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積読が200冊ある

お恥ずかしい話シリーズである。
根幹は、買ったりもらったりしたものが開けられなかったり新品のものを扱うのが苦手だったりするのと一緒だ。

積読が200冊ある。
数えていないので、正確ではないが。
また、漫画を含んでいる。30巻とかある漫画をそれぞれ1冊ずつカウントしている。だから膨大な数に感じられるだけかもしれない。いや、漫画を除いてもやっぱり100冊近くはあるような。今この狭い穴ぐら(※わたくし名倉有夢《あむ》は、バーチャル東京のどこかにある穴ぐらにて、くまさん寝間着を着て年中冬眠しているバーチャルおねえさんである)にある漫画ではない積読本を数えてみたら45冊あった。故郷(※所謂、実家)にもたくさん本を置いている。おそらく同じかそれ以上の数の本が眠っているだろう。うーん。もしかして漫画込みにしたら200冊どころじゃないかもな? ちょっと目眩がしてきた。
とりあえず、どうしてこんなことになってしまったのか、順を追って説明していこうと思う。
「本が好きな子供」だった。図書館が近所にあったのが大きい。図書館の本を読むのは、お金のかからない娯楽として最適だった。柔らかな陽の光が差し込む、静かで穏やかな図書館の隅で、児童文学のページをめくるのを至上の幸せとしていた。
小学校という施設は往々にして子供に本を読ませたがる。教室の壁に、図書室の本を借りた数ランキングが掲示されるようになった。私は、特段理由もなくその順位に躍起になり、たまに、5分で読み終われるような、何とかのひみつ、とか、わかったさんこまったさん、とかを挟みながら、トップランカーを目指し続けた。休み時間のうちに借りて次の日の休み時間までに読み終わりたいと考えると、何を読むか悩んでいる時間が勿体なかったので、赤川次郎の傑作選30冊くらいを端から端まで全部読んだ。今思うが、結構セクハラじみた描写がきつかった記憶があるので、未だに小学生向けとされているのは割と問題なのではないか。
中学にあがるときに、親に名著『思考の整理学』をもらった。読んだ。さっぱり理解できなかった。でも、私は読書家ですが? という顔を続けた。読書家である必要に迫られていたのである。文学少女の心には、いつしか作家になりたいという夢が芽生えていたのだ。作家志望が本を読めなくてどうする。誇示のために、足繁く図書館に通って、大量に本を借りてきて、過集中と速読能力と暇をフル活用して浴びるように本を読んだ。流石に児童文学を卒業して、大衆文学に手を出すようになる。文芸棚を端から端まで眺め、タイトルや装丁だけで本を選び、自分の好き嫌いなんて考慮せず何でも読んだ。……と言いつつ、石田衣良とか重松清とか伊坂幸太郎とかばっかり読んでいた気がする。読みやすかったので。そのくせ、「IWGP」シリーズは読んだことがない。
友達の影響で深夜アニメを見始めるようになった。『涼宮ハルヒの憂鬱』にどっぷりハマり、「涼宮ハルヒ」シリーズを全部揃えて何周も読んだ。私も北高に通ってSOS団を創設したい! と幾度思ったことだろう。残念ながら近隣の「北高」は結構偏差値が高く、私の学力では到底入れそうもなかったので断念。今度は違う友達に勧められて、「戯言」シリーズを全巻読んだ。文体が西尾維新に汚染された。あの文体は強すぎる。同時期に『めだかボックス』が連載されていたのも大きい。あれは中学2年生のときにリアタイしていい漫画じゃない。余談、かつ黒歴史の話なのだが、ハマりすぎて友人に「戯言」っていうか西尾維新っぽい二つ名をつける遊びをしていた。「発酵した太陽《チーズ》」とか。何やってんのマジで。
だが実際のところ、中学時代は、暗黒の日々だった。凡そ予想のつきそうな、典型的な理由によって。クラスに居場所がない私は、学校の図書室で静かに本を読むか寝たふりをする他なかった。数少ない友達と、先述のように本や漫画の話で盛り上がるのが、学校生活の中の僅かばかりの楽しみ。半ば不登校になりかけていた私が、学校をサボって行くところはやっぱり近所の図書館だった。自然と、同じような仲間たちとの集合場所は図書館になっていた。宿題をいやいや済ませたり、テスト勉強をしてみたり、私語をして司書さんに怒られたり、ただ隣に居て各々本を読んでいたり。
いつしか本に囲まれていると心が安らぐようになっていた。
それは高校に入っても変わらなかった。自称進学校の厳しい校則と大量の課題に適応できず、周りから浮いて、陰口を叩かれるようになって、退学まで考えて、そんな私の逃げ場は、やっぱり本棚と本棚の間だった。
周囲が私を蔑むのだと泣く私に担任の国語教師が渡してくれたのが、『風葬の教室』だ。作家志望で、自称読書家で、いつも図書館か図書室に居る私への、処方箋。
読んだ。
ぶっちゃけ全然好きじゃなかった。
でも、本の力を信じている国語教師には少しだけ信頼が置けた。
本には力がある。
本には権威がある。
本が好き、すなわち文学が好きだと思い込んで、文学部に入学した。作家になりたいなら当然文学を学ぶべきだろうという間違ったこだわりもあった。
そこで初めて、私は、読書のしんどさに直面することになる。
大衆文学ばかり読んでいたからかもしれない。近代純文学の、日本語が確立されていないがゆえに堅い文体や、クラシックな翻訳文体は目が滑るばかりで、何も頭に入ってこない。でも課題だ、読まなくてはいけない。これらの本には権威があり、人生において必ず読むべきで、理解できないなら文学の何たるかなど何らわかっていないのと同義なのである!
1年もしたら心が折れた。ついでに筆も折ろうかと思った。私は本が嫌いなのかもしれない。周囲には真に本が好きな人がたくさん居た。毎日1冊は読むし、作家や作品の話で日々盛り上がっているし、本屋に行ったらあれこれ買うし、古本屋大好きだし、図書館にこもりきりだし。私はどうだ? 毎週の課題の本を講義の前日に徹夜で読むのがやっとで、それらも全然頭に入ってこなくて、要領を得ない書評ばかり提出して、これ以上本がほしいなんて全然思えない! 大学の図書館なんて、空きコマに寝に行くための場所だ。
本の力と権威――本来は惹かれていたはずのそれら――に気持ちが負けてしまって、書店や古書店や、あんなに愛してきたはずの図書館に連れて行かれる度、目眩と吐き気がするようになった。私はこれらを理解できない。私はこれらと和解できない。私は愚かで、文学的センスに欠けていて、それを補うほどの文学的素養を育てるために本を読むこともできない。この世にはこんなにたくさん本がある。毎日講義でこの本が素晴らしいと紹介される。でも私にはそれが読めない。本が怖い。本が読めない自分を、頭が悪い自分を、文学に向いていない自分を、作家になれない自分を、認めたくない!
どうやって立ち直ったのか。当時所属していた文芸サークルで、『ハーモニー』が流行っていた。先輩が貸してくれたので読んで、難しかったが、確かに面白かったのを覚えている。だが、皆が頭のよい考察や批評を交わし合っているのにはついていけなかった。やっぱり私は馬鹿なんだなと思った。そんなある日、サークル内で部誌を作る際の編集長をしていて、いつも本を何冊も持ち歩いている同じ学科の先輩に、『ハーモニー』を読んだか聞いてみた。
「1ページ開いてミァハ(※人名)ってどう発音するんだよって思って閉じた」
そんなんでいいんだあ。
肩の力が抜けた。
それから、考えた。私は、本が好きだ。でもたぶん、物質として好きなのだ。手にとるとウキウキする。囲まれると安心する。だが読書は嫌いだ。読むのだるい。読み進めてみたとて好みじゃないかもしれないし。目ェ滑るし。途中でSNS見たくなるし。
別に読まなくていいんじゃね?
割り切ってからは、コレクション意欲がふつふつと湧き上がるようになった。本という物質が山ほどほしい。自分を囲んでくれるくらいあるといい。除籍図書を積極的にもらって帰る。古本屋で、ちょっと名前や作者を知っているだけの本、タイトルが気になる本、装丁が可愛い本を買う。図書館で本を選んでいたときと同じ基準で手にとる。どうやら、本って課金すると返却しなくていいらしい。催促の鬼電がかかってこない。そう、図書館愛をつらつら書いてみたはいいが実態あんまりちゃんと本を返していなかった。ど阿呆。
そんなことを数年続けていたら、読んでいない本が大変膨大な数になっていた。
まあでも、いいかな、と思っている。
いつか読むかもしれないし。
本は力であり権威だ。読み切れる人など絶対に存在しないほどこの世に溢れ返っている中で、なんの因果か偶然私の手元にある本は、もしかしたら私の力になる日が来るかもしれないし、私の権威を増強してくれるかもしれない。運命的な出逢いを果たした本たちを、私は今日も積んでおき、自分のポテンシャルとして可視化している。
いつか、でっかい穴ぐらに移り住んで書斎を作りたい。背の高い本棚を壁一面に置いていき、読んだことない本を隅から隅までたくさん並べる。座り心地のよい椅子と機能的な机を据えて、読書……はたぶんしないけど。そこはきっと、私のためだけの、パーソナルな揺り籠だ。

追伸
電子書籍は悪い文明です。
紙派! とかそういう退屈なことが言いたいんじゃありません。
可視化できないから、ないものとして扱ってしまうんです。
つまり。
ここまで触れませんでしたが、私の「漫画の」積読はほぼ電子書籍であり、かさばらないがゆえに読まずに放置していて、その冊数は84に及びます。
そして恐ろしいことに、物理的に存在する本と違っていつか消える可能性を秘めていて、「いつか読む」と思っている間にサービスが終了してしまうかもしれません。
ないものとして扱うどころか、ないものとなりかねない。
なんて儚い存在なんでしょう。
中古で買えないから高いし、中古で売れないから失敗できないし。
それでも電子で買ってしまう。漫画は場所とるから。この狭い穴ぐらに漫画の侵入を許したら寝る場所がなくなる。
今、電子書籍化されていない『SLAM DUNK』がほしくてめちゃくちゃ悩んでいます。
ちなみにそもそも電子じゃない漫画の積読も27冊あります。
友達に、「読んでないやつ読んでから次買いなよ」と言われてから少し躊躇うようになった自分が居ます。
でもなかなか手がつけられません。
どうすんの、これ。
まあでも、いいかな(よくない)。

https://twitter.com/anagramargura
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あなぐらまえすとろ

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