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読みたいときに訪れる、自分用の本棚。
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#地域

寝る前のメモ。

何かを伝えたい時に思想や哲学だけでは一方通行になってしまうので、それを双方向や多面的にするのがメディアやデザイン、クリエイティブの役割なんだと改めて感じる滞在でした。 風景や空間をはじめ、文章やプロダクトについても、ちゃんと宿っているところはいつだってすーっと心地がいいものなんだと思う。その辺りの共通項や正体を知りたくて、国外を旅しようと思っていた矢先でしたが、近くにもたくさん発見があることを思い出させてくれる一年だったのかなと思います。 年度末の慌ただしいタイミングでは

寝る前のメモ。

きょうは朝から畑作業。たくさん楽しませてもらった夏野菜に別れを告げて、再び土を掘り起こし、冬に向けて大根とほうれん草を植えました。梅干しに続き、とても良い流れ。 祖父は家庭菜園程度の畑をやっていたけれど父は全くで、長らく除草シートをかけられた畑を、商店街にある種苗店さんの提案で4,5年前に掘り起こしたのが私だった。この2,3年はなかなか手をつけられなかったけれど、今年は時間ができたので、久しぶりに赤紫蘇とバジルとアイコを植えた。 そんな私の行動を見かけたからか、近所の農家

芦生を流れる、いい時間。

ここは、京都市内から車でおおよそ1時間半ほどの場所にある、人口50人あまりの小さな集落「芦生(あしう)」。 この川のすぐそばで、夏のあいだオープンしている「芦生 川の家」。昨日から営業がはじまり、早速おじゃましてきました! ツナグムの方でも企画の一部をお手伝いさせていただいています。 会場は、地域の真ん中あたりにある公民館。 営業開始に向け、着々と準備が進んでいきます。 「トイレの案内は、どんな矢印を描いたらわかりやすいだろう?」 地域の農家さんから、次々に商品

Re: 出発の日のことを。

いまの仕事を始める前、【世の中にはこういう仕事があるんだ / わたしが考えていたことがすでに実現している!(大変恐縮ですが)】 と衝撃を受けたことが2つあった。 ひとつは、山崎亮さんの『コミュニティデザイン』に関するプロジェクト。 そして、もうひとつは、東京・谷中にある『hanare HAGISO』というまちやどの取り組み。 前者は、異なる背景をもった人々の コミュニケーションや相互理解の促進に関する調べものをしていた時に、大学の本棚で出会った。 もともとは、日本にい

だれかと一緒なら、地元はもっとたのしい。

あいにくの曇り空でしたが、涼しくてサイクリング日和。 今日は、先月からゆるゆるはじめたあそびの企画【Kameoka Cycling Tour!】の2回目を開催していました。ルートは第1回目とほとんど一緒ですが、ワークショップの内容を変えて開催していました。 田んぼの水鏡がとにかく美しい。地元にも関わらず、なんども「いいですね〜」を繰り返していました(笑)。 今回は、亀岡在住の陶芸作家・篠原恵さんをお招きして、アクセサリーや小物づくり。以前体験させていただいた時間がとても

映画「かめじん」から、はじまったこと。

このまちに「かめじん」という映画ができて、2年。 青谷明日香さんのように なんども繰り返しては言えないけれど、このまちをもっと好きになりたいと思う理由が この度ひとつ増えました。 このまちが好き このまちが好き じいちゃんとばあちゃんが出会った このまちが好き このまちが好き 父さんと母さんが 恋をしたこのまちが 何年かかっても 何年かかっても 叫び続けてやるさ このまちが好き 何年過ぎても 何年過ぎても ひとつしかないこのまちが好き 青谷明日香 / そこからは

次の10年のたのしみを。

このまちでつくっていくために、動きたいと思う。 36歳のわたしと、同じだけ歳をとった周りの人たちと。 最終的な目標は、安藤忠雄氏のいう『100年生きて楽しい場所をつくる』というところにあるのだけれど、まずは次の10年をたのしみたいもんね。 ---------- 裏庭にレモンの木を植えたのは、実はそういうことでもあって。 祖父の代までやっていた畜産業と家庭菜園を父は引き継がなかったので、わが家にはお休み状態のちいさな畑がある。 いまのイメージでは、この畑を耕してエディ

きょうのメモ。

伝えていきたいことが、まだまだたくさん。 けれど、それが相互に作用してはじめて「伝わる」になるので、いい塩梅で伝えていかないとね。明日の1コマ90分、全く緊張していないと言えば嘘になるけれど、わたしからの話のなかでなにか感じ取ってもらえたら嬉しいな。昨年よりも密度の濃い話になっていると思う。 140人中なん人くらい起きていてくれるのだろうか・・という心配はあるけれど、昼食後の授業は眠くなるもの。聞いてくれる学生さん達にきっちり届けていこう。出来立てほやほやのスライドととも

寝る前のメモ。

昨年に続いて、大学の「市民社会とメディア」という授業でお話しさせていただくことになったので、わたしとメディアの関係や、映画の事例をご紹介できればと思う。 と書いておきながら、週明けには話す内容をまとめておかねばならず、すこしばかり焦っている。 なんとなく話したいこと、一緒に考えられたらいいなと思っていることはあるのだけれど、資料はまだ、半分くらいしかできていない。 大きなゴールとしては、以前書いたように『ぼく/わたし』が『メディア』を通してどういう風に『社会』とつながる

当事者としての『まち』のリサーチ。

先日、MTRL KYOTOで開催されていた『リサーチを考えるシンポジウム Vol.2 _どうやって新しいまちを「知る」か?』というイベントに参加してきました。 ◆企画概要 不動産紹介&企画の観点から、どうやって新しいまちを「知る」か?じっくりと考える企画(中略) 細かすぎて伝わらない気づきや新しい視点の共有をサロン形式で発表し、リサーチについて登壇者・参加者双方ともに理解を深めることが目的です。 (イベントページより) (詳しいレポートは、おそらくそのうち公開される

『便利さ』では測れないもの。

美山町の芦生という集落へ行ってきました。 京大の研究林にもなっているこの場所は、人と自然の距離がほんとうにちかい場所で、なんだか滞在しているだけで『生きる』ということを おすそ分けしてもらったような気持ちになるような場所。 ふと思ったのだけれど、このご時世『山とともに生きる』ってどういうことなんだろう。 文明が発達して、世の中はどんどん便利になっている。そういったまちなかの変化を知りながらも あえて山のそばで暮らすということは、時代の流れというものと正反対にあるような気

徒然雑記。

祖母の家が新しくなってからはじめてのことだろうか、わが家につばめがやってきた。子どもを産んでも大丈夫な環境かどうか、つがいでしっかり見張っている(ような気がする)。 なんとなく、ちいさな「兆し」のようなお話が舞い込んできている。それを糧にできるかどうかは、どこまでいってもじぶん次第なので、ただ黙々とやっていくことになるのだろうな。 –––––––––––––––– いまのところ、会社に所属しながら決まった仕事をして毎月お給料がもらえているので、こうやって合間にちょっとし

地域コミュニティからできること。

このまちに新たな「共通言語」をつくること。 それは、このまちを楽しむ人たちの象徴になるようなことばがいいな。そんな風にずっと考えていたけれど、それが象徴になるかどうかを決めるのはわたしじゃない。 ––––––––––––––– 地元の商店街やまちを舞台にした映画に『かめじん』というタイトルがついたことを初めて耳にしたとき、すこしだけ、いや、正直に言えばかなり不安だった。 たしかに、中学生の頃から自分たちのことをそう呼んでいたし、そのアイデンティティがおもしろいなと思っ

「時間」を受け継ぐということ。

きょうも、古民家の解体作業を手伝いに知り合いのところへ。 築年数はおよそ100年。壁を覆っていたベニヤ板のようなものを剥がして、天井を抜いていく。立派な梁を見るたびに、その構造を知るたびに感動し、【家】が人の手でつくられているということを改めて感じる。 最初がどうだったかはわからないけれど、家の中になにひとつ【モノがない】という状態では、以前はどんな人が住んでいたのか、どんな暮らしをしていたのか、なかなか想像するのは難しい。でも、ここにも確かに人が住んでいた。 知人から