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Mr.Childrenの歌詞を“ブルガリア語”翻訳してみた。

Mr.Childrenと人生を歩んできた

母の影響で、生まれる前からミスチルを聴いており、気がつけばミスチルの大ファンになっていた私。

幼稚園の送り迎えの車の中では、当時発売したばかりのアルバム「I♡U」が流れていた。

私が幼い頃はライブに行くことはなかった母だったが、小学校6年生(当時12歳)の時に初めて、母と一緒に「TOUR POPSAURUS 2012」へ行った。

初めてのミスチルのライブが、5月9日の京セラドームで行われたポップザウルスツアー公演だなんて、今思うと贅沢だなと思う。

今年、ミスチルはデビュー30周年を迎え、コロナ禍以降で初のドームツアーを開催した。

残念ながら、留学中の私は参加することができなかったが、母は東京ドームでのライブに行き、久々のミスチルを思う存分に味わったようだ。

最後に行ったライブ
私とミスチルについては、書き足りないので今回はこの辺で。

ブルガリア語で翻訳をした理由

さて、今回はかねてからずっとやりたかった、ミスチルの歌詞の外国語翻訳に挑戦してみた。

今回の言語は、ブルガリア語。

ブルガリア語を選んだ理由は、ブルガリアに留学中だからというのもあるが、やはり「ブルガリアで出逢った友人にミスチルの歌詞を知って欲しい」というのが1番だ。

ミスチルと共に人生を歩んできた私の価値観の90%は、ミスチルで形成されていると言っても過言ではない。

そこで、私の気持ちを伝えるという意味も込めて、ブルガリア語で翻訳をしようと決めた。

Mr.Children歌詞、外国語翻訳

『星になれたら』 

小学生の頃は、親の仕事の都合で転校した時、上京し1人暮らしを始めた時、留学で初めて日本を離れた時。

誰かとお別れをしたり、自分で決めた挑戦に少し不安になる時、この曲は「この瞬間は夢の動き始めなんだ」と、いつでも背中を押してくれた。

今回訳した部分はこちら↓

何かに つまづいた時は
空に手をかざしてみよう
この風は きっとどこかで君と
つながっているから
Mr.Children「星になれたら」

ブルガリア語版

Когато се препъна по пътя, ще стигна ръцете си до небето.
Защото аз вярвам , че някъде там този вятър е свързан с теб.

<解説>
この歌詞は、「この風はきっと どこかで君と繋がっているから」の部分で韻が踏まれている。

ここを踏まえ、二つの工夫を施した。

まず、ブルガリア語版では「この風はきっと どこかで君と繋がっていると私は信じているから」と訳す。

そして、「някъде(どこかで)」に「там」(タム)という意味を持たない強調表現を付け加えた。

こうして、「вярвам ビャルヴァム」(信じている)という単語を使うことで、上述の韻の存在の表現してみようと考えた。

「там」と「вярвам」で韻を踏むことが出来た、というわけだ。

『花 ~Memento-Mori~』

ミスチルの中で自分が「名曲だ」と思っているものは沢山あるが、「花」はその中でも特別名曲だと思う。

「悲しみをまた優しさに変えながら生きてく」

「悲しむことは決して悪いことではなく、辛いことや悲しいことがあれば、悲しめばいい。その悲しみの中でもがいた人は、強く、優しくなっているんだ」と、悲しみを乗り越えた分だけ人の痛みのわかる人になれたらと考えることが出来た。

そんな名作「花」で、今回訳したのは、この部分。

負けないように 枯れないように 笑って咲く花になろう
ふと自分に 迷うときは 風を集めて空に放つよ
Mr.Children「花 ~Memento-Mori~」

ブルガリア語版
「Цветя」

Нека не се загубим и изсъхнаем.
Нека да бъдем цвете цъфтяцо за смях.
Когато изведнъж се изгубя в себе си, да поемаме си събирам вятъра и го пускам в небето.

<解説>
この歌詞は、非常に詩的だ。
ゆえに、直訳に近くするか意訳するべきかが迷う点であった。

しかし、今回訳した「風をあつめて空に放つよ」という歌詞が、この曲の冒頭の「ため息色した通い慣れた道」という歌詞との組み合わせにより、「ため息」と「深呼吸」という対比構造になっていることを表現したいと思った。

したがって、基本的には直訳に近い翻訳をしつつも、「ふと自分に迷う時は 深呼吸をして、風をあつめて空に放つよ」と訳すことに。

ちなみに、ここで出て来た「Цвете」という言葉。
これは、「Цветя」(花)という意味の単語に“冠詩the”が付いた「the flower」という言葉だ。
ブルガリアには、女性の名前で「Цветя」が使われることが非常に多く、「美しく咲く花」はどの国でも女性の名前で人気なんだなと感じる。

『風と星とメビウスの輪』

ここ数年で、「人に与えることは与えられることなんだな」と感じている。

愛情深く生きている人は、やはり誰かからも同じように愛されているなと思うことが多い。

人に優しくされるから、優しさとは何かを知り、人にも優しくすることが出来る。

また、ブルガリアに来たばかりの頃は、差別をしてくる人に対して「なんだあの人、本当に嫌な人だ」と怒りと悲しみしか感じられなかった。

しかし、次第に「この人たちは、どこかで誰かに傷つけられたりして、誰かを攻撃するることで自分を保つしか無いのかな」と考えるようになった。

そう考えると、「誰かからの意地悪に対して、怒りの感情を持っても何も生み出さない。負の連鎖は自分で終わらせて、自分自身からは優しさを生み出せたら」という気持ちになった。

そんな、私なりの生き方を導いてくれた「風と星とメビウスの輪」

今回は以下の部分を翻訳。

抱かれて 磨かれて
輝くことで また抱かれて
君と僕が
そんなメビウスの輪の上を歩けたなら
Mr.Children「風と星とメビウスの輪」

ブルガリア語版

Бъдем обичани и бъдете любезни 
Бъдем  обичани заради добротата.
Надявам се , че ти и аз  живеем по такъв мъобиус кръг

<解説>
「君と僕がそんなメビウスの輪の上を歩けたなら」の部分は、直訳すると仮定形を用いた「もし〜」という表現になってしまう。
しかし、この部分は「〜歩けたなら良いなと思う」と考えるほうが自然。

したがって、「君と僕がそんなメビウスの輪の上で生きていくことを願う」となるように翻訳した。

*「живея」(動)生きる/生活する(一人称単数形)
      主語が「私たち」だとживеемに形が変化する。

他にもまだまだあるのだが今回はここまで。

かなり自己満足の記事をここまで読んでいただ皆様、ありがとうございます。






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