げに一人秘かに物思いに耽っておられるように見えることが多かった。
『稿本天理教教祖伝』では
聡明で器用な生付きの上に、何でも熱心に習い覚えて万事堪能であられ、素直な親孝行の方で、いつも喜んで母親の手助けをなされた。
『正文遺韻』では
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まとめ
単にこうした手先の技ばかりではなかった。精神的な方面のことにも、一度触れたことは、その奥の奥まで見通して、これを体得する直感の鋭さと探究の熱意を持っていた。従って、とくに深い学問を習った跡はないが、自ずから深く広く精神内容を掘り下げて行かれ、殊に人生の問題などに関しては幼少の中にも相当深い考えを持っていただろう。
こうした性格からか、幼少時代の教祖は近所の子供などと遊び戯れて時を忘れるというような、子どもらしい快活さや無邪気さがなく、どちらかといえば年齢と比べて非常に大人びたところがあった。針仕事や機織りや、また細工物などに余念もなく時を過ごすことや、また何かを考え深げに一人秘かに物思いに耽っているように見えることが多かった。
(続)
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