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読みたいときに訪れる、自分用の本棚。
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#エッセイ

わかり合えないなら、わかり合いたい。

わかり合いたい、という気持ちはどこから来るのだろうか。 国籍、年齢、性別、いろんな【ちがい】はあるけれど、視野をぐんと広げてみればそれらが世界をつくっているわけだし、同じ地球に住んでいる、ということなんだと思う。 反対に、わかり合えない、という気持ちはどこから来るのだろうか。 国籍、年齢、性別、いろんな【ちがい】が受け入れられない、ということかもしれないし、ひどい戦いによる悲しい何かがあって、その気持ちが報われない、ということかもしれない。 家に帰ると、TVには『ドリ

次の旅はどちらへ。

みんな、旅先はどういう風に選んでいるんだろう。 わたしの場合は、本屋さんの旅行本コーナーへ惹かれる国名を探しにいって、ネットでリサーチしながらいくつかの行きたい理由が見つかったら行くという方法で選んできた。 いくつかの行きたい理由は、この町並みを歩いてみたいとか、そこでしかできない特別な体験をしてみたい(e.g. 砂のホテルに泊まる、カッパドキアで気球に乗る、トマト祭りに参加する)とか、そこの暮らしに触れてみたいとか、そういうところから集めてくる。 さいきんは時々、Go

徒然日記。

目覚ましを止めて二度寝をして、1時間後に起きる。寝方が悪かったのか、シーソーゲームをしているバスケの夢を見た。 それから、近所のパン屋さんの新作「竹炭カンパーニュ」といつものコーヒー。うつわとカップは休日に使っているものを。 それから、SNSをチェックしていくつかメールを送り、1週間ぶりに窓を全開にして掃除をする。今日の日差しはとても気持ちがいい。本当はゆっくり本でも読みたいところだけれど、3月いっぱいまで厳しいかな(苦笑)。 そういえば、年末に買った本もまだ読めていな

はじまりを感じてみる。

ここから、はじまったんだった。 なにを話していたかは覚えていないけれど、行く当てのないむしゃくしゃした気持ちに耳を傾けてくれる大人の方がいたのは幸運だったと思う。相手の迷惑も考えろ! という話だけどね(笑)。 当時のわたしは、就職活動真っ最中。 しかも、第1回目の波が終わった頃のこと。同級生(正式には休学していたので、1つ下の学年)の子たちはどんどん決まっていく。いずれにしても、気長にやろうと思ってはいたけれど、ここまで決まらないものなんだと驚いた。最終面接まではたどり

朝霧のなかで。

今日、わたしは「夢」のためになにをしたのだろう。 思いつくのは簡単だけど、ほんとにやるのは大変だ。「実行=ほんとにする」ためには、身も蓋もないくらい具体的なことが必要なんだよね。夢も、そのために「今日なにをする?」が必要なんだ。 02月04日の「今日のダーリン」より 仕事内容はいったん置いといて、いい文章を読むこと、イラストを描くこと、インタビュー記事を書くこと、自分が書いた記事や携わる企画を発信すること。そんな日々の繰り返しでは、たしかに低空飛行なのかもしれない。 焦

花が咲く、すこし前のこと。

・世界中の人々が、それでも日本に来続けるのは「四季」があるからなんだと思う。同じ場所でも、季節ごとに表情が変わる風景や、時期ごとに味わえる旬の食材。それってやっぱり、唯一無二なんだろうな。 ・じぶんのしあわせと、ほかのひとのしあわせの基準がすこし違うことをわかってからは、ずいぶんラクにしあわせになれるようになった。わたしは、わたしのしあわせのために時間を使いたい。 ・やっぱり、わたしたちにはもっとたくさんの「失敗」が必要なんだと思う。ひとは失敗からしか学べないし、学ばない

20歳と6年。

成人式はもう、6年も前の出来事になる。 あの時たのしみにしていたのは、成人式よりも3月に予定していたトルコ旅行だった。旧友や恩師とのひさびさの再開はうれしかったけれど、わたしはきっと、過去よりも未来を見ていたかった。 かっこよく言ってみたけれど、結局は戻りたいと思えるほどの「過去」が、わたしにはなかっただけなのかもしれない。 二十歳という節目を迎えるにあたって、どの国でなにをしよう。それを考えはじめたのは、成人式を迎えるすこし前の、たしか11月頃のことだったと思う。

パッと思い出せる、2018年のスゴWEB記事10選

ライター・編集者でもある私、長谷川リョーが完全に独断と偏見と好みで、2019年のいま、昨年のWEB記事でパッと思い出せるくらい印象的だったコンテンツを10個選びました! 自分も一作り手であり、コンテンツ消費のフロー速度が極めて高いことに常々、刹那性を感じていますが、ここで良質すぎるコンテンツの数々を振り返り、ご共有できればと思います。 インタビューや分析記事からエッセイ、イベントレポートまで、テーマやフォーマットや媒体はバラバラですが、どれも必読の素晴らしい内容です。

時代をこえて、たのしまれるものを。

1000年後には、どんな世界があるのだろう。 いま古いものとされているものも、 つくったときには新しかったのだから、 いまを生きているぼくらも、怖れてばかりではいけない。 1000年後に、人を呼べるようなものをつくらなきゃなぁ。 実用だとか、効率だとか、機能だとかばかりで、 いまの人の目だけを意識してつくったものは、 ちゃんと古くなれないような気がする。 01月05日の「今日のダーリン」より。 のこるものはのこるだろうし、のこらないものはのこらない。 のこったもののな

クリエイティブは、ヒエラルキーを剥がす

音楽、おやつ、遊び、文学、絵画…。クリエイティブはヒエラルキーを剥がす力がある。社会的な序列にかかわらず、よいクリエイティブの前では、みんな一人のひととして、同じように心を動かされるから。 例えば、昔働いていた外資系大企業の、当時の日本法人CFOは、真面目なシーク教徒の男性だった。ターバンを巻き、いつも威厳のあるたたずまい。部下と世間話をしたのも見たことない。そのCFOを「レッチリのライブで見かけたのよ!めっちゃノリノリだった」と同僚が教えてくれた。「うっそ、まじで!信じら

旅は「わたし」の五感を育て、許すことを教えてくれる。

好奇心は、最大の防御なんだと思う。「わたし」を守るためのもの。 好奇心は、「わたしを変えてもいい」という 覚悟(あるいは無意識の衝動)があるってことなんだ 12月26日の『今日のダーリン』より。 好奇心のおもむくままに動いていると、思いもしなかった景色に出会えることがある。 その「おもしろさ」や「たのしさ」を一度味わってしまうと、たとえ先を予測しづらい場面でも、そんなに慌てなくなってくるし、むしろ、たのしめてくる。最後はどうにかなることを知っているし、案ずることそのもの

冬の1日。

昨日の夜から、今朝はランニングをすると決めていた。 理由は簡単で、年末に大学時代のサークルメンバーで「忘年バスケ」をすることになったから。年に一度くらい、かつて情熱を注ぎ込んでいた「バスケットボール」に触れるのはたのしいけれど、わたしたちのサークルは体育の授業の延長ほど甘くはない。 いまもバスケを続けている人たちに混ざる恐怖心から、ちょっとでも体を動かすべしと、罪滅ぼしのように朝と夜の2回走ってきた。 ツンとする冷たさのなかで走るのって、結構気持ちがいい。 :::

自分の内側にある「ことば」を探しに。

「本」が好き、というよりも「本屋」が好き。 うまくことばにできないもやもやした感情が生まれたとき、わたしはジョギングをするか、本屋に足を運ぶ。 ジョギングはエネルギーの発散と思考整理をするために、本屋は自分のこころに引っかかる「ことば」を見つけるために。 本屋に足を踏み入れると、四方八方どこを見ても活字だらけ。なにかこころに迷いがあるときは特に、たくさんの文字群からわたしが “求めている情報” を見つける作業をする。 そんな風に活字の海を旅してみると、そこにはいつも様

意図していない出会い。

地方で暮らしていると、ほしい情報をとりにいくことはできるようになるけれど、もうすこし「偶然」に身を委ねたいなと思うことがある。 贅沢なことなのかもしれないけれど、情報源の方々が近くにいる関係で、自分の嗅覚がすこし鈍っているような気がして。 意図していないところで出会うものごとは、ひとのこころを豊かにしてくれると思うから。 これが人口の多い地域なら、同じ状況であったとしても それ以外の情報が入ってくるのだと思うけど、人口が限られているからなかなか難しい。 インターネット