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日記・84:煙管

今日は、じいちゃんの命日だった。

いい大人なのだから、本来であれば、「祖父」と記した方がよいのかもしれない。でも自分にとってはいつになっても大好きな「じいちゃん」なんだ。

じいちゃんは、自分が高校二年の秋亡くなった。
当時はまだ携帯電話が一般的でなく、家から学校に連絡があった。
寮に着替えを取りに行き、市電とバスを乗り継いで帰宅したのだけれど、どんな気持ちでいたのか、何を考えて座席に座っていたのか、記憶に無い。


じいちゃんは、時代劇が大好きだった。
小学校から帰ると、いつも時代劇の刀の音がテレビから流れていた。

水戸黄門、大岡越前、仕事人、遠山の金さん、破れ傘刀舟、長七郎江戸日記・・

じいちゃんの事を思い出す時、必ずほろ苦い記憶が蘇る。

じいちゃんは、テレビを観ながらいつもキセルをふかしていた。
火皿にタバコ葉を丸めて入れ、マッチで火を灯し吸口を咥えてプカプカ。

子供ながらにそれが美味しそうで、カッコよくて、学校帰りのおやつを食べながら、その姿を毎日眺めたものだ。

じいちゃんの横に座り、時代劇を観ながら宿題をするのが日課だった。

コーン、コーン!!

キセルの灰を落とす心地良い軽快な音を、今でもはっきり覚えている。

ある時、来客があり、じいちゃんが玄関で長話をしていた隙をみて、キセルでタバコをちょっとふかしてみた。

あまりにも苦く、ゲホゲホ咳込んでしまい、涙と鼻水が止まらなくなった。

用を済ませたじいちゃんが、この小童のいたずらを目撃して、黄門様のように高笑いした。

「こりゃお菓子じゃなかっぞ。大人にならんば味は分からんぞい」

そう言ってまた笑い、お客さんからもらったバームクーヘンを出してくれた。タバコなんか絶対吸うもんか!!と、子供ながらに誓った。


人の命は無限ではない。
なんの為に生まれ、なんの為に生き、
なぜ死んでいくのだろう。

じいちゃんは、もうこの世にはいない。

空に浮かぶ、タバコの煙のような雲を見る時、決まってじいちゃんの顔を思い出す。
年季の入った大きな煙管を持ち、煙を吐きながら声を出して笑っている。
まるで遠山の金さんや、黄門様のように。
幸せそうに。

煙のように現れてはふうっと消える。

じいちゃんの事を思い出す時、なぜかほろ苦い思いがするのは、きっとあのタバコ葉の味のせいなんだろう。

コーン、コ、コーン!!

タバコの香りに混じって、遠い記憶の彼方のその先から、軽快な煙管の声がする。

香ばしく、ほろ苦く。

 

 

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