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脱社会的交換日記

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小市民たちの日記。交換日記と名乗ってはいるけれど、その実、ペン売り場の長いロール紙のような無法さである。
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子ども的ー大人的二重体

 最近になって私は「喋っている自分」よりも「書いている自分」のほうが好きなのだと気づいた。好きなだけで得意だとはまったく思わない。それが不思議。  大学生の頃から紙のノートに、読んだ本の感想や今日あった出来事を書く習慣があったはあったのだが、それらはとりとめもなく断片的に、書かれることが多かったように思う。理由はたぶん単純に、書いていると手が疲れてくるから。頭が疲れるよりも先に手が疲れてくる。定期的にばあちゃんが手紙を送ってくれていたのだけど、中を開くと何枚にも及ぶ高級そうな

大人だから|もっとやれます

『「大人だから」ってどんな気持ちで言っているの?』 友だちからLINEが届く。雑談にしては気軽な質問ではないけれど、相談にしては切迫感がないので、とりあえず返事を保留にしてお風呂に入る。 脱衣所で振り返る。 正直、こんな質問をされるまで誰かの印象に残るほど「大人だから」と発していることを自覚していなかったし、そんなんだからこんな質問をされてもその友だちの前で、具体的にどんな場面で「大人だから」と言っているのかがわからなかった。けれども、わたしが「大人だから」と言いそうだとい

共に生きているはずの私たち

 とある年上の知人に「スナックでお金を落とすのは社会貢献ですよ」と言われたことがある。何を言っているのかよく分からなかったので「ほお?」みたいなとぼけた顔をしているとその人は続けて次のように言った。  「だってスナックで働く人にはシングルマザーの人とか、家が貧乏でまともな教育を受けられなかったような人が多いでしょう。でも彼女らはスナックで働くことで、ふつうの企業では考えられないような高い給料をもらえている。実際、スナックの料金設定は基本的にぼったくりに近いと僕も思う。それでも

他人に興味ないだろ|自分ごと

他人への興味は割とあるほうだと思っているけれど、「他人に興味がない」としばしば言われる。んー、確かに? 興味はあるが、他人とのコミュニケーションは苦手なので積極的に他人の話を聞かないからかもしれない。でも興味はあるもん。内側に抱えている興味が質問として発散していないだけだ。無感情であることと無表情であることは別だし、あなたも口には出さずとも何かを怒ったことがあるだろう。 では、他人への興味はいかにして図られるのか。まず他人への質問によって図ってしまったが、これは必ずしも共有

うみがめ

「ウミガメみたいに生きたい」と思った。 ウミガメのこと全然知らないのにそう思った。 ウミガメのこと全然知らない人がそんなことを思っていいんだろうかと思いながらも、ウミガメが泳ぐあの感じのように生きたいとけっこうしっかりと思った。 ウミガメは、手をゆったり動かしながらゆうゆうと泳いでいた。 いいなあ、泳ぐときに手がゆったりと動いているの。いいなあ 赤ちゃんウミガメは手をバタバタさせて泳いでいた。 赤ちゃんのときからゆったり泳いでるんじゃないんだなあ。だんだんとゆったり泳げ

八方美人

前のことしんどいから後回しにするのはよくない。 しんどいのは、SNSを見すぎてるから。体の血流が滞ってるから。十分な時間外に太陽光を浴びてないから。 しんどいといってはいけない。 思っててもいいけど、みんなの前でいってはいけない。 私は変えられないかもしれない毎回来るたびに気分が悪くなる街だ。 どこを見ても広告がチラチラ私と目を合わせて来て、注意して歩かないと人とぶつかって、地下アイドルの宣伝をする若すぎる女の子たち、メン地下の宣伝を若すぎる女の子にする若すぎる男の子たち

隠喩としてのごはん

 職場の昼休憩は1人で本を読んでいたい。かつてはそれが許されていた。感染予防とかなんとかで、昼ご飯中は誰とも喋ってはならない。なので、各人自分のスマホだけを見ながら、黙々とごはんを食べることが日常化していた。そのとき私はスマホを見るのではなく、本を読んでいた。  今はそれが許されない。昼休憩に行くとだいたい誰かがいて、向かい合って何かについて、喋っている。そのとき必ずしもみなさんが楽しそうに喋っているわけではないのだが、かといってそこに参加しないわけにもいかない。自らの社交性

自炊と許し

わたしは料理がすきです。突き詰めると、美味しいものを食べるのがすきで、料理はその手段のひとつです。自宅のキッチンで自炊をすることも、美味しいと評判の料理をお金を払って食べることももちろんすきです。自炊はしばしばストレス解消として、外食はしばしばご褒美として、傷ついたわたしの人生を立て直してくれるものです。後者は共感されることが多いものの、前者は人によってはむしろストレスを与えるものだと、捉えられることも少なくないでしょう。 「自炊する?」という質問は、実にカジュアルに行われ

意味狩り

 先週の土日は稲刈りだった。毎年そうなのだが、まあ~朝が早い。最年少である私は5時まえには起きて、作業に必要な諸々の準備をしなければならない。そのことが分かっているにもかかわらず、前日の贅沢夜更かしが、どうにもやめられない。稲刈りの前の静けさ。真っ暗な部屋で電気スタンドをつけ、若干の緊張感に包まれながら、小説を読む。大江健三郎さんの『万延延年のフットボール』。至福の時間。  生まれてから最初の3年くらいは、もう少し町っぽいところに建てられた団地で暮らしていた。らしい。ぼんやあ

静止(生死)

ある日①(10月7日) わたしの姉の誕生日。そして、昨年産まれた姉の子ども、わたしの甥の誕生日でもある。母子同じ誕生日なので、誕生日会は盛大になった。わたしたち家族(シックスポケット+わたし)は、彼らが産まれてきたお祝いをした。談笑し、ケーキを食べ、まだつかまり立ちまでしかできない甥(あるいは息子、あるいは孫)を見守った。彼が笑顔になると、周りもつられて笑顔になる。今日はいい日だった。 この日、報道によれば、イスラエル側で少なくとも40人、パレスチナ側で少なくとも161人が

生き残り

I have no interest in conversation with terrorist and terrorist supporters. We will not accept their blood thirst on our borders anymore. すべてのものが虚無となった後に、ふと空爆によって燃え上がる炎を見て、もしも、その炎の色や形が美しいと感じることができたなら、その人がいかなる立場であるかは差し置いて、それはその人が人間性を取り戻した瞬間

宇宙人の目、動物の目

 人間が抱える「ふつう」の感覚に疑いをもつ人は、人間ではないものの目を借りようとする。例えば宇宙人の目を。  宇宙人の目を借りることは、世界の見え方を一新するのに役立つ。私たちが全く理解不能などこかの外国語と日本語が、宇宙人からすると完璧に同じ記号の体系に見えているかもしれない。それどころか私たちのコミュニケーションすべてが、一つのなめらかな水の流れのように見えているかもしれない。言語の壁と君たちが呼んでいるものは幻想であり、にも関わらずそのような幻想にいつまでもしがみついて

向かい続ける

みました? 『こっち向いてよ向井くん』 面白いドラマや映画は数多くあるが、心にパンチを喰らうようなものは少ない。現実社会から受けた疲労とストレスを解消するためにエンタメをみている側面があるから、むしろ喰らいそうなものはタイミングを図らなければいけない。社会問題を捉えたもの、自分の古傷に触れそうなものは気力体力が満ちているときにみる必要がある。 心にパンチを喰らいながらも、欠かさずみてしまったこのドラマ。 前半はシンプルなラブストーリーとして進行する。恋愛に悩みを抱える主

長いものにごまかされる

 長編小説がどうして素晴らしいのかと言えば、それは読むのに時間がかかるから。文字通り長い。どれだけ頭の良い人であっても、少なくない時間と労力をかけなければ、長編小説を読み終えることはできない。  読み終えたあと私は満足感に浸る。わざわざ買って読んで良かった。アイスコーヒーをちびちび飲みながら、少しづつ別のことを考え始める。あれ、具体的に何が良かったんだっけ?  一般にひとは自分のかけた時間と労力になんとかして価値を見いだそうとする。だから長編小説を買って読んだあとの満足感も、