時代をこえて、たのしまれるものを。
1000年後には、どんな世界があるのだろう。
いま古いものとされているものも、
つくったときには新しかったのだから、
いまを生きているぼくらも、怖れてばかりではいけない。
1000年後に、人を呼べるようなものをつくらなきゃなぁ。
実用だとか、効率だとか、機能だとかばかりで、
いまの人の目だけを意識してつくったものは、
ちゃんと古くなれないような気がする。
01月05日の「今日のダーリン」より。
のこるものはのこるだろうし、のこらないものはのこらない。
のこったもののなかには、「のこしたい!」というだれかの意思があってのこってきたものと、たまたま運よくのこってきたものがあるのだと思う。
糸井さんが触れられていた「京都」のまちは1200年の歴史といわれているけれど、そのあいだにどれだけの「ひと・もの・かね・情報」がこの地を行き来してきたのだろう。過去に思いを馳せてみると、おもしろい発見があるかもしれない。
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渋谷のハロウィンを見ている限り日本に「祭り」的なものは必要なんだろうなと思うけれど、担い手不足で途絶えそうになっている地方のお祭りでは、彼らのなにかが賄えないらしい。
だれかが「のこしたい!」と思っている地域のお祭りを、渋谷のハロウィンに集うひとたちが担えば、課題は解決する気がするのにね。
それには渋谷のハロウィンに集うひとたちに、集う理由を訪ねてみないと・・なーんてね。
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わたしはこれから、未来にのこるものをつくることはできるのだろうか。
わたしがつくったものを見て、1000年後のひとたちがたのしんでくれるのなら、なにかしらやってみる価値はあるのかな。でも、冒頭に書いた通りで、のこるものはのこるし、のこらないものはのこらない。数をつくればなにかひとつくらいはのこるかもしれないな(笑)。
ちいさいわたしができること、必要とされること、ほんのちょっとのやりたいことをやってきた約3年間。26歳になる今年は、もうすこし踏み込んでいきたい。
ひとまずはこれまでと違う分野も含めて、必要とされることからやっていけたらいいのかな。ひとつの目安にしてきた「業務経験3年」にまもなくたどり着いてしまうわけだから、きちんと語れるものがないと次のステップにはつながらないよね。そういう意味でも、ふたたび筋トレ期間に入ろうと思っている。個人事業の幹を太くしていくようなイメージ。
それで稼げる見込みがあるのか、「わたし」を試す期間にもなると思う。1年後、おなじことを言っているようではおもしろくないじゃないもんね。しばらく書くことを休んでいたから、そのツケを回収するのは時間がかかりそう。
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