見出し画像

向かい続ける


みました? 『こっち向いてよ向井くん』

面白いドラマや映画は数多くあるが、心にパンチを喰らうようなものは少ない。現実社会から受けた疲労とストレスを解消するためにエンタメをみている側面があるから、むしろ喰らいそうなものはタイミングを図らなければいけない。社会問題を捉えたもの、自分の古傷に触れそうなものは気力体力が満ちているときにみる必要がある。


心にパンチを喰らいながらも、欠かさずみてしまったこのドラマ。

主人公・向井悟(赤楚衛二)は母・公子(財前直見)、妹・麻美(藤原さくら)、麻美の夫でスパイス&バーを営む元気(岡山天音)と実家で暮らす33歳会社員。雰囲気良し、性格良し、仕事もできるイイ男、なのに元カノ・美和子(生田絵梨花)との別れを今も引きずって、気づけば10年恋をしていない。
そんなある日、向井くんの職場に中谷真由(田辺桃子)がやってきて…「あれから10年、給料も上がったし、仕事も余裕出て来たし…今の俺なら…」
恋の相談相手・坂井戸洸稀(波瑠)らを巻き込み、恋愛迷子たちのラブストーリーがこの夏、始まる!

ストーリー 第1話|こっち向いてよ向井くん|日本テレビ https://www.ntv.co.jp/mukaikun/story/01.html より


前半はシンプルなラブストーリーとして進行する。恋愛に悩みを抱える主人公向井が新たな出会いを前に奮闘し、周囲の人間を巻き込んでいく。
ドラマの半ばで、ついに元カノ美和子と再会して、ストーリーがぐっと動き出す。ドラマ前半に出会ったさまざまな意志をもつ女性たち、美和子や洸稀、妹夫婦らとの関わりのなかで、向井が信じてきた恋愛のかたちや男性としての役割を再考し、ひいては自分なりの〈幸せ〉のあり方に肉薄していく。

向井はとにかくどこにでもいるキャラクターをしている。この「どこにでもいる」というのは、向井自身のキャラクターではなく、向井があらゆる〈普通〉を内面化していることを指している。恋愛や結婚、それ以外の何かにも、それらに伴う「そういうもの」を信じて疑わないのだ。好きな人の要求には応えるもん、結婚するのが幸せなもん。わたしたちが成長するにつれてなんとなく形成させられる〈普通の幸せ〉を追い求め、そのための不都合を正直に引き受ける。

ドラマの前半には気づかなかったが、一貫して自分の考えから生まれた信条に肯定し、そうではなくて、不用意に、浅慮に自分の外側の何かに流されているが故の言動には徹底して踏み止まるように描かれている。向井や元気の「そういうもんでしょ」や今まで恋愛ドラマで理想的に描かれてきた「こうしたら喜ぶんじゃないの?」に対して周囲の人々が嗜め、疑問をぶつける場面が多くみられる。自分の外側にある構造や体制に絡め取られている姿勢への批判である。

いわば餃子だけを食べたいのにメニューに餃子定食しかないような店で、仕方なく餃子定食を注文する人や、単品餃子を提供しない店への批判である。定食にくっついているサラダみたいなやつは、浅慮が故に引き受けた痛みだ。せっかくだからおいしく食べよう、いや、むしろ美味しいと思わなければならないという捻じ曲がったポジティブさ(toxic positivity)はブレずに拒否されるだろう。自分が食べたいものを思い出せ、ならば店を変えろ、と。


またある時には、そうやって誰かの短慮を責めていた側もあっという間に責められる側に回る。わたしたちはそれほど簡単に根拠のない〈普通〉を受け入れ、時に苦しんでいる。これが外側から押し付けられたルールなのか、自分が希望した前提だったのかを忘れないでいられる人はそう多くない。また、ある場面では厳格なのに違う場面では極めて〈普通〉な人もいる。難しい。けれども、自分が不用意に内面化した〈普通〉に向き合うことは、それを解きほぐし、純な幸福を追求するために必要なのである。そうしてそれは、他の誰かを傷つけることを防ぐ。他人の口に無理やり餃子定食のサラダを押し込めるような態度から、脱却することができる。

このドラマのもう一つの心にパンチを喰らう面は、「まあいいか」を許さない態度だ。登場人物は自分の不満や希望を考えに考え抜く。もちろん、そうしなければドラマにならないというメタ視点もあるのだが、それでも、考え続ける苦悩は物語を魅力的にする推進力になっている。

「なんか嫌なんだ。」では済ませない態度は、希望に満ちていると思う。近頃よく耳にする「モヤモヤする」という表現は、何か思うところがあるにもかかわらず詳細な言語化を省くような、楽をして不満を伝えようとしている表現だ。なぜか不機嫌で空気を悪くするおじさん(いや、自分もやりがちなのだが……)と同じだ。突き詰めて、突き詰めて、今すぐ答えが出なくても楽な表現には逃げずに、考え続ける。わたしたちを苦しめる〈普通〉から解放されるためには、向き合って輪郭を捉え、少しずつ削っていくしかないのだ。

ちょっといい醤油を買います。