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2018.5-2020.10 Thailand / 2022.2-2023.10 Ok…

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2018.5-2020.10 Thailand / 2022.2-2023.10 Okinawa / 2023.11- Tokyo 備忘録。少しでも、どなたかの心に残ると幸いです。

最近の記事

わたしのシゴト

随分、間隔が空いてしまったnote。 ふと思い出したので、今の心境を書き留めておきたいと思います。 早いものでバンコクから帰国して3年。 帰国後は、定住地が決まる時が来たかぁ~ なんて少し寂しく思っていたものの 京都、大阪、沖縄、東京 引っ越しを4回経験するくらいには 
それは、それは、充実した3年間でした。 30代に突入し、柔道整復師として10年。 20代前半のような無限の体力はなくなってしまったし 良くも悪くも治療に対するマイルールができた 仕事より優先し

    • 帰国して「4週間」

      半袖に、リュックに、ビーチサンダル。 行きたいところがあれば 片手で合図し、バイタクに乗る。 そんな、毎日から一転、、、 ニットに、髪を巻いて、ヒール。 人混みなんて、上手くかわせる訳もなく 片手にiphoneを握りしめて、電車に乗る。 東京・池袋で約2週間を過ごし 1年ぶりに実家に戻って来ました! 、、、落ち着きますね。 穏やかな海がたまりませんね。 バンコクや東京みたいに 見上げるほどの高層ビルはないし 人混みなんて、かわさなくていいし バイタクや電車も

      • 「883日」の経験

        タイでの最終勤務を終え 無事、日本に帰ってきました。 ただいまー!日本。 やっと想いを言葉にすることができ 気持ち的にも、少し落ち着いたので 忘れないうちに、振り返っていきたいと思います。 ※長くなりますが、お付き合い下さい。 --------------------------------- 初めてタイという地に、足を踏み入れて あっという間の2年半でした。 初めて空港に降り立った時のげんなりするほどの湿度の高さ。 傘なんかさしたところで全く意味のないスコ

        • 「帰国」という選択

          いつの間にか、タイ生活も残り4週間。 あんまり実感が湧かない というのが、正直なところです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「何で帰国するの?」 「タイでやり残したことないの?」 と最近よく聞かれるのですが、、、 正直。心残りはありません! 近場の「THE 観光地」には行ったし バイク通勤というタイらしさも味わえた。 食あたりすることなくタイ料理も食べれたし タイ語は、ほとんど上達しなかったけど、、、

        わたしのシゴト

          タイという地で「3回目」

          実はつい先日、30歳になりました! 27歳の時に、初めてタイに来て3回目の誕生日。 ‐‐‐--------------------------------------------- タイに来る前の私は、、、 相変わらず、早起きは苦手で。 ただ仕事には、それなりに慣れて 職場とアパートを行き来する毎日。 先輩たちが他店舗移動や独立で 一気にいなくなり、ドタバタしていても 休憩なんか、ほどんど取れなくても それなりに充実した毎日を過ごしていました。 ふと「このま

          タイという地で「3回目」

          いろんな「在り方」

          …あれ?こんなに短気だったっけ? 日本で怒ることなんか、滅多になくて。 友達が怒ってるのを、なだめる係でした。 「よく、そんなに毎日怒ることあるなぁ~」 と逆に関心していたくらいだったのに。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ ※ここからの話は私のタイ語レベルの問題もあります。 カフェの注文1つにしたって スムーズに伝わらない上に 注文した物と別の物が来る。 コンビニのレジで商品を持って並んでるのに 見向きもせず他のスタッフと楽しそうに話してるし。

          いろんな「在り方」

          ちゃんと「得る」ということ

          2017年9月 タイに住み始めて数ヶ月。 見るもの全てが新鮮で、、、 全てにワクワクする毎日、、、 そんな日々は、いつの間にか 私の日常になりつつありました。 休みの日は、昼まで家で過ごして 近所のカフェや買い物に行く。 お洒落なカフェが多かったり 日本語の看板をたくさん見つけたり 謎の魚を焼いてる屋台があったり。 でも、やっぱり日本じゃないので 「言葉が通じない」ということがネックで カフェに入るのも、買い物をするのも 相当な勇気が、私には必要でし

          ちゃんと「得る」ということ

          「お国柄」でしょうか。

          窓をたたく雨の音。ドーンと響く雷の音。 雨季に入り、バンコクは毎日のようにスコールで 停電や冠水は、当たり前でした。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ リニューアルオープンから2ヶ月過ぎた2018年7月のこと。 チラシやSNSの効果もあるのか 少しずつ新規の方の来院数が増え始めました。 日本人の方の予約は、1時間30分枠。 タイ人の方の予約は、余裕をもって2時間枠。 何故なら、時間通りに事が進まないから。 ※時間通りに来られる方も、もちろんいます。 予約

          「お国柄」でしょうか。

          「記録」として腹を括ってみた

          2020年6月15日 忘れないうちに「ミス柔道整復師」にエントリーして 感じたことを、記録として残しておこうと思います。 と、書き始めたのはいいものの… 言葉が出てこず、頭の中でぐるぐるして 全然まとまらず、時間が過ぎてしまいました。 やっとまとまったので、読んでみてください。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 昔から目立つのは、大の苦手。 学級委員とか、体育祭の応援団とか、部長とか よくやるなぁ…なんて他人事みたいに思う学生時代でした。

          「記録」として腹を括ってみた

          わたしの「道のり」

          まだ自己紹介をしていなかったので 少し長くなりますが、書いてみようと思います。 興味のある方は、読んでみてください。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 広島県の、とある病院で 一人娘として生を受けます。 父は、自営で船の仕事。母は、実家の手伝い。 釣りが大好きな両親の間に生まれた私は 物心が着く前から、船乗りでした。 幼い頃の記憶といえば… 夜な夜な、アナゴを釣りに出掛けたり 桟橋に灯りをつけ、投網でイカを捕ったり 母が作ってくれた、おにぎりとカッ

          わたしの「道のり」

          通用しない「当たり前」

          6月中旬。 「え、どこだっけ?」 寝床が施術ベッドから、普通のベッドに変わり 見慣れない壁、見慣れないカーテン。 「あ、そうだ。引っ越したんだった」 そんなことを思いながら いつもより丁寧に化粧をして、アパートを後に。 頭の中で、タイ語を繰り返しつつ バイクタクシーに行き先を告げ、職場へ向かいます。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ オープン当初の予約数は、たった数名。 LINEのアカウントを作成したり POP作成やSNSの更新に明け暮れる日々。

          通用しない「当たり前」

          「こだわり」への変化

          コロナの猛威で自粛真っ只中のタイ。 ほとんどの店舗は一時閉鎖で 開いているのは生活に必要最低限な場所ばかり。 こんな時、デリバリー文化が根付いている タイという地に、頭の上がらないmihoです。 本来4月13日~15日は、お正月「ソンクラーン」 民家の入口には、ホースを持って子供が立っていたり コンビニの駐車所では、簡易プールが設置してあったり バイクに乗った2人組が、水鉄砲を浴びせてきたり… と去年までは、国全体がお祝いモードでした。 今年は一時帰国し、学生

          「こだわり」への変化

          新天地「タイ」へ

          2018年5月26日 4時50分頃 約40分遅れの飛行機で到着した ドンムアン空港に、私はいました。 初めて訪れる国。 初めて一人で乗る飛行機。 初めてみるモノや風景や人たち。 それら全てが相まって、眠気は吹っ飛び 今まで感じたことのない、高揚感に包まれました。 無愛想なイミグレーションのスタッフさん。 そんな彼女の仕事ぶりに呆気に取られながら、いざクリニックへ。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ この日に至るまでの、私はというと… 友人Tから誘いがあ

          新天地「タイ」へ

          人生の「分岐点」

          「バンコクでクリニックするんやけど…」 2018年5月、私の平凡な人生に 突然、思いもしない選択肢が現れました。 そう。それは「海外で働く」ということ。 「柔道整復師」という国家資格を勝ち取った私は その後、地元では有名な整骨院に就職。 ある日、ふと「このままでいいのかな?」 と、アパートと職場を行き来するだけの3年間に 周りに相談することなく、終止符を打ちました。 整骨院に就職するまでに紆余曲折あるので それはまた今度、お話させて下さい。 「自宅でサロン始めよ

          人生の「分岐点」