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私の教祖 幼きころ


はじめに

これまでに教祖の幼きころを詳細に取り上げてきましたが、いよいよ家を出て、嫁入りとなります。

そこでその前に、ここまでの幼少のころから備わった素晴らしいその魂や精神性、御行動について簡単にまとめてみたいと思います。

『正文遺韻/諸井政一』に

さて御教祖様は、世の常の御人ではござりませぬ故に、ご幼少の頃の事を承りましても、我々なみのものと思いくらべますと、うそやないかと、うたがわねばならんような事があります。よって並々のものとは違うという、心をもってきかねばなりません。

P.4

とあります。
常人では考えられないような幼少期の通り方をされています。

簡単に年齢ごとにまとめました。



幼きころまとめ

お生まれのときから、いわゆる世間一般の子どもとは違っていた。泣いたり拗ねたりするようなことは滅多になく、いつもにこにことしていた。おむつのお世話も手数かからない楽な子だった。


二、三歳の頃には、近所の娘子を雇ってお守りをしてもらって過ごした。

四歳の頃に、お守りを離れてからは、母親の側で針仕事を見ていた。いつしか自然に針の持ち方や糸紡ぎの仕方を見て覚えた。



五、六歳の頃には針を持ち、網巾着をこしらえている。
編み物をして遊んでいるときも、親からなにか用事を頼まれれば、いとも気軽に用を果たした。いつも嫌な顔ひとつしなかった。
そういった普通ではない行動は、近所の間でも、すごく感心な子どもらしいと村中の評判となった。



六歳のとき妹が生まれた。小さい妹のお守りをすることが、幼い教祖の新しい楽しみの一つとなった。
さらに近所の子どもたちをも親切にいたわった。まわりに大勢の子どもたちが集まるようになった。母から貰ったお菓子も決して自分一人だけでは食べなかった。いつもみんなに分け与え、その喜ぶ姿を楽しそうに眺めた。



八、九歳の頃
には、忙しい秋の収穫時などに、子をおぶって、その日一日の面倒を見た。幼な心にも少しでも近所の親たちの手助けをして上げたいという心配りがあった。一日や二日、めずらしさに子どもを守りするのではない。忙しい間は、日にち毎日あく事なくお守りをした。近所の親たちも切実に感謝し喜んだ。



七歳から十歳頃
までは、父親から読み書きを教わった。

九歳から十一歳までの約三年の間は、近所の寺子屋に通われて一通りの勉強もした。

その少しの期間でも教祖は熱心に学んだ。空しく遊びたわむれることは嫌いだった。寺子屋に行けば心を入れて勉強する。周りが騒いでいても精を出して勉強した。それが終わればさっさと帰って針仕事に精を出した。その他にもいろいろなことに働いた。一日もあだに過ごすことはなかった。


そうした日々から、十一、ニ才にして、すでに一人前、十分の仕事ができるようになっていた。

また生まれつき記憶がよく、一度見聞きしたことは、よく心におさめて忘れなかった。人に話すときも子どものようではなく、細やかに道理にかなう話をして、人を言い落とすようなことはしなかった。



十二、三歳の頃にはむずかしい機も見事に織りこなせる腕前になっていた。
 裁縫も着物や編み物もきわめて堪能だった。記憶がいい上に、勉強が並大抵でないから上達もその筈であった。いつのまに覚えたのか全く不思議なくらい非凡な技ができた。
 (老年に針の師匠をしていたが、その手際は、すべて十三才までに覚え込んでいたことである。)


 母にならって仏信心を始めた。母が朝に夕に仏壇の前に念仏を唱えるとき、いつもその後に座って、小さな手を合わせて一心にお祈りするようになった。いつしか浄土和讃なども暗記するようになった。法話を熱心に聴聞した。


十二、三歳の頃には求道の一念は止み難くなった。いつしか尼僧となって生涯を御仏に捧げたいと熱く願うようにまでに至った。




所感

教祖は、五歳や六歳ごろから、村中の評判になるぐらいの神童です。
神話や物語りでないと存在しないのではないかというほど、類まれなる行動をされています。
その特徴は
「欲のコントロールに長けて自分がすべきことをしている」
というふうに感じます。

小さいころから泣いたり拗ねたりすることはほとんどない。すすんで親の手伝いをする。親からもらったお菓子は近所の子どもにあげる。近所の子どもを喜ばせる。親たちも喜ばせる。

こういった御行動は、「自分のことは置いておいて、人のために」という思いがないと出てこないでしょう。これを一日もあだに過ごすことはなく、なされているということは、大人でも真似することは難しいことだと思います。これを幼少の四歳、五歳、物心ついたころからなされています。

普通の四歳の子どもは、「自分」しかないのではないでしょうか。自分の欲求に素直に、お腹が空いたとかあれが欲しいとか、自分はこれがしたいとか、そういった行動がすべてでしょう。そういった「自分」本位の欲求を抑えて、あるいは捨てているのか、あるいは元々そういう本能的欲求が弱いのでしょうか。ある天才学者は「自分は生まれつき欲求が全般にすごく弱くて、目先のものには走らない」と言っています。そのような生まれつきなのか、ともかくそれをコントロールして「自分がすべきこと=人のためになること」を正論そのまま行動されている。高い次元で生きておられます。


こんなお方は物語りでないといないのではないか、と言いましたが
最近の人物で一人思い当たるスーパースターがいます。

大谷翔平です。
彼もまさに「欲のコントロールに長けて自分のすべきことをしている」人物でしょう。
それができているから、人が出せないパフォーマンスを発揮できている、天才です。

徹底した食事制限や、コロナの時期もスキャンダルを追いかけたパパラッチは練習場と自宅の往復しか捕えられていません。練習するために断って飲み会もほとんどいきません。クリスマスにも遊びに行かず、夜な夜なバットを振っていたことを同じチームの選手が見ています。
目先の欲に走らず、高い次元で自分をコントロールして、自分のするべきことに集中していることがわかります。

多くの人ができない欲のコントロールをして、多くの人より成果を上げています。


こういうような、高い次元で自分をコントロールすることに長けているということは
大谷翔平だけではなく、いろんな分野で成功してる人や、天才と呼ばれる人に共通している特徴のひとつだと思います。

自分の欲に流されず、目的に最適な行動をとって努力できるから、成功できるということ。

自分含め多くの人は、やり方がわかっていても正論通りやれない。自分の欲に溺れたり、努力を惜しんでしまいます。

そこに行動量の絶対的な差は生まれてしまいます。成功不成功はともかく、自分の欲のコントロールに長けて自分のすべきことをやれる人は、行動量も必然的に多いですよね。この人格をインストールできるでしょうか。
『私の教祖』はまだまだ続き、まだまだ形成してゆきます。


ありがとうございました。



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