法話の折は最後まで熱心に聴聞 (〜十三歳)


はじめに


幼少期の信仰面について。(その①)


『私の教祖』から

 かかる日々を過ごされる中に、何時の頃からか母が熱心に信仰されていた仏信心をお始めになり、母が朝な夕なに仏壇の前に念仏唱名される折には、何時もその後に坐って、小さな手を合わせて一心にお祈りされるようになった。母の信仰は浄土宗であった関係から、何時しか浄土和讃なども暗記されるようになり、又、時折の母の寺詣りには欠かさず一緒にお越しになり、殊に住職、説教僧の法話の折は最後まで熱心に聴聞されるのであった。

 母はこうした常の子と異なった我が子の様子を見るにつけて、その深い心中は知る由もないままに、ただ珍しく殊勝な、又素直で温順しい様子をこの上もなく喜び、我が子ながらも感嘆されるのであった。 かかる中にも教祖の信心は母の思いも及ばぬ深みに進んで、十二、三歳の頃には求道の一念止み難く、尼僧となって生涯を御仏に捧げたいとの熱願を起こされるまでに至った。

P.98




『稿本天理教教祖伝』では

縁談の話が来たとき、

生来身体が余り丈夫でない処から、浄士に憧れ、かねて尼になりたいと思われていた頃の事とて、返事を渋っておられたが、・・・・・

P.13



『正文遺韻』では

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まとめ

 そうした日々を過ごすうちに、いつの頃からか母が熱心に信仰していた仏信心を始めた。母が朝に夕に仏壇の前に念仏を唱えるとき、いつもその後に座って、小さな手を合わせて一心にお祈りするようになった。母の信仰は浄土宗であったことから、いつしか浄土和讃なども暗記するようになった。また、ときおりの母の寺詣りには欠かさず一緒について行った。特に住職、説教僧の法話のときは最後まで熱心に聴聞するのであった。ききんや一揆など何かと不安定な動乱の世をはかなみ、一心に信心した。

 母はこうした普通の子と違った我が子の様子を見るにつけて、その深い心中は知る由もないままに、ただ珍しく殊勝な、また素直で温順しい様子をこの上もなく喜び、我が子ながらも感嘆するのであった。 こうした中にも教祖の信心は母の思いも及ばぬ深みに進んでいった。十二、三歳の頃には求道の一念は止み難くなった。生まれつき身体が丈夫でないことから、浄土に憧れていた。いつしか尼僧となって生涯を御仏に捧げたいと熱く願うようにまでに至った。


(続)


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